#142 アフォーダンス(2)
前回に続いて、今回は「アフォーダンス」という概念を用いる際の注意点について、Hutchby(2001)を手がかりに整理しておきたいと思います。アフォーダンスという言葉は Gibson の議論を起点として広く使われていますが、それを社会的・文化的な文脈で扱う場合には、いくつか押さえておくべきポイントがあります。
まず一つ目は、Gibson の議論が主に自然物のアフォーダンスや「知覚空間の生態(ecology of perceptual space)」に焦点を当てていたのに対し、実際にはアフォーダンスには多様な源があるという点です。自然環境のアフォーダンスだけでなく、人工物、環境内に存在する他の生物、さらには私たち自身の種としての人間も、アフォーダンスの源になりえます。そして重要なのは、これらが常に単独で作用するのではなく、実際の行為の場面では相互に関連し合い、あるいは複合的に重なり合って立ち現れるということです。
二つ目は、アフォーダンスを機能的な(functional)側面だけで捉えないことの重要性です。確かに、ある対象が特定の行為を可能にするという点は、機能的な説明として分かりやすいものです。しかし、そのアフォーダンスは、誰にとってのものなのかによって異なります。同じ対象であっても、ある種にとって可能な行為が、別の種にとってはそうではない場合がある。このような関係的な(relational)側面を意識することが欠かせません。
三つ目に、人間によって経験される世界においては、対象やその価値が、単なる物理的特性だけでなく、使用をめぐる概念や慣習的なルールの複雑な集合と結びついているという点です。この意味で、アフォーダンスには「発見されるもの」であると同時に、「学ばれるもの」という側面があります。Hutchby が述べるように、アフォーダンスはある意味で「ラミネートされた」存在であり、物理的な基盤の上に、社会的・文化的な意味が重ね合わさっていると考えることができます。
そして四つ目は、人工物のアフォーダンスが、その素材の自然的な特性だけから必ずしも導かれるわけではないという点です。たとえばドラムスティックが硬い木でできていることは、「叩くための棒」としてのアフォーダンスにも、「突くための武器」としてのアフォーダンスにも関係しています。しかし、どの行為が実際に可能なものとして立ち上がるかは、状況や慣習、文脈によって大きく左右されます。
このように見ていくと、アフォーダンスは単なる「モノの性質」ではなく、環境・対象・行為者・慣習が交差する地点において立ち現れる概念であることが分かります。だからこそ、社会的実践やメディア、コミュニケーションを分析する際に、アフォーダンスという枠組みは有効である一方で、その射程や前提を丁寧に確認しながら用いる必要があるのだと思います。
参考
Hutchby, I. (2001). Technologies, texts and affordances. Sociology, 35(2), 441-456.
Gibson, J.J. (1979). The Ecological Approach to Perception. London: Houghton Mifflin.
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