#135 伝えないコミュニケーション
前回の記事では、何を「雑談」と呼ぶのかを考える際の判断基準として、グライスの協調の原理が有効である、という点が紹介されていました。この協調の原理は、雑談だけでなく、「ことば遊び」を考える上でも重要な視点になるようです。
滝浦(2002)は、協調の原理を「会話者が(特別な事情がないかぎり)遵守するものと期待される大まかな一般原理」と位置づけた上で、ことば遊びもまた、この原理との関係から捉えることができると述べています。むだ口や駄洒落といった即興型のもの、折句や回文のような技巧型のもの、さらにはなぞかけやしりとりといったゲーム型のものまで、さまざまなタイプのことば遊びは、いずれも協調の原理の四つの格率のどれか、あるいは複数において「違反」を含んでいるとされます。
たとえば「むだ口」は、必要以上に情報量を増やすという点で「量の格率」に違反し、さらに本筋とは関係のない話題を持ち込むという点で「関係の格率」にも違反しています。
ここまでは、皮肉や隠喩と似た構造を思い浮かべたくなりますが、滝浦は両者を区別しています。
皮肉や隠喩の場合、「大切な本を汚してくれて、ありがとう」のように、表面的には格率違反が見られても、発話者の意味を反転させることで解釈が可能です。つまり、見かけ上の格率違反を通じて、別の意味が読み取れるわけです。
しかし、ことば遊びの場合、そこに同じ意味での「発話者の意味」を見いだすことはできません。この点から、ことば遊びは、皮肉や隠喩といった狭義の「レトリック」とは性質を異にするコミュニケーションであるとされています。
滝浦の表現を借りるならば、
「ことば遊びは、多かれ少なかれ『本当に伝えない』のであって、その点ではまさしく、『合理的』ではないコミュニケーションの一形態である」
ということになります。
参考
滝浦真人. (2002). ことば遊びは何を伝えるか?―ヤーコブソンの< 詩的機能> とグライスの会話理論を媒介として―. 日本語科学, 11, 79-99.
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