#53 レディのことば
大学で警備員さんと立ち話をすると、思いがけず言語学の話になることがあります。先日は、映画『マイ・フェア・レディ』が話題になりました。警備員さんにとっては「言語学=この映画」という印象が強いようで、その時代にこの作品を初めて観た人々の衝撃を体験してみたかったな、と感じました。
『マイ・フェア・レディ』は1964年のアカデミー賞で主要8部門を独占した、オードリー・ヘップバーン主演のミュージカル映画です。あらすじはこうです。
ロンドンで花を売っていた女性イライザは、言語学者ヒギンズ教授から「下品な言葉遣いを直せば一流のレディになれる」と言われ、言葉や礼儀作法のレッスンを受けることになります。猛勉強の末、社交界にデビューするものの、自分が教授の賭けの対象にされていたことを知り、ショックで彼のもとを飛び出してしまいます。(映画.comより)
ここで興味深いのは「言葉遣いを直せば一流のレディになれる」という考え方です。イギリスでは言語の変種が「階級」と強く結びついています(アメリカの場合は人種)。小山(2017)は、標準語が存在する社会では、標準語=フォーマル、方言=インフォーマルというステレオタイプが広がっていることを指摘しています。実際には標準・非標準どちらもフォーマル・インフォーマルなスタイルを持ちうるのですが、その事実はあまり意識されません。
イギリス英語で伝統的に標準とされるのはRP(Received Pronunciation, 容認発音)で、上層階級と結びついています。例えば標準変種では -ing の語尾は [iŋ](イング)と発音され、[in](イン)と発音する方は “g” の欠落(in’)として扱われます。また非標準変種では h の欠如もよく見られます。
映画では、イライザが “h” の練習をする場面が印象的です。ホースに向かって発音し、正しく “h” の音が出せれば火が動くはずなのですが、イライザはうまくいきません。
“In Hertford, Hereford and Hampshire, hurricanes hardly ever happen.”
を彼女は
“In ’artford, ’ereford and ’ampshire, ’urricanes ’ardly hever ’appen.”
と言ってしまい、火はまったく動きません。さらに不要なところに “h” を入れてしまう (“hever”) のは過剰矯正(hyper correction)の好例です。
ヒギンズ教授も歌の中で “Dropping H’s everywhere” と不満げに口にします。
さらに面白いのは、小山(2017)が指摘するように、上層階級の中にはむしろ標準英語から逸脱した表現(ain’t を使う、doesn’t を don’t にするなど)をわざと用いて、余裕ある洗練されたカジュアルさを示す人々もいることです。また、Mugglestone(2003)が述べるように、『ライオンキング』や『ターザン』ではイギリスの標準語であるRPが悪役にあてられることもあります。標準語が上層階級と結びつき、その「傲慢さ」や「排他性」が否定的に描かれている例です。
ヒギンズ教授の歌のタイトル “Why can’t the English learn to speak?”(「なぜイギリス人は正しく話すことを学べないのか?」) が象徴しているように、イギリスでは言語変種の使い分けが社会的アイデンティティに深く結びついています。イライザは標準語を身につけることで「レディ」になることを目指し、一方で上層階級は非標準変種をあえて使い、言葉遊びやカジュアルさを演出する。社会的な見せ方と変種の選択がいかに密接に関わっているかを示す、知っておくべき重要な事実だと改めて感じさせられます。
参考
小山亘. (2017). 「社会語用論」 井上逸兵編『社会言語学』朝倉書店, pp. 125–145.
Mugglestone, L. (2003). Talking proper: The rise of accent as social symbol. OUP Oxford.