#20 私のまわりの記号たち
昨日に引き続き、動画で触れた内容から、ファッションの広義の記号性について書きたいと思います。時代ごとの流行やスタイルは、社会情勢や経済状況の産物であるという点を取り上げました。たとえば、経済状況とスカート丈の関係や、戦争による資源不足で素材が限られ、女性もジャージ素材を使うようになったこと(シャネルが牽引)などです。
「記号」を形と意味の慣習的な結びつきと捉える(野村 2014)ならば、その時代のファッションは、素材やシルエットそのものが経済状況の反映であり、慣習的に広く受け入れられているという点で、記号的な性質を持つものだと思います。
動画の中では、1950年代のDiorとBalenciagaのデザインが当時の建築を反映しているように見える、という一節を紹介しました。
"... geometric shapes soon became common features of both couturiers' creations, which were probably an unconscious echo of developments in contemporary architecture."
"In Dior's case, the names he gave his collections after 1954—'Figure 8,' 'Vertical,' 'Oblique,' and 'Oval'—reflect this, especially in his dress of very pure geometric lines, 'Promesse,' in 1957. In Balenciaga's case, this liking for geometric forms, especially the sphere..."
ここで使われている「アナロジー(類推)」という概念についても触れました。野村(2014)によれば、類推とは「よくわからないもの/なじみのない事態を、よく知っているもの/なじみの深いものを持ち出すことで理解しようとする心の働き」です。引用のように、DiorやBalenciagaの幾何学的なシルエットを、当時増えたモダン建築と結びつけるのは、解釈者の遡及的な類推によるものといえるでしょう。
この表現が強く心に残ったのは、「別のカテゴリーのもの(ここでいう建造物)」との一致が、暗示的ではあるけれども確かに存在していて、その結びつきを離したときに違和感として表れることがあるからです。つまり、記号性を強く感じたのは、まさにその「離されたときの違和感」に説明がつくと思えたからでした。特に芸術に多いと思うのですが、たとえばアメリカでモーツァルトやショパンを聴いたとき、周囲の風景や雰囲気とまったく合わず、日本で聴いたときには感じなかった違和感を覚えました。一方で、ポーランドで聴いたショパンは胸に深く響きました。芸術は、その場の文化や空気と切り離せないのだと強く感じた瞬間でした。
ピアノのレッスンでも同じことを思います。先生が、「ヨーロッパの〇〇の風景を思い浮かべて」「降り続く雨の音をイメージして」「遠くから馬の足音が聞こえてくる感じで」といった形で作曲家の背景を踏まえた楽典を語ってくださいます。作曲家がその場で見てきた光景や健康状態までもが曲に反映されているのだと感じます(シューマンの不安定な転調などは、その精神的な状態を映すものだとも言われています)。
「記号」についてはまだまだ勉強不足ですし、音楽や服飾の専門家でもありません…。ただ、だからこそ素人なりに言語や音楽、服飾を結びつけて考えることで、少しずつ自分なりの記号観を深めていけたらと思います。
追伸:今日は日本認知言語学会に参加しています。タイトルに出てくる「たち」は、ワークショップ『引用表現の周辺から見る言語使用のダイナミズム』で紹介されていた「最近のかわいいたち」といった逸脱表現に触発されたものです。
参考
野村益寛. (2014). 『ファンダメンタル認知言語学』 ひつじ書房.
Wilcox, Claire (編). The Golden Age of Couture: Paris and London 1947-57. V&A Publications. 第6章 “Dior and Balenciaga: A Different Approach to the Body” (pp.138–154).
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[記号] [アナロジー]