#141 アフォーダンス(1)
最近、Hutchby(2001)の “The affordances of things” というセクションを読みながら、改めてアフォーダンスという概念について考えています。
もともとは Gibson(1979)が知覚心理学の分野の中で提示した概念ですが、それをテクノロジーの社会学に援用する際の注意点なども、Hutchby はとても簡潔に整理しています。
その注意点については次回以降に回すとして、今回はまず、Gibson が言うアフォーダンスとはそもそも何なのか、そしてそれがどのような心理学的背景のもとで生まれた概念なのかを、簡単に整理しておきたいと思います。
Gibson によれば、アフォーダンスとは、行為を引き起こしうる潜在的な可能性のことを指します。彼は次のように述べています。
For Gibson, humans, along with animals, insects, birds, and fishes, orient to objects in their world (rocks, trees, rivers, etc.) in terms of what he called their affordances: the possibilities that they offer for action.
(Gibson にとって、人間は動物や昆虫、鳥、魚と同様に、岩や木、川といった世界の中の対象を、それがどのような行為の可能性を与えるか――すなわちアフォーダンス――という観点から捉えている。)
たとえば「岩」は、トカゲにとっては太陽の熱から身を守るためのシェルターとしてのアフォーダンスをもち、昆虫にとっては敵から身を隠すための隠れ場所としてのアフォーダンスをもちます。このように、アフォーダンスは恣意的に自由に変わるものではない一方で、どの種にとって、どの文脈において、という点では変わりうるものだと言えます。
Gibson のアフォーダンスの考え方は、当時の知覚研究における二つの影響力の大きい認知主義的な理論枠組みへの批判として構想されたものでした。
一つ目は、ゲシュタルト心理学のように、ものの価値(意味や実用性)が観察者の状態や欲求によって変わると考える立場です。これに対して Gibson は、「ものがもつ潜在的な可能性それ自体は、観察者の欲求が変わっても変化しない」と考えました。たとえば「食べられるものである」という可能性は、動物が空腹かどうかとは無関係に存在している、というわけです。
二つ目は、知覚において脳が中介的な役割を果たすとする認知心理学的な見方です。つまり、光によって網膜に伝えられた像を、脳が解釈することで知覚が成立する、という考え方です。これに対し Gibson は、アフォーダンスはより直接的に知覚されると考えました。逃げるトカゲは、岩を見た瞬間に、それを「隠れることができる場所」として知覚するのであり、そこに複雑な解釈のプロセスを想定する必要はない、という立場です。
参考
Hutchby, I. (2001). Technologies, texts and affordances. Sociology, 35(2), 441-456.
Gibson, J.J. (1979). The Ecological Approach to Perception. London: Houghton Mifflin.
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