#31 同じ場にいることの意味
昨日、本務校でメンタルヘルスに関する講習を受けました。講師の先生は、ご自身が講師資格を取得するきっかけになった本を紹介されていました。それは見波利幸著『心が折れる職場』という本です。まだ手元にはありませんが、アマゾンの紹介冒頭には「飲み会なし、雑談なしは危険信号。」と書かれていました。紹介だけで中身に触れるのはおこがましいのですが、この一文はとても印象的でした。
雑談の重要性という点では、ちょうど最近、井上逸兵先生が、学会誌『社会言語科学』(最後の印刷版)に「研究大会の立ち話の情報量(Small Talk, Big Ideas: The Information Value of Serendipitious Exchanges)」という巻頭言を寄せられていました。そこでは、コロナ禍の影響でオンライン研究大会や大学での「立ち話の情報量」が「致命的に暴落」したことが指摘されています。その結果、対面の価値は改めて意識され、井上先生は「対面という語が奇妙な新しい意味を持つようになった」と述べています。
つまり、対面やそこで交わされる雑談の情報量は軽んじられないということです。例えば、「教室なら、ちょっとした質問ができる、教師にもできるし、たまたま横にいた学生にもできる(そういうのがきっかけでそれこそ友だちができたりする)、そして気づきにくいのは、自分はひとりぼっちで教室にいるような気がする人も、実は他の学生たちのいろんな話を立ち聞き(あるいは、座り聞き)している。他の学生がどんな顔をして授業を聞いているかも見ることができる, 死ぬほどつまらない授業を、他の学生が目を輝かせて聞いているのを目の当たりにしたら、このギャップはなんだろうと自問することもできる」。こうした副次的な情報は、オンライン環境では得にくいものです。
私自身もコロナ禍の最中に、今しかできないと思い、トーク番組の3形態を比較する調査を行いました。3形態とは、観覧客ありの通常の形式、観覧客なしの形式、そしてオンライン会議システムを用いた形式です。交替潜時(ターン交替に要する時間)、ターン交替の頻度、バックチャンネル(相槌に加え、笑いや拍手も含む)を観察したところ、観覧客ありからなしになるとインタビュー的な志向は弱まり、対面から非対面になると逆にインタビュー志向が強まることが明らかになりました。
特に、オンライン会議では挨拶や同意でさえ不自然に長い交替潜時(0.4秒以上)が生じ、ターンも長くなりがちでした。通常の発話間隔が0.1秒以下とされ(高木ほか, 2016)、共通基盤の理解が高い場合の潜時の臨界点が0.3秒とされる(Benus et al., 2011)ことを踏まえると、オンライン環境のやりとりは大きくずれているといえます。
バックチャンネルの使用も変化していました。観覧客がいない場合は司会とゲストの役割が逆転し、ゲストが聞き手に回る傾向が見られました。さらにオンラインでは司会者が圧倒的にバックチャンネルを使っていました。つまり観覧客の有無や対面・非対面の違いによって、やりとりの形式や役割関係そのものが変化するのです。
この結果と重ねると、Zoomなどのオンラインやりとりでは、副次的な情報を受け取ることができず、雑談も生まれにくい。その結果、関係性は「役割」に縛られてしまいます。逆に対面では、役割から解放されたざっくばらんな交流が促されるのだと思います。
この夏、実際に学会に対面で参加して、あらためてその大切さを実感しました。遠くから見ているだけでは近づけないような先生方とも、役割に縛られた関係ではなく、同じ関心について語り合ったり、全く関係のない話で笑い合ったり、同じ空気を共有することができる。もちろん、なかなか自信がなくて話しかけられないことも多いのですが、それでも対面だからこそ得られる情報や雰囲気に触れられるだけで幸せだと思います。この貴重な時間を、これからも大切にしていきたいと思います。
参考
高木智世・細田由利・森田笑 (2016). 『会話分析の基礎』ひつじ書房.
Benus, S., Gravano, A., & Hirschberg, J. (2011). Pragmatic aspects of temporal accommodation in turn-taking. Journal of Pragmatics, 43(12), 3001–3027.
井上逸兵 (2025). 「研究大会の立ち話の情報量」『社会言語科学』第27巻第2号.