#24 違いをどう捉えるか
社会言語学について話していたのに、気づけば多くの入門書が最初に取り上げる「変種(variety)」について触れていませんでした。堀田(2013)によれば、変種とは「その中にある程度の変異(variation)が含まれていることが前提とされている」とされます。
この「変異」については、松田(2017)の説明の仕方がとても分かりやすいので紹介したいと思います。たとえば、北海道出身者が絆創膏のことを「サビオ」と呼んでいたり、関西出身者が物を捨てることを「ほかす」と言ったりすることがあります。古典的生成文法(母語話者がもつ言語知識のシステムを解明することを目的とし、言語使用は二次的に扱われる立場)では、こうした違いは「パフォーマンス・エラー」としてネガティブにラベル付けされてきました。けれども、むしろこれらの違いこそ人間の言語知識の一部であり、個人の中にも、また地域や社会的集団(スピーチコミュニティ)の中にも一定の規則性が見られる。日常の言葉に現れる違いを「文法そのもの」として捉える立場からすれば、こうした違いは「変異」として同等の価値をもつものとして認められるのです。
今回は説明をここまでにとどめますが、社会言語学はまさにこうした言語使用のバリエーションに積極的に目を向け、そこに規則性を見出そうとする学問なのです。
昨日オーストラリアの話をしていたら、今年ではなく昨年の旅のことをふと思い出しました。今年のオーストラリアは International Pragmatics Conference、昨年は Sociolinguistics Symposium での発表のために訪れました。その帰りに立ち寄ったシンガポールでの出来事です。
乗り継ぎの短い時間で観光をしたので、移動はタクシーをよく利用しました。そこで「Can I use credit card?」と尋ねたとき、運転手さんが「Can, can」と返してきたのです。これはシングリッシュの特徴のひとつで、物事を強調するときに単語を繰り返す傾向があるのだそうです。中国語でも「可以(クァーイ)」を繰り返して「可以可以」と言うことがあり、その影響もあるとか(金井・古石 2000, https://theryugaku.jp/2645/)。
シンガポールでは、植民地時代にイギリス英語が持ち込まれましたが、その後さまざまな民族語の影響を受け、多民族国家の社会を反映する形で独自の発音や表現、文法が発達しました。これをしばしば「シングリッシュ」と呼びます。ただし「シンガポール英語」と区別されることもあり、シングリッシュの方が地位の低い、不備のある形式として扱われることもあります。シンガポール政府もあまり好意的ではなく、実際にゴー・チョクトン首相はシングリッシュを「間違った」英語と評し、このままでは世界の人々と意思疎通ができなくなると警告しました。そして 2000 年には「Speak Good English Campaign」が実施され、シングリッシュ排除の動きが進められたのです(金井・古石 2000)。
一方で、英語が多くの国で話されるようになった現在、World Englishes の研究では、それぞれの変種を独立した存在として数え上げ、価値を認めようとする姿勢が強く打ち出されています。しかし、シンガポールの事情を踏まえると、何を標準とするのか、また変種をどのような立場でとらえるのかは、決して単純に割り切れるものではないと感じます。
言語と社会的な評価は切り離せないけれど、あのときタクシーの運転手が言ってくれた「Can can」は親しみがあり、十分に意味が伝わってきました。私はむしろ、あの響きが好きだったな~と思います。
参考
堀田隆一. (2013, 1月29日). variety とは何か. hellog ~ 英語史ブログ. https://user.keio.ac.jp/~rhotta/hellog/2013-01-29-1.html
金井裕美子, & 古石篤子. (2000). 新しい英語 ― シングリッシュ ― : その誕生と現在に至るまで. 湘南藤沢学会.
Ryugaku Journal. (n.d.). 「Can Can」と2回繰り返す?シンガポール英語「シングリッシュ」5つの主な特徴. https://theryugaku.jp/2645/
keywords
[変異] [変種] [World Englishes]