#81 目で語る
最近、“Hofstede's value dimensions and Hall's high context/low context” を読んでいます。その中の “Hall’s high-context and low-context communication” というセクションで、とても興味深い概念を見つけたのでご紹介します。
ハイコンテクストの文化では、主な情報伝達は言葉によるコミュニケーションにはあまり頼らないということが指摘されています。その例として紹介されていたのが、韓国語の nunchi という言葉です。これは「目でコミュニケーションをする」「目で語る」といった意味を持ち、相手の気持ちや意図を表情や雰囲気から読み取る感覚を表しています。
High-context cultures tend to be more aware of their surroundings and their environment and do not rely on verbal communication as their main information channel. As an indicator of this, the Korean language contains the word nunchi, which means being able to communicate with the eyes.
つまり、ハイコンテクスト文化においては、言葉よりも環境や人間関係、非言語的な合図が大きな意味を持つということです。続く部分では、このような文化では多くの情報が周囲の環境や状況に含まれているため、すべてを言語化する必要がないと述べられています。
In high-context cultures, so much information is available in the environment that it is unnecessary to verbalize everything.
さらに、Arnesen and Foster(2018)は、nunchi を「ハーモニー(調和)を維持するために作られた概念」であると述べています。彼らによれば、これはノンバーバルで間接的な合図を聴いたり理解したりすることで、相手の心の状態を察する能力を指しています。また、西洋文化では、この能力を emotional intelligence(感情的知性)を理解することとして捉えています。
In western culture, nunchi is part of understanding emotional intelligence.
同論文では、日本語における「和(wa)」の概念も同様に取り上げられています。韓国語でも nunchi という一つの言葉でハイコンテクストを表す用語が存在するというのは非常に興味深い点です。以前、韓国ドラマで「心の声」が多く描かれている(気がする)という話をしましたが、ドラマの構成は、こうした文化的背景とも関係しているように思えます。
参考
Samovar, L. A., Porter, R., & Stefani, L. A. (2011). Hofstede's value dimensions and Hall's high context/low context. In The language and intercultural communication reader (pp. 49–58). Routledge.
Arnesen, D. W., & Foster, T. N. (2018). Guanxi, reciprocity, and reflection—applying cultural keys to resolve difficult negotiations. Journal of Business and Educational Leadership, 8(1), 39–47.
p.s. その後韓国語ネイティブの友人シヨン君に聞きました。
nunchiの使い方は2通りで、
1) 눈치를 보다 / nunchiを見る / 空気を読む
2) 〇〇씨는 눈치가 없어 〇〇さんはヌンチがないよね / 〇〇さんって空気読めないよね
1)の方は、その場の空気そのものを示す時のnunchi、2)のnunchiは、空気を読むスキルのことを指している。
日本語の空気を読むの「空気」とは異なり、その場の雰囲気を示すために1)のように使用することはあまりない。
(ここからは完全に個人的な意見ですが・・・)
1)で面白いのは、日本語では「読む」なのに対し「見る」という動詞が使われていることで、これは、Samovar et al.(2011)の論文でcoomunicate with the eyesと言われていたこととも一致する。また、個人的には、空気を「読む」よりも「見る」の方が、その状況における主体性が高い感じがする。日本語で「空気を読んで〇〇をする」という場合には、空気を読む側が、なんだか我慢していたり、本当にしたかった行動が制約されている感が強い。一方で、nunchiは、2)のように、それ自体で「空気を読むスキル」を指し得ることも合わせると、日本語の空気を読むという時よりも肯定的なイメージ、より状況を支配する側に近いのではないかと思われる。
情報提供してくれたシヨン君に感謝…!