#7 お礼の期限
先日、阿部圭子先生の共立アカデミー「英語圏のことばと文化」で取り上げられていたテーマがとても印象に残りました。それは、「お礼を言う期間はどこまで続くのか?」という話題です。授業では、アメリカではその日やその場限り、日本ではしばらく続く、という文化的な違いが紹介されていました。
そこで気になって、88歳の祖母に聞いてみました。祖母によれば、過日はどうも、とかは1年ぐらいたってもいうなあ、とのことでした。ただ、私の質問の仕方が少しピンと来なかったようで、「お礼っていうのはいつまでも言うものでしょ?何を聞いているの?」という反応でした。質問の内容を理解できないほど、想定外の質問ということなのかもしれません。
調べてみると「後日の再感謝」という言葉がキーワードのようです。英語や中国語を母語とする人にはあまり見られない習慣であることを、市原(2016)がまとめています(中田1989、李2014を引用)。さらに熊崎(1997)は、ブラジルでは「後日お礼を言う」と、かえって次回のごちそうを催促しているように受け止められる場合もある、と指摘しています。一方、日本語母語話者にとっては「後日の再感謝」は当たり前であることを、市原(2016)の調査が示しています。ただ、世代による違いも大きそうです。
例えば、今の学生とランチに行くと、その場で「ごちそうさまです」とは言ってくれるものの、後からLINEや口頭で改めてお礼を言ってくれることはほとんどありません(言ってほしいという意味ではありませんので悪しからず)。
こうした差は、ミスコミュニケーションにつながる可能性もあります。実際、「後日お礼が言えない人にイライラする」という声もネット掲示板で見かけました。
この問題は「お見送り文化」とも似ています。井上(2021)によれば、日本ではゲストが見えなくなるまでホストがお見送りする一方、アングロサクソン文化ではすぐに家の中に入るのが普通。つまり、相手を思って「一歩踏み込む」か「一歩引くか」の選択は言語文化によって違いがあります。前者は、つながりや共有を意識したポジティブ・ポライトネス的選択、後者は、相手の独立を守り領域を守ることを意識したネガティブ・ポライトネス的選択といえます。
外国人が日本人化するという面白いYouTube("Foreigners who have become part of Japan: How to behave when seeing someone off")の例もあります。学生に見せると「ここまで見送られると正直うっとうしい」とも言われるので、日本文化の代表例とは言いにくくなってきているのかもしれません。
皆さんはいつまでお礼を言いますでしょうか。
参考
井上逸兵(2021)『英語の思考法――話すための文法・文化レッスン』筑摩書房.
中田智子(1989)「発話行為としての陳謝と感謝―日英比較―」『日本語教育』第68号,191-203,日本語教育学会.
李華勇(2014)「日本語と中国語における『感謝の言語行動』の対照研究」大阪大学言語文化研究科博士論文(未公刊).
熊崎さとみ(1997)「ブラジル人の言語行動『後日お礼を言うこと』について日系人を中心に」『ことばの研究』第9号,14-24.
市原明日香(2016)「日本語母語話者の記述回答にみる『後日の再感謝』の発話行為―『解釈フレーム』と『コンテクスト化の慣習』を枠組みとして」『人間文化創成科学論叢』第19巻,1-9.
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