#308 重言について考える
本日の朝日新聞の連載「街のB級言葉図鑑」を読んだのですが、そこで紹介されていた「重言(じゅうげん)」の話題がとても興味深いものでした。記事のタイトルにもなっている「サイネージ看板」などがその代表例として挙げられています。そもそも「サイネージ」には「看板・標識」という意味があるため、「サイネージ看板」だと「看板看板」と言っていることになってしまいます。このように、同じ意味の言葉を重ねてしまう表現のことを「重言」と言います。
国語辞典編纂者の飯間浩明さんが挙げられていた例のなかでは、ほかにも面白いものがたくさんありました。たとえば、韓国語で「鍋」を意味するチゲにさらに鍋を重ねた「チゲ鍋」や、後ろに「銀行」を付けなければいけないという決まりが背景にある「〇〇バンク銀行」などです。どれも普段何気なく使ったり耳にしたりしている言葉ばかりです。
この重言について、言語学者の川添愛さんがダイヤモンド・オンラインの記事で、「情報量を足すことによって自然な表現になる」可能性について触れていました。こちらも非常に面白く拝読しました。
たとえば「頭痛が痛い」は不自然に聞こえますが、「長年悩まされてきた持病の頭痛が今朝はひどく痛い」と言われるとすんなり受け入れられます。同様に、「馬から落馬した」よりも「暴れ馬から落馬した」、「会社に入社した」よりも「第一志望の会社に入社した」のほうが、確かに情報を付け足した会話や文章のほうが、ずっと自然に聞こえるから不思議です。
ここでふと思ったのが、言葉の「容認性(その表現がどれくらい自然に受け入れられるか)」との関わりです。
野村益寛さんの『ファンダメンタル認知言語学』に書かれていた内容が頭をよぎりました。同書では、 "approach(近づく)" や "live(住む)" は、基本的に、受動態の形を取らない(*I was approached by the train. / *Chicago has been lived in by my brotherは非文とされる)のですが、以下のような条件では可能になることがあります。
たとえば、"I was approached by the stranger.(見知らぬ人に近づかれた)" という文からは、恐怖によって心身に変化が生じる可能性が読み取れます。また、"The house has been lived in by several famous personages.(その家には何人かの著名人が住んできた)" という文からは、その家が観光名所になったり資産価値が上がったりといった変化がもたらされる可能性が見えてきます。
ここでは、他動性(作用が対象に及んで変化を起こす性質)というのは個々の動詞そのものの属性ではなく、文全体が表す意味の問題であり、事態をどう捉えるかによって変わるのだと説明されています。
これを今回の重言に当てはめてみると、周りに情報量が足されることで文全体の捉え方が変わり、重言が持つ独特の違和感や「おかしさ」の性質が弱まる、という可能性もあるのではないかと思います。
参考
野村益寛. (2014). 『ファンダメンタル認知言語学』 ひつじ書房.
飯間浩明「(街のB級言葉図鑑)サイネージ看板」『朝日新聞』2026年6月14日
川添愛「『頭痛が痛い』『違和感を感じる』『歌を歌う』…重言のセーフとアウトの境界線は?」『ダイヤモンド・オンライン』2024年11月16日
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[重言] [容認性]