#92 市民〇〇時代到来?
昨日は井上逸兵先生のご講演を聞きました。実は昨晩は、その前の「階段滑り落ち事件」の衝撃が長引き、さらに講演後の打ち上げと締めの博多ラーメンにも参加したこともあって、疲労困憊で布団にダイブしてしまいました。そのため、昨日のうちに追記することはできませんでした。
講演の中で特に印象に残ったのは、先生がおよそ四半世紀ごとに言語学のパラダイム転換(完全な転換ではないが、その時代ごとの“語り”が流行する)が見られると指摘されていたことです。
そして、言語学を大きく輝かせた研究者たちの多くが1920年代生まれであることには驚かされました。(英米では)N. Chomsky (1928)、M.A.K. Halliday (1925)、D. Hymes (1927)、W. Labov (1927)、C. J. Fillmore (1929)、W. Chafe (1927)、J. A. Fishman (1926)、M. Halle (1923)、J. Gumperz (1922)、(日本では)国広哲也(1929)、鈴木孝夫(1926)といった名前を挙げられていました。
彼らが中心となった20世紀後半の言語学の流行の背景には、「言語を知る=人間を知る」という語りがあったといいます。研究者や専門によって焦点は異なりますが、「文法は心にある表象・計算システムである」「言語は社会的行為である」「言語の変異は秩序である」といったコンセプトがそれを体現していました。
さらに、その考えを社会に広めたのが“集中型メディア”の存在でした。大学出版や学術雑誌、教養新書、総合雑誌、テレビ、ラジオなどがその役割を担い、「言語を通して人間を知る」という言葉が、まっすぐ公共圏に届き輝いていた(新聞やテレビに出ることが憧れだった)時代です。
しかし21世紀に入り、この集中型メディアは分散化・アルゴリズム駆動へと変化し、ソーシャルメディアやYouTubeが学術書や新書よりも先に参照されるようになりました。こうした変化を踏まえ、「語り方の設計(Audience Design)」、つまり分散化時代における物語の設定を意識することが重要になってくると指摘されていました。
さらに、そうした時代の中で「非アカデミック発信(言語学マニアや個人クリエイター)」の台頭が見られることも非常に興味深いと感じました。ハンドアウトでは、彼らを研究の専門言説と一般社会をつなぐ「中間層」の存在として、またコメント環境などをゆるやかな相互是正の仕組みとしての“パブリック・ピアレビュー”と位置づけており、学術と社会の距離の変化を改めて考えさせられました。
講演の中では直接触れられていませんでしたが、こうした「誰もが語りうる」状況が、「市民言語学(citizen linguistics)」の裾野を広げているというお話も印象的でした。思えば、言語学に限らずさまざまな分野で「市民〇〇」の考え方が見られるようになっています。
このような流れを受けて、自分自身がどのような物語をもって研究を進めていくのか、改めて、自分の物語を意識しながら歩んでいきたいと強く感じました。
参考
日本英語学会(https://elsj.jp/meeting/)
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[市民言語学] [オーディエンスデザイン]