#96 解釈を変えるスキル
昨日は「フレーム」という概念について、改めて整理していました。今回のメモは、Matsumoto(2015)のまとめを参考にしています。
語用論や談話分析の領域でフレームといえば、まず挙げられるのが Bateson(1972)と Goffman(1974)です。Goffman は、Bateson の心理学的な発想を社会学や言語分析に応用した人物で、両者はフレームという概念を同じ方向から捉えています。
引用すると、
“Both Bateson and Goffman used ‘frame’ to refer to subjective involvement of the organization of one’s experience, or ‘definitions of a situation’ (Goffman, 1974:10).”
つまり両者にとってフレームとは、経験をどう捉え、どのように意味づけるかという心の関わり方や、その場をどんな状況として理解するかを決める枠組みを指します。特に Bateson は、フレームがメタコミュニケーション的な側面をもつことを指摘しています。
一方で、Matsumoto(2015)は自身の論文で Quotidian (Re)Framing(日常的再リフレーミング) という現象に注目しています。これは、心理的な負担を軽くし、語り手が「日常の自分」へと感覚を戻していくためのディスコースストラテジーであり、その機能を明らかにすることを目的としています。その結果、語りの雰囲気が柔らぎ、ネガティブな出来事から距離を置けたり、参与者間に自然なつながりが生まれたりする。Matsumoto は、こうした効果を踏まえ「日常の力(the hidden power of the ordinary)」を示したいと述べています。
象徴的な例として挙げられているのが、夫の死という深刻な出来事を語る場面です。夫が亡くなる直前のやりとりとして、「寝てんだからうるさいよ」「うるさいこと言うな」といった普段の夫婦の会話が差し込まれ、そのことで語り手と聞き手のあいだに笑いが生まれる、というものです。
論文では次のように説明されています。
“The depicted scene is from the grave event of A’s husband's death, but it presents a quotidian perspective, which evokes the narrator's identity in quotidian life.”
このような「深刻さ」と「日常」のズレ(incongruity)は、聞き手との共笑(joint laughter)を誘発し、最終的には共感や連帯感を強めます。
あらためて思うのは、私たちがある状況をどう解釈するか(framing)、またどう再解釈するか(reframing)は、自分の心理的安定を保ちながら、目の前の相手との関係を丁寧に維持していくためにも、非常に重要な営みだということです。
参考
Bateson, G. (2000 [1972]). Steps to an Ecology of Mind. Chicago: University of Chicago Press.
Goffman, E. (1974). Frame Analysis. Cambridge, MA: Harvard University Press.
Matsumoto, Y. (2015). The power of the ordinary: Quotidian framing as a narrative strategy. Journal of Pragmatics, 86, 100–105.
keywords
[フレーミング]