#243 見方は見せ方でもある
本多(2006)の「5. 副助詞タリ」についての記述を興味深く読みました。自分でも無意識に使っているな、と感じたからです。本多によれば、「タリ」には、話し手がある事態を「生起の必然性がない」と認識していることを示す働きがあります。その効果として、以下のような事態を表すことが可能だといいます。
<確信が持てない事態>
<思いつき>
<生起の可能性があると感じられる事態>
<意外と感じられる事態>
<不都合・受け入れ困難と感じられる事態>
たとえば、以下のような例は、話し手の「確信のなさ」や「思いつき」を示しています。
例)デスチャ 7年、キャンデイーズ5年、浅田真央ちゃんが4年後スケート辞めてたりして
一方で面白いのは、聞き手にとって受け入れがたいと予想される事態を述べる際に、相手のショックや不快さを和らげる手立てとして利用される可能性です。
例)今の話、実は全部うそだったりして。
これは、話し手が「起こる必然性がないもの」としてあえて提示することで、表現に控えめな印象を生み出しているのだそうです(ヘッジに近いか?)。また、ブログなどで読み手が必ずしも書き手のことを知らない状況(相手の知識レベルを考慮する場面)での例も紹介されています。
例)ラブちゃん今日は初トリミングでした いつもあたしかパパがカットしたりしてるんですよ(笑) 全然関係ないけど、こう見えても美容師免許持ってたりする(人間のね)
今この例を見ると、免許を持っているという自慢(マウント)になりそうなところを、「タリ」を使うことで抑えている側面もあると感じました。
本多はこれらの例のあとに、次のように締めくくっています。
「話し手は事態を自分が見たとおりに聞き手に見せるわけであるが、その際、話し手自身の「見方」は、聞き手に対する「見せ方」と完全に独立に、それに一方的に先行して純粋に話し手と対象の関係だけで決まるわけではなく、聞き手の存在が、あるいは、聞き手に対する 「見せ方」に関わる事情が、話し手の「見方」に影響を与える面があるわけであり、聞き手の捉え方にあわせて話し手が自身の捉え方を調整することがありうるわけである。」
これを通読して、自分だけの純粋な「見方」というものは、実は存在しないのかもしれない…と考えさせられました。
参考
本多啓. (2006). 「認知意味論、コミュニケーション、共同注意―捉え方(理解)の意味論から見せ方(提示)の意味論へ-. 『語用論研究』第8号 pp.1-14
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