#40 選択するということ
日々は選択の連続です。どんなに小さなことでも、ひとつを選ぶことは、もうひとつを手放すことでもあります。少し寂しく感じることもありますが、選んだものを大切にしようという気持ちも同時に芽生えます。
社会言語学においても「選択」という概念はとても重要です。ことばのバリエーションを認め、その背後にある要因を探ろうとする学問だからこそ、「なぜそのことばを選ぶのか」という問いが常に問われています。その一例が「コード選択」です。
ウォードハフ(1994)では、言語あるいはその変種のことを中立に呼ぶ用語として「コード」と呼び、「人びとはなぜ、他ではなくある一つの特定コードを選択して使うのか。どういった理由からあるコードから他のコードへと移行するのか。そして、時にはなぜ、二つのコードを混合したもう一つのコードを使用する方を選ぶのか」、特定の状況に対する特定のコードの選択を支配する様々な要因を考えるのは興味深いことだと述べています。
「二言語使用(diglossia)」は、「ある社会で機能上はっきりと分離した二つの異なるコードが存在する場合におきる」現象をさし、高位の言語変種(H変種)と低位の言語変種(L変種)に分かれます。前者は教会の説教や正式の講義、テレビニュースなどに用いられ、後者は社会的地位の低い職業の労働者や使用人、親しい人たちとのくだけた会話でみられます(スイスにおける標準ドイツ語とスイス・ドイツ語など)。前者は教わるもの、後者は自然に身につけるものという分け方も可能です。
一方で、二言語使用のように特定の状況に結びついているのではなく、もっと動的に、あるコードから別のコードへ切り替えたり、コードを混合したりする必要が生じることもあります(コード選択、コードスイッチング、コード混用)。ウォードハフはギャル(Gal, 1988, p.247)を引き、「コード切り替えは会話の方略で、集団の境界線を確立したり、それを横切ったり、さらにはそれを取り払うのに使われる。すなわち、権利であり義務でもあるコード切り替えを使って、人間関係を創造したり、喚起したり、変更したりする」と述べています。
例えばタナー(Tanner, 1967)は、アメリカに住むインドネシア人大学院生とその家族の小集団が、学問研究について論じるときは「英語」、一般的な活動は「インドネシア語」、研究で必要な場合は「オランダ語」の語彙、そして親しい人や敬意・人間関係を微妙に示す必要があるときには「ジャワ語」と切り替えていることを報告しています。そこには、ある選択にしか成し得ない背景や影響があることがよく表れています。
また、嶋田珠巳先生は、地球ことば村のご講演で、植民地支配の歴史とともにことばを替えざるを得なかった事例として、アイルランド語から英語への言語交替を紹介していました。日々のコミュニケーションの主流は英語(こだわればアイルランド英語)ですが、憲法にはアイルランド語が国語で第一公用語、英語が第二公用語と記され、人々もそのことを認識しています。著書『英語という選択』では、英語への言語交替がどのように起こり、その結果アイルランドのことばがどうなったのか、人々がことばにどのような思いを抱いているのかが考察されています。これは、私たち日本語話者が英語を「かっこいい」と思ったりして学び使う感覚とはまったく異なる、苦い歴史に根ざした事例であり、とても考えさせられます。
言語と選択は常に隣り合わせです。そしてその選択がもたらす背景や影響を考えることで、私自身が今日した「選択」がどんな意味を持つのかも、少しずつ理解が深まるのではないかと感じています。
参考
ウォードハフ, R.(著), 田部, 滋・本名, 信行(訳). (1994). 社会言語学入門 上. リーベル出版.
嶋田珠巳. (2016). 英語という選択――アイルランドの今. 岩波書店.
Gal, S. (1988). The political economy of code choice. In M. Heller (Ed.), Codeswitching: Anthropological and sociolinguistic perspectives (pp. 245–264). Mouton de Gruyter.
Tanner, N. (1967). Speech and society among the Indonesian elite: A case study of a multilingual community. Anthropological Linguistics, 9(3), 15–40.
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[コード選択] [コードスイッチング] [二言語使用] [変種]