#42 物語の行方
昨日紹介した多々良他(2012)の中では、唐須(1988)の議論が引用されており、民話などの物語や文化的構築物が言語と非常に類似した特徴を持つことが指摘されています。これは以前触れたアナロジーの話にも通じますが、服飾のあり方にも似た側面があるように思えます。
唐須は次のように述べています。
民話はきわめて言語に近い構造体として存在するのではないかということである。… また、伝統的な儀礼、祭りなども、言語そのものからなるものではないが、それらが「単純形式」かそれに近いものであるがゆえに、やはり、かなり「言語らしい」ものとしてとらえることができそうである。
さらに、唐須は西洋と日本の代表的な物語の構造を比較しています。西洋の物語は主人公の行為によって何かが達成され、物語が完結する「有界的」な特徴を持つのに対し、日本の物語はさしたる理由もなく展開し、主人公が何かを成し遂げることなく、最初の状態に戻ってしまうという「無界的」な特徴を持っています。つまり、日本語の物語は出来事それ自体に注目する傾向があるのに対し、英語の物語は結果や完結を重視する構造だと言えます(多々良他 2012)。
この観点は、私が以前比較したコロナ禍における日米企業の声明文にも重なります。日本企業は「いつもご愛顧いただきありがとうございます」「引き続きよろしくお願いいたします」といった前後のつながりを強調し、「早く平穏な日常が戻ること」を願う表現が特徴的に観察されました。これは唐須が述べた「最初の状態に戻る」日本的な物語構造と似た構造をしているように思います。
一方で、英語の声明文では企業のステークホルダーそれぞれに向けた具体的な対応や、コロナ禍によってもたらされた new normal を受け入れようとする姿勢が目立ちました。そこには「結果や変化を受け入れて完結させる」という有界的な特徴が表れていると感じます。
参考
多々良直弘・谷みゆき・八木橋宏勇 (2012) 『英語と日本語に現れる言語と文化の相同性』桜美林論考 言語文化研究, 3, 61–80.
唐須教光(1988)『文化の言語学』勁草書房.