#10 話し手 vs. 聞き手
前にプレゼンテーションの記事の中で「聞き手の影響力」について書きました。話し手のスタイルや内容は、聞き手の関わり方によっても変わってくる、つまり聞き手にも”責任”がある、という見方でした。
では、もし話し手と聞き手の間で誤解が生じたとき、その責任はどちらにあると考えられるのでしょうか。
たとえば父が旅行の計画について母に話しているとき、母が内容をうまく理解できていないと、父はよく「ちゃんと聞いてた?」と言います。理解できていないのは、聞き手である母の責任といった感じです。(結果的に、父の説明不足だった、ということもしばしばです。)
この「どちらに責任があるのか」という点は、異文化コミュニケーションの研究でも注目されています。話し手に責任があるとされる文化は Speaker Talk(話し手志向)、聞き手に責任があるとされる文化は Listener Talk(聞き手志向) と呼ばれます。日本はどちらかというと後者で、「察し」や「気配り」といった聞き手の理解力が重視される傾向があります(三宅 1996, 須田 2004, ヤマダ 2003)。
三宅(1996)の論文では、以下のように述べられています。
例えばLakoff (1985)は、日本語のインターアクションでは発話の意味を決定 (判断)する責任は聞き手にあることを指摘している。また。Clancy(1986)は、日本人のコミュニケーション・スタイルを論じて、日本人が明瞭な意思伝達よりも「思いやり」(empathy)を強調することを指摘している。単一民族文化的社会である日本では、このような間接的コミュニケーション・スタイルが育まれるとし、意思伝達の主な責任は聞き手にあると主張している (1986:217)。
さらに、Hinds (1987) の有名な例もあります。アメリカ人女性がタクシーで「銀座東急ホテルまで」と伝えたのに、銀座第一ホテルに着いてしまったときのやりとりです。
乗客(アメリカ人女性): “I’m sorry, I should have spoken more clearly.”(すみません、もっとはっきり言うべきでしたね)
運転手(日本人): “No, no, I should have listened more carefully.”(いえいえ、もっと注意して聞くべきでした)
国や文化によって、どちらに責任を置くかがこんなにも違うのかと、その対照性にとても驚いたことを覚えています。
それ以来、私も両方の視点を持ちたいと思うようになりました。自分の発言が理解されなかったとき、「ごめん、私の話し方が悪かったかも」と言える柔らかさも大切にしたい。相手に寄り添いながら、自分の伝え方も振り返る・・・そんな姿勢を心に留めておきたいです。
参考
三宅和子 (1996). 語用論の視点からみた形容詞の行動要求機能. 『第9回日本語教育連絡会議報告発表論文集』, 42-47.
Hinds, J. (1987). Reader versus writer responsibility: A new typology. In U. Connor & R. B. Kaplan (Eds.), Landmark essays on ESL writing (pp. 63-74).
Lakoff, R. (1984). The pragmatics of subordination. In Proceedings of the Annual Meeting of the Berkeley Linguistics Society (pp. 481-492).
Clancy, P. M. (1987). The acquisition of communicative style in Japanese. In B. Schieffelin & E. Ochs (Eds.), Language socialization across cultures (pp. 213-250). Cambridge: Cambridge University Press.
須田紀子 (2004). 『異文化理解への道』. 青山社.
ヤマダ・ハル (著), 須藤昌子 (翻訳) (2003). 『喋るアメリカ人聴く日本人』. 成甲書房.
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