祈りと沈黙
(3)
──それから五年の月日が流れた──
──おめえがあのマグルかと思った。
モーフィンという、蛇語使いの男はつぶやくように話した。
──おめえはあいつにそっくりだ。リドルに。俺の妹が惚れたマグルに。
だが、あいつは戻ってきた。妹を捨てたんだ──
朦朧とした蛇語の声が、頭の中で何度も反芻される。
震えるほどに強く、杖を握る手に力をこめる。爪が手のひらに食い込んでいたが、その痛みすら感じなかった。
胸の内に憎悪の炎が広がっていく。
快晴が続くある夏の日、フランク・ブライスは、汗をぬぐいながら植木の剪定に勤しんでいた。
フランクはリドル家が雇っている庭師だ。戦争に行って以来片足を少し悪くしていたが、熱心な働き者だと家の主人からも重宝されていた。
夏の間の庭木はすくすくと成長し、四方八方に枝を伸ばしている。その枝を一つ一つ切りそろえていたフランクは、ふと門前に人影あることに気が付いた。 夏だと言うのに黒ずくめの格好をした少年が一人、リドルの館をじっと眺めている。
「どうした?坊主」
フランクが声をかけると、少年は彼の方へ顔を向けた。
白い肌はいっそ青白いほどだが、目鼻立ちの整った美しい少年だった。
フランクは一瞬首を傾げた。少年の顔が誰かよく知っている人物に似ているような気がしたのだが、それが誰であったかとっさに思い出せない。
「こちらがリドルさんのお宅ですか?」
少年はよく通る声でフランクに尋ねた。
「ああ、そうだ。旦那さまなら今留守だが、何か用かい?」
いえ、と少年は短く答える。軽く会釈をすると何も言わずに立ち去っていった。その後姿を少しばかり訝しく思いながらも、フランクは仕事に戻る。
少年が去って随分経ってから、彼は心に引っかかっていたことをようやく思い出した。
──そうだ。あの小僧っこ、
若旦那さまのお若い頃に、よく似ていたんだ…──
その日の晩、リドルの館は一階の居間と二階にある書斎に灯りがついていた。
書斎で本のページを捲っているのは、年の頃は四十ほどの一人の男だった。
男はソファーの上でくつろぎながら読書にふけっている。ふと、時計を見やると、針は深夜に近い時刻を指していた。
あともう少し読み進めたら、そろそろ寝室に行こう──そんなことをぼんやり考えていた時だった。
階下から何か物音が聞こえたのだ。それに続いて悲鳴と、怒声のような音が。
男は眉根を寄せて、もう一度時計に目を向けた。この時間であれば、両親もそろそろ寝室に入るころではないだろうか。
不審に感じながら、男は本を置くと階下へ向かった。
「どうしたのですか。一体何の騒ぎです? 父さ……」
居間の扉を開けたとたん、男は言葉の続きを失う。
上質な絨毯の上に、彼の両親が二人とも倒れ付していた。
「父さん…!!母さん!!!」
顔色を変えて男はふたりの体に駆け寄る。目を見開き、恐怖の表情をはりつけたまま、二人は微動だにしていなかった。 声を荒げて何度も呼びかけ、揺すってみても何の反応も示さない。
「無駄ですよ。彼らは死んでいます」
突然聞こえてきた声に、男ははたりと動きを止める。声のした方を振り向くと、暖炉近くの壁にもたれるようにして一人の少年が立っていた。
黒い髪に青白いほどの顔色。底なしの闇を思わせる瞳。
少年はその顔に、薄い笑みを浮かべていた。
「だ、誰だ?!君は!!一体、父達に何をしたんだ!?」
蒼白な顔をして慌てふためく男に、少年は変わらぬ笑みを浮かべたまま口を開いた。
暖炉の炎が不自然なほどに赤く、紅く燃えている。
「僕の顔に見覚えがありませんか?」
少年の問いに、男は怪訝そうに眉をひそめる。
「…見覚えだと?…そんなものはない。君のような子どもに会ったこともない」
「そうか…残念だな。僕はあなたと同じ名前を持っているのに」
少年──トムは完璧な笑顔をはりつけて、男──トムに言った。
「初めまして“父さん”」
一拍置いて男に顔が驚愕の表情に変わる。
「……まさか、君は…彼女の………」
その言葉を最後まで終えることはできなかった。
少年は闇の瞳に紅い炎を宿らせて、男を射抜く。
「Avada Kedavra!」
その呪文とともに、緑色の激しい閃光が男を包み込んでいった。