#34 自分を知る
ほぼ毎日目を通しているのが、朝日新聞朝刊一面に連載されている鷲田清一による「折々のことば」です。鷲田がさまざまな文献から印象的な一節を引き、その所感を添える短い文章です。私はこのシリーズが大好きで、気に入った回を切り抜いて手帳に貼っていたこともありますし、このホームページに設けている「Book Log」もその影響を受けています。
9月11日の回で取り上げられていたのは、前田勉『江戸の読書会』からの一節でした。「自己の意見をかたくなに信じるだけで、他者の異見と接しなければ、自分がわからないということさえわからない」。この言葉を紹介する中で鷲田は、江戸期の私塾や藩校で広まっていた「会読」という学習法について触れています。会読とは、車座になって文献を読み交代で講じたのち、その妥当性を議論しながら理解を深める、いわば読書会の原型のようなものです。
この説明を読みながら、Du Bois(2007)の「スタンス」の議論を思い出しました。彼はスタンスを次のように定義しています。
Stance is a public act by a social actor, achieved dialogically through overt communicative means, of simultaneously evaluating objects, positioning subjects (self and others), and aligning with other subjects, with respect to any salient dimension of the sociocultural field.
つまり、対象を評価すること(evaluate)によって、自分自身や相手の位置づけ(position)が生じ、結果として両者の関係性(align or disalign)が決まっていく。「スタンスをとる」ということは、そうした間主観的な行為だということです。彼はさらに、これを次のように一文で表しています。
I evaluate something, and thereby position myself, and thereby align with you.
会読の場もまさに、自分の意見を述べながらテキストへの態度と同時に自己および他者との位置づけを作り上げていく実践の場だったのではないか、と感じました。
さらに、福沢諭吉が『福翁自伝』で述べているように、この会読は上下の身分にかかわらず実力で勝負できる空間でもありました。印刷技術の普及によって参加者が同じテキストを共有できたことも、会読を成立させた大きな要因だったようです。緒方洪庵のもとでは、会読のほかに素読や講釈といった方法もあり、声に出して暗誦する初学段階(素読)から、先生の講義を聞く一斉授業(講釈)まで、多層的な学びが実践されていました。
前田の本では、会読を支える三つの原理も挙げられています。討論を奨励する相互コミュニケーション性、身分を問わない対等性、そして期日や場所を定めて行う結社性。この最後の「結社性」は特に重要で、当時「徒党」を組むことは禁じられていたにもかかわらず、会読は遊戯として許容され、やがて政治的討論へと発展していきました。
前田は、その過程を、ハーバーマスが論じた公共性の成立とも絡めて論じています。ヨーロッパではコーヒーハウスやサロンでの文芸的な議論が政治的公共圏を形づくったと言われますが、日本の会読もまた、読書を媒介にして政治的な公共性へとつながっていったのです。
ハーバーマスの議論は公共性の変化を説明する上で、博士論文でも取り上げていたことがあり、鷲田から前田へとつながるかたちで、久しぶりに再会できたことに懐かしい気持ちになりました。
参考
朝日新聞 2025年9月11日 鷲田清一「折々のことば」
前田 勉(2012)『江戸の読書会』平凡社
Du Bois, J. W. (2007). The stance triangle. In R. Englebretson (Ed.), Stancetaking in discourse: Subjectivity, evaluation, interaction (pp. 139–182). Amsterdam: John Benjamins.
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[スタンス] [間主観性] [パブリック]