#276 風を感じる「さ行」
昨日、人間のコミュニケーションの特徴として「流動性」と「恣意性」について触れましたが、川原先生のご著書を読み進めると、ここからさらに興味深い話へと繋がっていきます。
言語学者のソシュールは、音と意味のつながりには必然性がないという「恣意性」を打ち出しました。これは、何かを表現する際にどのような音を使っても自由であり、言語が違えば単語も変わるということと結びついています。しかしその一方で、本書ではソシュールの思想の影に隠れがちだった「音そのものが意味を持つ」という「音象徴(おんしょうちょう)」の考え方について詳しく紹介されています。
特に印象的なのが、川原先生が歌人の俵万智さんと言葉の響きについてお話しされたエピソードです。俵さんの代表作である「『この味がいいね』と君が言ったから七月六日はサラダ記念日」という短歌ですが、実は実際の出来事では「サラダ」ではなく「唐揚げ弁当」だったそうです。しかし俵さんにとっては、恋人に喜んでもらったときの特別な想いを表現する際、「唐揚げ」では少しイメージが合わないと感じられました。そこでまず「サラダ」という言葉が思い浮かび、そこから、野菜が元気な季節である6月や7月のうち、どちらにするかを考えたそうです。最終的に7月を選んだ理由として、語頭の音が「さ行」で揃うことによる「爽快感」や、その爽快な音が繰り返されることでの「聞き心地の良さ」を挙げておられます。一番大切なのは伝えたいメッセージが伝わることですが、もし選択の余地があるのなら、音の響きも単語を選ぶ基準になり得ると俵さんはお話しされていたそうです。
では、本当に「さ行」に爽快感があるのかという問いについて、本書では遥か昔の古代ギリシャの哲学にまで遡って解説されています。プラトンの対話篇『クラテュロス』では、物の名前の決まり方について「名前は社会的慣習で決まったものだ」という主張と、「物の性質を表現する音が名前に使われている」という主張が議論されています。そこに加わったソクラテスは、後者の音象徴的な考え方に共感を示し、たとえば [a] は「大きさ」、[i] は「細やかさ」、そして [s] は「強い息を伴って発音されるため風を表す」としたそうです。古代ギリシャの哲学者と、現代日本の歌人が同じような感覚を抱いていたことに、川原先生も深く感激されている様子が書かれています。
この「さ行」については、著書の中の「『さ行』=『多くの空気が流れる』=『風』=『爽快』」というセクション名の通り、発音時に口から非常に多くの空気が流れることが実験で証明されているそうです。かつてソクラテスが感覚として論じていたことには、生理学的・科学的な基盤があると言及されています。
参考
川原繁人(2025)『「声」の言語学入門: 私たちはいかに話し、歌うのか』NHK出版新書
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[恣意性] [音象徴]