#306 新聞各社の枠づけ
米澤(2025)は、2024年1月に麻生太郎氏が地元演説で上川陽子外相に対し、「おばさん」「そんなに美しい方とは言わんが」「やるねえ」などと発言した出来事を対象に、主要新聞各紙がどのように言語的な枠づけ(フレーミング)を行ったかを分析しています。この発言は、麻生氏なりに上川氏の外交手腕を評価する意図があったものの、根底には男性を基準とする政治観があり、外交で活躍する女性政治家を「例外的存在」として語るものでした。論文では、この出来事がメディアによってどう描かれ、それが社会のジェンダーイデオロギーといかに結びついているかを考察しています。
分析にあたっては、行為の主体性や責任の意味づけを言語構造から読み解くだけでなく、発言を侮辱と受け止めるか否かは、制度的・文化的な条件のもとで選択される主体的な社会的行為であるという視点が取られています。さらに、日本語における「女性語イデオロギー」への言及もなされています。これは、女性が抗議すれば「攻撃的・感情的」と捉えられ、逆に沈黙すれば「受動的・策略的」と受け取られてしまうというジレンマを指しており、こうした視点も踏まえた多角的なアプローチがなされています。
取り上げられているのは朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、産経新聞の4紙ですが、同じ出来事を扱いながらも、どこに焦点を当てるかは新聞社によって大きく異なっています。
たとえば、「麻生氏による上川氏の容姿への言及」という事実自体は、朝日、読売、産経の3紙で多く報道されました。しかし、それをどのような社会的・主題的テーマと関連付けるかには明確な違いが見られます。朝日はこの問題を「ジェンダー不平等」や「社会的弱者の声」と関連付けて論じているのに対し、読売と産経はこうしたテーマとの関連付けを一切行っていません。また、毎日新聞は「上川氏の応答」や「麻生氏による発言撤回」の事実に触れつつ、主題としては「ジェンダー不平等」や「社会的責任」を上位に位置づけています。
こうした傾向から米澤は、進歩的な2紙(朝日・毎日)が今回の出来事を一過性の失言として終わらせず、広範な社会的課題の一端として提示していると指摘します。その一方で、読売と産経の両紙では制度的・社会的文脈への関連付けがほとんど見られず、この件が持つ社会的意味付けを避けようとする編集方針がうかがえると主張しています。特に産経新聞は、他紙には見られない独自の主題選択をしており、この問題を「野党政治の一環」として扱ったり、「進歩的メディアへの批判」へと繋げたりする傾向が見られました。
また、論文では文法的なアプローチとして「他動詞構文」の分析も行われており、ここにも各紙の姿勢が色濃く反映されています。朝日は「麻生氏は過去にも問題発言を繰り返してきた」など、麻生氏を主語とする他動詞構文を多く用いています。毎日も「(麻生氏は)本来無関係な外交手腕と外見を結び付けて批評した」と言語構造から責任の所在を明確にしています。これに対して読売は、麻生氏の謝罪や修正の行為に重点を置くことで、彼を「反省する人物」として構築しています。産経では、「(麻生氏は)……と外交手腕を評価した」と言及することで、麻生氏の発言を肯定的な文脈へと再構成しようとする意図が見て取れます。
さらに、上川氏の行為を示す他動詞構文の分析からは、メディアが求める女性像も浮き彫りになります。朝日は「上川氏も内心は言いたいことがあったはずだと思うが、腹に納めたのではないだろうか」と記述していました。ここからは、女性政治家の「沈黙や抑制的な態度」を節度あるものとして称賛するような、社会的な期待が交差する提示の仕方がなされていたと述べられています。
論文ではこのほかにも、中立的な事実や自然な流れを表しやすい「非他動詞構文」の分析なども行われており、1つの事実に対する報道ではありますが、新聞各社の傾向を考える上で非常に勉強になる論考でした。
参考
米澤陽子 (2025). 沈黙も声も: メディアが映し出す政治とジェンダーの力学. 現代女性とキャリア, 17, 63-73.
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[ジェンダー] [イデオロギー] [フレーミング]