#68 「安心」「安全」を疑う
毎年授業で使用している金星堂の『World Adventures 映像で学ぶ世界の文化と英語』を読んでいて、気になる記号が出てきたので、ここに少し書き留めておこうと思います。この教科書の面白いところは、アメリカやイギリスなど英語を第一言語とする国だけでなく、非英語圏の国々を対象に、著者が実際に現地に赴いて文化を紹介している点です。さらに、現地の人々が英語で質問に答える動画も収録されており、母語の影響による発音の特徴や、個人の癖についても触れています。それぞれの英語の多様性を認める World Englishes の考え方を体現する構成になっています。World Englishes についてはまた別の機会にまとめるとして、今回はそこで登場したダブルコーテーションの意味に注目したいと思います。
Chapter 6「France: The Regal Residence」では、ヴェルサイユ宮殿の歴史が紹介されています。ルイ14世がフランス統治に疲れ、パリから約20キロ離れた小さな村に建てた狩猟小屋を、のちに改修してヴェルサイユ宮殿としたという場面です。そこにこんな一文があります。
For comfort, the king [Louis XIV] made a few improvements to the Chateau. These "improvements" would employ around 30,000 workers and cost huge sums of money.(快適さのために、ルイ14世はこの城にいくつかの「改良」を加えた。これらの「改良」は約3万人を雇い、莫大な費用を要することとなった。)
私はこの箇所を読むとき、学生に「なぜ improvements がダブルコーテーションで囲まれているのか」を考えてもらうようにしています。improvement という語は本来「改善」「改良」といったポジティブな意味を持ちますが、その後に「3万人を使い」「莫大な費用を費やした」と続くことから、実際にはそんなにポジティブではないという皮肉を込めて、あえて引用符が使われているのです。
このように、特定の語や表現に「” ”」をつけて、その言葉を文字通りの意味では使っていないことを示すための引用符を scare quotes(スケアクオーツ) と呼びます。木村(2011)は英語版Wikipediaを参照しながら、「引用符が、その単語やフレーズがその文字通りの、あるいは習慣的な意味を表していないことを示すために、一つの単語またはあるフレーズのまわりにつけられる」と説明しています。そしてその使用理由について、「その語あるいは語句が普通ではない・特殊な・あるいは標準的でないやり方で使われていることを読者に示すためである。あるいはそれが慣習的な使い方への抗議の意味を含んでいる場合もある」と述べています。著者によっては「意味論的な屁理屈を示すために使う」とも言われます。また、話し言葉では両手でダブルクオーテーションの動きをすることから air quotes(エアクオーツ) とも呼ばれます。
たとえば次のような例があります。
Why wasn’t she at work yesterday?
She was sick.
Of course, she was “sick.”
(昨日、彼女なんで出勤しなかったの? ― 病気だったんだよ。 ― ああ、“病気”ね。)
ここでの “sick” は、実際には病気ではなく仮病をほのめかしています。このようにエアクオーツは、話し手が言葉の表面的な意味を信じていない、あるいは疑っているというニュアンスを加えるのです。
人気ドラマ『Friends』にも印象的なエアクオーツの場面があります。
Joey: Ross, I know you're pissed at me, but we have to talk about this.
Ross: Uh, actually, we don't.
Joey: Fine, okay, fine. But I gotta say, technically I didn't even do anything wrong.
Ross: What? You… you didn't do anything wrong?
Joey: I… I said I didn't technically.
Ross: Let's set aside the fact that you “accidentally” picked up my grandmother's ring and you “accidentally” proposed to Rachel.
Joey: Can I just stop you right there for a second? When people do this (“”) I don’t really know what that means.
ジョーイ:ロス、怒ってるのはわかってるけど、この件はちゃんと話さないと。
ロス:いや、別に話す必要ないよ。
ジョーイ:わかったよ、でも言わせてもらうけど、俺、厳密には何も悪いことしてないんだ。
ロス:は?お前、何も悪いことしてないって?
ジョーイ:いや、厳密にはって言っただろ。
ロス:お前が“偶然”俺の祖母の指輪を拾って、“偶然”レイチェルにプロポーズしたっていう事実はいったん置いておこうか。
ジョーイ:ちょっと待ってくれ、そのこのジェスチャー(エアクオーツ)って、正直どういう意味なのかわかんないんだけど。
この場面でロスは、ジョーイの「偶然」を信じていないことを示すために “accidentally” に2回エアクオートをつけています。ここからも、エアクオートが「そうは思っていない」「違う意味で使っている」という話し手の気持ちを示していることがよくわかります。
私たちは何かを強調したいときに「」をつけることがありますが、以前ネイティブの先生がこんなことを言っていたのを思い出します。電車や飛行機の広告などで「安心」「安全」とカギカッコがついているのを見ると、スケアクオーツ的に捉えてしまい、逆に「本当に安心・安全なのかな?」と少し不安になるそうです。強調のつもりが、かえって皮肉や疑念を生むというわけです。
リーディング教材の中には、こうした 著者の息づかいや感情が記号に表れている瞬間 があり、それを読み解くのもまた英語の面白さだと思います。
参考
木村大治(2011)『括弧の意味論』NTT出版.
Scott Berlin / 小林めぐみ(2021)『World Adventures 映像で学ぶ世界の文化と英語』金星堂
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[記号] [エアクオーツ] [World Englishes]