令和七年 八月納涼歌舞伎 8月3日(日)~26日(火)
大槻 洋介 作
明け方の空をほんの20分ほどだけピンク色に染める現象「ビーナスベルト」。太陽が地平線の下にある一瞬、朝焼けの光が反対側の空まで届き、空の青色と溶け合って美の女神ヴィーナスを象徴する淡い桃色が現れます。
東北へ車を走らせた旅の夜明け、儚く美しいこの自然現象が空を染める瞬間に出会いました。その忘れられない景色を、ガラスを重ねてあらわれる淡いグラデーションによって表現しています。
ガラスを型に流しこんで固める鋳造技法で、色板ガラスを何枚も作成します。出来上がった板ガラスの表面に、一枚ずつ丁寧に平面研磨を施したのち、電気炉にて層に積み重ね、徐々に炉内の温度を上げてガラス同士を溶かして一体化。そして息を吹き込み、冷めてから表面を削り形を整えて、丹念に磨き上げます。
鋳造、積層、熔着、吹き込み、研磨…多くのガラス技法を組み合わせて生まれた淡く透き通ったグラデーション。光を受けて揺らぐ表情は、まさに「ビーナスベルト」の幻想的な輝きを宿す、唯一無二の作品です。
作家詳細
2019年
第27回 伝統工芸諸工芸展 日本工芸会賞
2019年
金沢・世界工芸コンペティション 島敦彦審査員特別賞
2020年
第28回伝統工芸諸工芸展 文部科学大臣賞
2023年
第63回東日本伝統工芸展 奨励賞
2025年
第65回東日本伝統工芸展 日本工芸会賞
江戸時代初期(17世紀前半)
後藤即乗(ごとうそくじょう)
えちごじしきんめぬき
金色に輝くこの目貫は、獅子舞の獅子頭をかぶりながら鼓を打つ姿が繊細に表現され、軽やかな音色まで聞こえてきそうです。鼓には三つ巴の紋があしらわれ、獅子の被り物の毛並みや歯、足元の草履、袴の柄や細かなしわに至るまで、丹念に彫り込まれています。
作者の後藤即乗(ごとうそくじょう)は、室町将軍・足利義政から始まって、織田、豊臣、徳川家に幕末まで仕えた金工の名家・後藤家の八代目。後藤家は、幕府お抱えの金工として将軍家や大名家の刀装具を製作するとともに、小判・大判の鋳造という重要な役割を担ってきました。ちなみに、日本橋の日本銀行本店は後藤家の屋敷跡です。
権威ある名工の家柄として、伝統や型を重んじた格式高い作品を生み出した後藤家の作風は「家彫(いえぼり)」と呼ばれます。
即乗本人は三代将軍・徳川家光に招かれて江戸に上ったといいます。その後32歳で早世したため、作品の数は非常に少ないものの、高い技術に基づいた作風は優美な洗練さにあふれています。
江戸時代中期(18世紀前半)
土屋安親(つちややすちか)
えちごじしめぬき
即乗の目貫によく似つつも、よりつややかで丸みを帯びた大胆な表情が魅力の一品です。手足、鼓の紐、袴の柄、瞳などには、銅の上に金・銀・四分一(銅と銀の合金)を重ねることで、カラフルな色味が表現されています。裸足の足先は、指一本一本まで丁寧に作られていて目を奪われます。
作者の土屋安親(つちややすちか)は後藤即乗の誕生から70年後、庄内藩(今の山形県)の藩士の子として生まれました。金工一派、奈良派に入門して数多くの作品を残し、奈良派の中でも特に評価の高い名匠「奈良三作」の一人です。
格式を重んじる後藤家の作風に飽き足らなくなった金工家たちは、自由で大胆な個性あふれる作風を求めて飛び立っていきました。その作風は「家彫」に対して「町彫(まちぼり)」と呼ばれます。安親も「町彫」の自由な作風を求めた一人です。
本作の越後獅子目貫は、即乗の金目貫を下敷きにしつつ、安親らしい大胆なアレンジが加えられていて、同じ題材でも異なる息遣いを感じさせます。かつて大小二組四点あったとされる安親の越後獅子目貫ですが、一組のみが現存、もう一組は記録にあるのみで行方が分からなくなっていました。そんな中、平成になって再発見された待望の貴重な目貫が、この度歌舞伎座に展示されている一品です。
目貫(めぬき)は、もともと刀身を柄(つか)にしっかり固定する目釘(めくぎ)の両端をとめる金具でした。やがて時代が下るにつれて、目釘を隠しながら柄を華やかに飾る「飾り金具」としてデザイン性が高められていきました。幅がわずか数センチほどの小さな部品ですが、持ち主の想いや遊び心をあらわす多彩なモチーフが施されています。
■「越後獅子」とは
雪深い越後の国から全国を巡った郷土芸能です。獅子頭をかぶって、太鼓を抱えたスタイルのこどもや若者たちが曲芸や踊りなどを披露し、江戸や上方では正月の風物詩として親しまれました。険しい獅子の顔は魔を祓い、幸せをよびこむ縁起物。「越後獅子」にも魔除けと幸福祈願の願いが込められています。
令和七年 七月大歌舞伎 7月5日(土)~26日(土)
江戸時代中期
奈良利寿(ならとしなが) 作
おおもりひこしちず だいしょうふちがしら
江戸時代中期の名工・奈良利寿(としなが)が手がけた、豪華絢爛な大小一組の縁と頭。大小とは長刀(大刀)と脇差(小刀)のこと。大小の刀をセットで装う逸品です。
徳川家康公の母・於大の方の実家である大名・水野本家の注文品と伝わり、利寿が大小ともに縁頭を揃えて制作したもののうち、現存するのはこれ一例のみといわれます。同じ意匠の鐔(つば)は現在、重要文化財にも指定されています。
この縁と頭には、大森彦七に襲いかかる鬼と立ち向かおうとする彦七、さらに鬼に驚き駆け出す馬の姿が躍動感豊かに彫刻されています。銅・金・銀を巧みに組み合わせた象嵌(ぞうがん)技法により、その表情や筋肉のうねりまで鮮やかに浮かび上がります。人物の彫りの精緻さと象嵌の妙技は、利寿の才気が光る逸品です。
利寿は浮世絵でいう葛飾北斎ほどの人物。現代まで残っている作品は少なく、とても貴重な一組と言えるでしょう。
「縁(ふち)」と「頭(かしら)」は、柄(つか)を飾る装飾金具。「縁」は柄の付け根を覆い、「頭」は柄の先端を飾ります。
帯刀時には相手から最も視線が集まる部分。だからこそ、刀の持ち主たちはここに凝った意匠をこめました。
安土桃山時代
古正阿弥(こしょうあみ)
たつたがわすかしずつば
深く鍛えあげられた黒紫の鉄の地に、古くから愛されてきた紅葉を大胆に透かし表したこの鐔(つば)は、安土桃山時代に作られた逸品です。右上の紅葉は「水」の文字にも見え、「ちはやぶる神代も聞かず龍田川からくれないに水くくるとは」の歌に重なり、紅にそまる水面の情景を思い浮かばせます。当時の人々も、この鐔に「紅葉狩」の風情を感じていたのかもしれません。
「阿弥」とは、室町将軍家に仕え、その道を究めた者に与えられた称号で、刀剣の本阿弥、能楽の観阿弥・世阿弥と並び、正阿弥もその一つに数えられます。正阿弥は「地透鐔(じすかしつば)」と呼ばれる、図柄を残して地を透かす技法を生み出すなど、デザイン性に富んだ鐔を多く世に送り出しました。安土桃山時代以前の作は「古正阿弥」と呼ばれて、特に珍重されています。
安土桃山時代になると、長く続いた戦乱が少しずつやわらぎ、新たな文化の息吹が感じられるようになります。この鐔のデザインは正阿弥の特徴である左右対称となる図柄から一歩進化して、非対称の美しさをみせています。また艶のある黒紫色は、厳選された地鉄を用いた証。この鐔が実用品として量産されたのではなく、特注品であったことを示していて、教養のある注文主がいたことをうかがわせます。
室町時代
古金工(こきんこう)
あきのそうろくずつば
「古金工」とは、室町・桃山時代の作で、無銘の総称です。『百人一首』にある「奥山に紅葉ふみわけ鳴く鹿の声きく時ぞ秋はかなしき」―奥山で、散り敷かれた紅葉を踏み分けながら、牝鹿が恋しいと鳴いている牡の鹿の声を聞くときこそ、いよいよ秋は悲しいものだと感じられるーの歌を思い起こさせます。
あざやかな紅葉の中、金に輝く牝鹿が銀の牡鹿を追う愛らしい姿が繊細に描かれています。牝鹿の背には斑点の鹿の子模様がちらり。まだ夏毛が残る頃合いなのか、初々しい幼鹿の姿なのか、その愛おしさに思わず目を奪われます。
古代中国では、鹿は神の乗り物として聖なる存在とされ、日本でも奈良・春日大社や広島・厳島神社で「神鹿(しんろく)」と呼び、神の使いとして大切にされてきました。さらに「鹿(ろく)」の音が、長寿と幸福を司る福禄寿(ふくろくじゅ)の“禄”(ろく)と同じであることから、鹿文様は吉祥のシンボルとして古くから人々に親しまれてきました。鹿の姿が施された意匠には、長寿や繁栄への祈りや祝福の意味が込められているのかもしれません。
鐔全体を覆うのは魚々子地(ななこじ)といって、鏨(たがね)でひとつひとつ打ち込んで、小さい粒をちりばめるように仕上げる技法。連続する打点が密集すると、まるで魚の卵がぎっしり並んだように見えることからその名がつけられました。魚々子打ちの専門工によって丁寧に細やかに撃ち込まれた粒は、制作に費やされた長い時間と匠の息遣いを感じさせる、手間と情熱の結晶です。
鐔(つば)とは、日本刀の柄と刀身の間に嵌め込まれる輪状の装飾金具です。戦闘時には握った拳を護り、突き刺しの際には手が刃へ滑るのを防ぐ実用性を備えつつ、刀身を通す中心孔の両脇には小刀「小柄(こづか)」や身だしなみ具「笄(こうがい)」を差し込むための孔を設けています。
無骨な鉄肌を生かした粗削りなものから、彩色や象嵌を施した華やかなものまでデザインは多彩で、丸形・角形・卵形など形のバリエーションも豊富。防御具としての機能美と、持ち主の趣味や格式を映す装飾美が共存する、刀装具の要です。
令和七年 團菊祭五月大歌舞伎 5月2日(金)~27日(火)
六月大歌舞伎 6月2日(月)~27日(金)
重要無形文化財「鍛金」各個認定保持者(人間国宝)
大角幸枝 作
ぎんどうしゃくどう はぎあわせかき あかいうみ
3人の師との出会い
大角幸枝は東京藝術大学美術学部芸術学科在学中に工芸実技に興味を持ち、中でも金工の技術と素材の魅力に惹かれて、卒業後に帯留など金具の第一人者であった桂盛行に師事し、金具や器物の制作を通して彫金の基礎を学びました。
やがて、表面装飾だけでなく、土台となる器胎(きたい)の制作にも興味が湧き、後に「鍛金」で「人間国宝」となる関谷四郎に師事しました。関谷からは、金鎚や木槌、当て金、木台などの道具を用いて、金属板を叩いて成形する「鍛金」の技術を修得しました。その後、「彫金」の「人間国宝」であった鹿島一谷に師事し、「布目象嵌(ぬのめぞうがん)」の技術を習得しました。「布目象嵌」は、地金の表面に鏨で布目状に細かい縦横斜めの切れ目を入れ、そこに金や銀の箔を叩き込んで文様を表す南蛮渡来の象嵌技法です。
3人の師匠から学んだ技法を創作に取り入れて、海、山、波、風、雲などをテーマに、独自の世界が完成しました。「流れるような稜線と金属特有の色彩が量感豊かな器形の美しさを引き立たせる、現代感覚にあふれた独自の作風」と評価され、「鍛金」の分野では、女性で初めて「人間国宝」に認定されました。
おおすみ ゆきえ
大角 幸枝
重要無形文化財「鍛金」保持者
分野:金工
1945年生まれ
1987年
第24回日本伝統工芸展 日本工芸会総裁賞受賞
2010年
紫綬褒章 受賞
2015年
重要無形文化財「鍛金」の保持者に認定
2017年
旭日小綬章 受章
重要無形文化財「蒔絵」各個認定保持者(人間国宝)
室瀬和美 作
まきえらでんまるばこ はくよう
気品と風格を備えた蒔絵
室瀬和美の父・春二は、石川県・輪島から東京に出て来て活躍した漆芸家。和美自身は東京藝術大学で、近代漆芸を代表する作家・松田権六、田口善国らに師事し、漆芸の技法や創作姿勢について学んだ後、父のもとで制作活動に入りました。
沈金で知られた父とは異なり、金粉を巧みに使った蒔絵の技法を極め、2008年57歳で国の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されました。認定理由は「伝統技法を踏まえながら独自の工夫を加え、多彩な色彩表現を取り入れた制作を行う。その作品は、現代的感性が表現された端正な意匠と構成を特色とし、気品と風格を備える」とされています。
独自の創作活動だけではなく、北条政子の奉納とされる国宝「梅蒔絵手箱」(三嶋大社所蔵)など、名品の復元模造制作も手掛けています。
むろせ かずみ
室瀬 和美
重要無形文化財「蒔絵」保持者
分野:漆芸
1950年生まれ
1985年
第32回 日本伝統工芸展 日本工芸会奨励賞
2008年
第47回 日本伝統工芸展 東京都知事賞
2002年
第49回 日本伝統工芸展 日本工芸会奨励賞
2008
重要無形文化財「蒔絵」保持者に認定
平櫛田中 作
もくちょうさいしき かがみじし
昭和11(1936)年、高村光雲や朝倉文夫と並ぶ日本の近代彫刻を代表する彫刻家・平櫛田中のもとに、六代目尾上菊五郎の木彫作品を製作する話が舞い込みます。
平櫛は、舞踊の名手として名高かった菊五郎の踊る姿を作品にしようと、「鏡獅子」を選びます。「鏡獅子」は、歌舞伎の近代化に尽くし、「劇聖」と讃えられる九代目市川團十郎が、2人の娘と共に踊るため、福地桜痴(ふくちおうち)に依頼し作られた作品です。菊五郎は、若い日、父・五代目の好敵手であり盟友でもあった團十郎に預けられ、稽古をつけてもらっていましたから、願ってもないことだったでしょう。
平櫛は製作に取り掛かりましたが、思うように進みませんでした。そのうちに太平洋戦争が始まり、それどころではなくなってしまいました。製作が再開されたのは戦後。完成したのは、昭和33(1958)年。製作を始めてから実に22年が過ぎ、平櫛は86歳になっていました。すでにこの時、六代目菊五郎は亡くなっていました。
「鏡獅子」は、107歳まで生き、文化勲章を受章した平櫛田中の数多くの作品の中でも「畢生の名作」とされています。名人同士の心が通じ合い、魂がこもった作品となっています。
歌舞伎座に展示されている作品は、多く生み出された試作品の一つ。完成作は東京国立近代美術館の所蔵となり、閉館するまでは国立劇場大劇場ロビーの正面に飾られていました。
ひらくし でんちゅう
平櫛 田中
1872年生まれ
1979年没
1962年
文化勲章受章
令和七年 四月大歌舞伎 4月3日(木)~25日(金)
吉田幸央 作
きんらんで さいしき みずさし
きんらんで さいしき つぼ
五彩に秘められた謎
「九谷五彩」と呼ばれる赤・黄・緑・紫・紺青による鮮やかな上絵付けが特徴の色絵磁器・九谷焼は、江戸時代前期の明暦年間に、加賀藩の殖産事業の一環として始まったとされますが、約半世紀後の元禄末期には忽然と姿を消します。
その理由は諸説ありますが、はっきりとはしません。この頃に作られた物は数も少なく、「古九谷」として骨董の世界では珍重されています。
それから1世紀ほど後の文化四年(1807)、加賀藩は、京焼の名工・青木木米(あおきもくべい)を招き、金沢の春日山に窯を開かせます。これを切っ掛けとして加賀一帯で磁器の生産が盛んなります。この時の物は「再興九谷」と呼ばれています。
ちょうど、その頃、国内で陶石が発見され、加賀藩は、藩内の産業の保護のため、陶・磁器の移入を禁止します。
よした ゆきお
吉田 幸央
分野:陶芸
1960年生まれ
2018年
第59回 石川の伝統工芸展日本工芸会賞
2016年
第57回 石川の伝統工芸展 金沢市長賞
2010年
第57回 日本伝統工芸展 高松宮記念賞
田中義光 作
まきえばこ 「しゅうさい」
北前船が広めた「堅牢優美」な漆器
「堅牢優美」という点においては輪島塗に優る漆器はありません。
その堅牢さは、木地に生漆と米糊を混ぜたもので布を貼る「布着せ」に始まり、生漆に米糊と地元でとれる焼成珪藻土(しょうせいけいそうど)を混ぜたものを塗っては研ぎ出す作業を何度も繰り返す地道な作業から生まれます。この技法は、「本堅地仕上げ(ほんかたじしあげ)」と言われます。
現在のような「輪島塗」の技術が確立したのは江戸時代に入ってから。その後、「蒔絵(まきえ)」「沈金(ちんきん)」といった加飾の技法の発達で、「堅牢」という実用性だけでなく、「優美」な芸術性も兼ね備えた漆器となります。
輪島は、日本海を行き交い交易する「北前船」の有数の寄港地でもあったため、輪島塗は全国へ販路を拡大し、広く知られるようになりました。
たなか よしみつ
田中 義光
分野:漆芸
1971年生まれ
2024年
第71回 日本伝統工芸展 日本工芸会 奨励賞
2023年
第40回 日本伝統漆芸展 朝日新聞社賞
2022年
第69回 日本伝統工芸展 高松宮記念賞
令和七年 三月大歌舞伎 3月4日(火)~27日(木)
重要無形文化財「長板中形」各個認定保持者(人間国宝)
松原伸生 作
ながいたちゅうがた かさねひしもん
「長板中形」は、型紙を使った藍染めの技法。江戸時代後期、江戸で銭湯が増えると同時に、全国的に木綿の生産が盛んになり、浴衣が広く着られるようになりました。浴衣は風呂上りだけでなく、夏のおしゃれ着ともなりました。
その時代、人気だったのが、歌舞伎者役者の好みの柄。3代目尾上菊五郎の「菊五郎格子」、初代中村芝翫の「芝翫縞」、4代目坂東彦三郎の「彦三郎縞」などがあります。
本作品の「重ね菱」は、繁栄や豊穣を象徴する吉祥の文様です。作者は、祖父・父と3代にわたり「長板中形」の技法を受け継ぎ、藍と白の対比が見事な作品の数々を生み出し、祖父と同じく「人間国宝」にも認定されています。
まつばら のぶお
松原 伸生
重要無形文化財「長板中形」保持者
分野:染織
1965年6月14日生まれ
2023年
重要無形文化財「長板中形」の保持者に認定。
2023年
第57回 日本伝統工芸染織展MOA美術館賞
2020年
第67回 日本伝統工芸展日本工芸会保持者賞
重要無形文化財「色絵磁器」各個認定保持者(人間国宝)
十四代 今泉今右衛門 作
いろえ うすずみ すみはじき さくら しきかもん かびん
陶磁器の世界では、10代以上も続く名跡は多くはありません。その中で「今泉今右衛門」の名跡は14代目。先代に続き、「人間国宝」に認定されています。
江戸時代には、鍋島藩の御用窯の「御用赤絵師」として、将軍や諸大名への贈答品を手掛けました。「鍋島焼」は、日本の磁器の中で最高峰とされ、その技術は「藩外不出」とされました。明治に入り、統制が解かれ自らの窯が築かれると、初めて一般に流通するようになります。
当代は、「墨はじき」という伝統技法を「雪花墨はじき」へと発展させました。鍋島焼は、歌舞伎と同じく、代を重ねながら、伝統を土台として、革新的な作品を生み出し続けています。
いまいずみ いまえもん
十四代 今泉今右衛門
重要無形文化財「色絵磁器」保持者
分野:陶芸
1962年12月30日生まれ
2014年
重要無形文化財「色絵磁器」の保持者に認定。
2004年
第51回 日本伝統工芸展東京都知事賞
2004年
第39回 西部伝統工芸展KKB鹿児島放送賞