#174 何を知覚しているのか
アドラーの『異文化組織のマネジメント』の中に、知覚について述べられている興味深い箇所があります。そこでは知覚が、「各個人が自分自身にとって意味のある経験となるように、外的環境からの刺激を選択し、構成し、評価するプロセス」であると定義されています。
印象的な例として最初に紹介されているのが、闘牛と野球の試合を瞬間露出器で流した実験です。メキシコ人の子どもたちは闘牛の場面だけを見た記憶が残り、一方でアメリカ人の子どもたちは野球に関する記憶だけが残っていたといいます。同じ刺激を見ていても、何が「見えたこと」として残るかは大きく異なる、という例です。
その後、知覚についていくつかの特徴が整理されています。知覚は選択的であること、知覚のパターンは習得されるものであること、そして知覚は文化に応じて決まるということ。さらに、知覚には変わらない傾向があり、その結果として私たちは「実在しないことを考えたり、実在することを考えなかったりする」と説明されています。
続けて、「自分の興味や価値観、文化がフィルターとして働き、それらは見たり聞いたりしようと選び抜いたものを歪めたり、遮断したりもするが、創造もする。人は、自分が知覚したいと予期していることを知覚する。これまで自分で眼中に入れようと訓練してきたことや、自分の属する文化の地図に応じて物事を知覚する」と述べられています。
ここで示される有名な例として、次の文章に含まれる F の数を素早く数えなさい、という問いがあります。
FINISHED FILES ARE THE RESULT OF YEARS OF SCIENTIFIC STUDY COMBINED WITH THE EXPERIENCE OF YEARS.
英語を母語としない人は6つと答えることが多い一方で、英語母語話者は3つと答えると言われています。of の F は文章理解において重要な単語ではないため、意識に上らず「見えない」からです。
知覚は、世界をそのまま映すものではなく、私たち自身が身につけてきた枠組みを通して形づくられているのだということを、改めて考える機会となりました。
参考
アドラー,N. J.(著)/IBI国際ビジネス研究センター(訳)/江夏健一・桑名義晴(監訳).1992.『異文化組織のマネジメント』.東京:マグロウヒル出版.
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