#212 相手に漏れぎこえるコミュニケーション
今回のワークショップでは、SNSでの「つぶやき」と関連付けて、「投擲(とうてき)的発話」という興味深い概念が紹介されました。以下、北村(2006)の書評よりまとめています。
この言葉は、旧ザイールの焼畑農耕民ボンガンドの社会に見られる、「ボナンゴ」と呼ばれる特異な発話行為を指しています。木村(2003)によれば、それは一種の「演説」のようなものですが、私たちが想像するものとは少し様子が異なります。ボナンゴがなされるとき、語り手の周囲に人の姿が見当たらないことは珍しくありません。たとえ通りかかる人がいても、まるで語り手が見えていないかのように通り過ぎていくといいます。
「相手を特定せずになされるが、大声であるために結果的に多くの人に聞こえてしまう発話、という意味で『投擲的』という名を与えた」
ネット上の記述を引けば、これは「大きな声の、相手を特定していない発話」とも定義されます。例えば、「自分の孫が学校に行きたがらない」「暑くてたまらん」といった独り言のような内容が、大声で周囲に放たれるのです。
興味深いのは、この響き渡る声がボンガンド社会において「一緒にいる感覚(共在感)」を強化する役割を担っている点です。この大声が届く範囲に住む人々にとっては、たとえ直接顔を合わせていなくても、大声が聞こえることで「すでに出会っている」という感覚が成立します。そのため、いざ対面したときにあらためて挨拶をする必要すらなくなるのだと指摘されています。
こうした特性は、現代のSNSにも通じるものがあるのではないでしょうか。実際、社会学的な「儀礼的無関心」という概念をもとに、Twitter(現X)との類似性を指摘する声もあります。
しかし、私的には、こうしたSNSの「会っていない(もしくは会う気もないかもしれない)のに、会った気になってしまう」感覚に、どこか奇妙な違和感を覚えることもあります。その感覚に少し疲れてしまい、最近は少し「SNS断ち」をし、会いたい人には会いたいと言ったりダイレクトに連絡するようにしています。
参考
北村光二. (2006). 木村大治著 『共在感覚-アフリカの二つの社会における言語的相互行為から』 京都大学学術出版会, 2003 年, 326 頁,\3,800. アフリカ研究, 2006(68), 93-95.
https://jambo.africa.kyoto-u.ac.jp/lecture/kimura2/3.htm
https://x.com/daijikimura/status/862143133873709056
https://business.nikkei.com/atcl/report/15/226265/041800110/?P=2&rt=nocnt
keywords
[投擲的発話]