#164 炎上を考える
伊藤(2019)では、いわゆる「炎上」についても触れられています。そこでは、マス・コミュニケーションにおいては、発信された情報をどのように解釈するのかという規則、いわば「コード」が共有されていなければ、同じ情報であっても受け手に同じ意味として伝わるとは限らない、という点が指摘されています。
また、従来の旧マスメディアについても、受け手を一様な存在として捉える「大衆社会論」的なイメージは、今日では必ずしも妥当ではないと述べられています。
具体例として挙げられているのが、SNS上で炎上した、アルバイト従業員がゴミ箱に捨てた魚をまな板に戻す様子を撮影し、投稿したケースです。このとき従業員の言葉として、「面白い動画が撮れたので、みんなに見せたかった」と引用されています。ここでこの従業員が想定していた「みんな」とは、仲間内の人々であり、そこでは情報を理解するための共通の規則が共有されているはずでした。
しかし実際には、その投稿はマス・コミュニケーションとして、不特定多数の人々に届くことになります。その結果、ある人々は、この従業員の想定する「みんな」とはまったく異なる見解を持ち、別のコミュニケーションを作動させてしまったと指摘されています。
筆者は、こうしたこと自体は旧マスメディアの時代から当然のように起きていたとも述べています。たとえば、報道された内容に対して、一部の人がその後不当な対応や嫌がらせを行ったり、犯罪被害についての報道が次の犯罪のヒントになってしまったりすることなどが挙げられています。
伊藤は、炎上の事例を、「マス・コミュニケーションがもともと不特定多数の人々に対する一元的な情報提供であると同時に、受け手はそれを『理解』し、その理解に基づいてさまざまな社会システムが作動し得るということについての一般的な認識の薄さが招いた事例」と捉えることができる、と述べています。
参考
伊藤 高史(2019)「インターネット・SNS時代の『マス・コミュニケーションの全面化』に関する考察――メディア社会学と社会システム論の観点から――」『評論・社会科学』第131号,pp. 1–21.
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