#54 なかなか感じ得ない世界
授業で鈴木孝夫先生の本を紹介したこともあり、久しぶりにパラパラと読み返しています。当時衝撃を受けたのは、『日本語と外国語』にある「蝶と蛾」のセクションでした。
鈴木先生自身も驚かれたと書かれているのですが、フランス語、ドイツ語、ロシア語には蝶と蛾をまとめた《鱗翅種(りんししゅ)》の総称があり、日常的には両者をことばの上で区別しないそうです。たとえばフランス語では蝶も蛾も papillon(パピヨン)と呼びます。犬種のパピヨンも、大きな耳が蝶の羽のように見えることから名づけられたものです。ただ、区別が必要なときには「夜の蝶」を意味する papillon de nuit という言い方で蛾を指します。ドイツ語も同様で、蝶は Schmetterling(シュメッタリング)ですが、「昼」「夜」をつけて Tagshmetterling(昼の蝶)と Nachtschmetterling(夜の蝶)と区別することができます。ロシア語も、はっきりさせたいときだけ「夜の蝶」という形で蛾を表すことがあるそうです。
鈴木先生は本の巻頭に実際の図巻写真を掲載していますが、私も同じように papillon をフランスのサイトに限定して検索してみました。Google で「site:fr」を検索ワードに加えると、国をある程度絞って検索できるのですが、そこで出てきた画像には蝶と蛾が混じって一緒に載っています。その写真も下に載せておきます。
日本語や英語では、蝶と蛾、butterfly と moth を明確に分けて使うのが当たり前になっているので、こうした言語のあり方はとても新鮮に感じます。鈴木先生は「自分の言語に内在する対象認識のしくみを、普遍的なものと思ってしまい、他の言語にもそれを期待してしまうことを避けるのは難しい」と述べています。そして「知らなくても良いと思うかもしれないが、このような一見つまらないことを疎かにすると、思わぬつまずきに出会うことになる」と警告しています。
実際、言葉の違いは文学の理解にも関わります。鈴木先生が例に出しているのは、ドイツの大詩人ゲーテの『西東詩集』にある詩です。イスラム神秘主義思想の影響を受けて書かれたこの詩「stirb und werde!(死して成れ)」では、暗闇の中に燃える真実の炎に惹かれ、蛾(Schmetterling)が飛び込み焼き尽くされるという死と再生のイメージが描かれています。もしここを誤って「蝶」と訳してしまえば、日本語のイメージとしてはまったくおかしなものになり、正確な言葉の知識なしには文学鑑賞も成り立たないことを示しています。
さらに、日本語で蝶と蛾を見てみると、そのイメージの差は大きいと感じます。実際に ChatGPT で例文を調べてみると、
「蛾が部屋に入ってきてびっくりした」
「蝶が肩にとまって少し驚いた」
「色とりどりの蝶を見るのは楽しい」
「蛾の羽は地味な色をしている」
「蛾を見て怖がるひともいる」
「子供が蝶を追いかけて走っている」
といった具合に、蝶は華やかさや楽しさ、蛾は驚きや恐怖といったイメージで対比的に語られていることが分かります。
こうした区別が「当たり前」になっているからこそ、区別をしない言語では、どんなふうに言葉を通して世界を知覚しているのか…なかなか想像できなくて、とても気になります。
参考
鈴木孝夫(1990)『日本語と外国語』岩波新書
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https://www.larousse.fr/encyclopedie/images/Papillons_dEurope/1314120