#297 カワイイに正解なんてない
ジェンダーイデオロギーやセクシストランゲージについて考えるとき、特に印象に残っているのが、東氏が紹介していたハウス食品のCM「私作る人、僕食べる人」です。料理を作るのは女性、それを待って食べるのは男性という前提(イデオロギー)が、当時の社会に根強く残っていたからこそ、このようなCMが制作されたのだと思います。もちろん、放送直後から大きな問題となり抗議を受けましたが、当時のジェンダー観を象徴する事例と言えます。
こうした「無意識の前提」は最近の社会にも溢れています。例えば、2024年に展開されたDoveの広告「#カワイイに正解なんてない」が挙げられます。一見すると、「こうあるべき」というルッキズム(外見至上主義)に対抗する素晴らしいメッセージに見え、ポジティブに受け止められそうな内容です。
しかし、実際の提示の仕方をめぐっては物議を醸したことが、当時の記事から分かります。この広告では、世間で「可愛い」とされる既存の基準を文字で書き出し、それを打ち消し線で消すことで「こんな基準は関係ない」と主張する手法が取られていました。ところが、この表現がかえって「可愛さの基準」を強固に定義してしまっている、と感じる人が少なくなかったようです。
広告には、これまで一部で叫ばれてきた基準の詳細が、以下のように丁寧に説明されていました。
「【目と目の間が4cm】 離れ目かどうかを判断する基準 #カワイイに正解なんてない」
中には、一般的にはあまり耳にしないような基準も含まれていました。例えば、太ももの間に隙間がある状態を指す「サイギャップ」や、身長から体重を引いた数値が110だとモデル体型とされる「スペ110」などです。これでは、今まで知らなくてもよかったはずの過酷な美の基準を、広告をきっかけに新しく認識し、かえって調べて意識してしまう可能性が十分にあります。
この広告に対しては、肯定的に受け止めて励まされたという声もありました。しかし、本当に「正解なんてない」と伝えたいのであれば、わざわざその「正解とされてしまっているもの」を具体的に言語化して見せる必要はなかったのかもしれません。「これは間違いだ」と否定して取り消してみせても、一度提示されてしまえば、それがこれまでの強固な基準であったことが明確に伝わってしまいます。
言葉の取り消しは、形式上はできても、受け手の心の中で本当の意味でなかったことにするのは不可能です。むしろ「取り消される側の言葉にこそ、隠された真実(社会の本音)があるのではないか」と勘ぐってしまう心理も、決して理解できないものではありません。
言葉を否定したり取り消したりする前に、それが社会にどう響くのか、一呼吸置いて慎重に考える必要があるのではないかと強く感じます。
ただ、あまりこまごまと気にしすぎては、何も発信できなくなるというのも悲しいものです。だからこそ、最終的には情報を受け取る私たち一人ひとりが「自分はどうありたいか」という軸をしっかりと据える必要があるのだと思います。
溢れる情報に振り回されるのではなく、送り手の意図を少し広い心で見つめる「受け手の度量」を持つことも大切なのかな、と私自身もそうありたいと思っています。
参考
東照二. (2009). 社会言語学入門<改訂版>: 生きた言葉のおもしろさに迫る. 研究社.
FNNプライムオンライン「『有害な美の基準』伝えるはずが…Doveの屋外広告にネットで議論百出『見たこともないルッキズムを学習した』批判への企業の回答は」https://www.fnn.jp/articles/-/770367
VOGUE JAPAN「自分らしい美しさを肯定するために──『有害な美の基準』にNOを突きつける、Doveの新たな挑戦。https://www.vogue.co.jp/special-feature/2024-10/07/dove/page/3