#278 笑顔を連想する音
川原先生の『「声」の言語学入門』の中では、俵万智さんのほかに上白石萌音さんとのやりとりも紹介されています。その中で、上白石さんが「唇歯音(しんしおん)」を使用するという特徴に触れられていました。
先生の説明を引用させていただくと、唇歯音とは「英語の[f]や[v]のように、上の歯を下唇に添えて発音する音」のことです。日本語の「ぱ行」「ば行」「ま行」などは、本来は両方の唇を閉じる「両唇音(りょうしんおん)」を使うのが定説とされています。
しかし上白石さんの場合、普通なら両唇音で発音される音を、唇歯音として発音することがあるそうです。先生がその理由を調べたところ、彼女がその音を使うのは「笑顔で話すとき」であるということを突き止めました。笑顔を作ると口角が上がるため、唇をきっちり閉じることが難しくなります。そこで「笑顔をキープすること」と「口の前方で音を遮断すること」という二つの要請を同時に満たすために、自然と唇歯音を使っていたことが分かったのだといいます。
さらに先生は、笑顔の時の唇歯音が日本人にどれほど浸透しているのかを研究されています。その実験は、プロの声優さんに「唇歯音を使った音声」と「使わない音声」を録り分けてもらい、一般の人に音声だけで「話者は笑顔かどうか」を判断してもらうというものです。その結果、唇歯音が含まれる音声を聴くと、話し手が笑顔であると判断される確率が上がったそうです。
このエピソードのセクションには「マスク越しでも笑顔は伝わっていたか!?」というタイトルが付けられています。マスクをしていて表情が見えない時でも、もし笑顔が相手に伝わっていたのだとすれば、それはこの唇歯音のおかげなのかもしれないと先生は語っています。
これを知って私は、顔を見せられない環境のときには、相手に笑顔を伝えるためにあえて唇歯音を意識して使ってみるのも一つの戦略としてありなのではないかと、しめしめと考えてしまいました。
参考
川原繁人(2025)『「声」の言語学入門: 私たちはいかに話し、歌うのか』NHK出版新書
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