#19 世界の切り取り方
いのほた言語学チャンネルで、英語の wear について、日本語との感覚の違いを取り上げていただきました。
このテーマは、杉野服飾大学1年生のオムニバス授業でも扱っていて、「言語間の共通性と相違点」のうち、相違点の例として紹介しています。日本語と英語では、何に価値を見出し、どこで意味を切り分けるか、その分節の仕方が異なることを説明しています。
この点については、以前からブログで紹介している須田(2004)も、サピア・ウォーフの仮説の中で触れています。アメリカの言語学者エドワード・サピアによれば、「言語習慣は現実世界を無意識のうちに築きあげているものであり、言語が異なれば同じ現実世界を映し出すことはない」とされています。また、その弟子ベンジャミン・ウォーフも、「目の前の現実世界は万華鏡の流れのように混沌とした連続体であり、私たちは母語の意味体系のおかげでそれを dissect(分節)し、境界線を引くことができる。ただし言語が異なれば、その切り分け方も変わってくる。」と述べています。
『英語学・言語学用語辞典』でも、この考え方は「言語は話者の思考や精神構造に影響を及ぼす」と説明され、「言語相対論」として紹介されています。
服飾に関していえば、英語の wear は jacket, dress, hat, shoes, belt, coat, make-up に至るまで一語で表せます。しかし日本語では「着る」は洋服や着物に限定され、他は大和言葉(羽織、被り物、袴、帯など)に由来する多様な動詞を使います。上着を「羽織る」、帽子を「かぶる」、靴やズボンを「履く」、ベルトを「締める」など。それぞれ、和服文化の道具や習慣に由来していて、日本の服飾文化が意味の細かい分節を要求してきたことが分かります。つまり、日本語話者は、wear だけでは表せない微妙なニュアンスを自然に感じ取っているのです。
動画の中では wear と put on の違いにも触れました。前者が「身につけている」状態を表すのに対し、後者は「身につける」という動作を表します。こうした違いもまた、言語が世界をどう切り取るかに関わっています。
なお、サピア・ウォーフ仮説については、知覚や推論の領域で多くの反論もあります。たとえば、言葉がなくても対象を知覚し区別できること、また翻訳を介した比較研究には方法上の問題があることなどです。現在では「言語が思考を決定する」という強い立場ではなく、人間の認知が生得的で普遍的なメカニズムに制約されながらも、同時に言語や文化に特有の影響も受ける、という中間的な立場が有力になっています(今井 2000)。
そうはいっても、今ある言語の分節性の違いを知ることは、「世界をどう切り取り得るのか」という分節可能性を知ることにつながり、物事を多角的にみる目を養う上で有効だと感じています。そして、それが少しでも言語への関心につながってくれるのであれば、嬉しいなと思います。
参考
今井むつみ. (2000). サピア・ワーフ仮説再考―思考形成における言語の役割, その相対性と普遍性. 心理学研究, 71(5), 415-433.
須田紀子. (2004). 異文化理解への道. 青山社.
中野弘三・服部義弘・小野隆啓・西原哲雄 (監修). (2015). 最新英語学・言語学用語辞典. 開拓社.
keywords
[サピア・ウォーフの仮説] [言語相対論]