彼は海を色で呼び、水を触る
私は海を水と呼び、海を見る
明日が無いと信じることは
明日を思い描くこと
星空を見上げると海が見え、海を見下ろすと星空が広がる
よく晴れた日の電車は、どこからも浮遊しているようだから好きだ。
よく晴れた日、青空の中にある月が好きだ。
星が好きなのはトゲトゲしているから、月が好きなのは、存在し得ないかもしれないからだ。
月とは、文字みたいだから、好きだ。
はじめて読んだ18の頃、二十歳を迎えることに恐れなかった。私は幼い頃の気持ちをずっと手放さずにいられると、寂しくさえいれば、苦しくさえいれば、私は子供のままだと、あの頃からのずっと続く時間を手放さずにいられると思っていたから。絵を描くのが好きだと言ってしまったあの頃の私を肯定するためだけに、美術を続けていたから。けれど、そんな期待はすべて、思い通りにいかないものである。
私を超える力を望むこと。無理をすること。人は、いくらでも無理ができると思う、無理さえすれば、できないことなんてなにひとつないのだと思う。けれど、そのためには、犠牲という名の養分が必要であるから。いちばん大切なものと引き換えに、人は無理をしていくのだろうか。それとも、なくなってしまうから、私は大切に思っているのだろうか。
記憶と生活、このふたつがぼろぼろと剥がれていくさまを、呆然と見ることしかできない。
私は、もう、私でいられない
無理をしすぎたのかもしれない
もともと、なにもできなかったのかもしれない
もともと、なにもなかったのかもしれない
私の思い出。18から24まで。
私を確定づける要素は私の身体にも精神にも存在せず、私を覚えているのは、視界の端に映り続けたこの本であり、作ることを、見ることを支えていたのは、この文字や記号の存在だけなのである。私の存在は、ここにある小さな物たち、既に死んだ彼女らや手の触れることのできない彼ら、友人になり得なかった数々の人間、見逃したごみたちで成っているから、私と私はあまりに違い、私は私のことを何も知らない。
この世のすべての芸術や学問は、水面のような鏡で、何かを見ようとすれば、そこにあるのは揺れ動いた自身の姿でしかない。人が感想を声に出すのは、がさがさと鳴る自分自身の生きる音を掻き消すためなのかもしれない。空気の振動によって言葉が声に変われば、私たちは、私というものに包まれる責任から逃れられる、閉鎖的な空間で聞こえるこの限定的な音に、コミュニケーションという名が付いてしまうのだとすれば、私はあまりにも独りである。独りであると、書く必要のないほど、私は独りである。
コミュニケーションという名に、もっと数々の別の意味が付与されるなら、ここに、目と目が合わないそれがあるならば、私は、あまりにも豊かである。私はひとりじゃない。1人でいれば、寂しくない、から、かもしれない。
私の好きなもの、文字、本、エッセイ、文学、ヒップホップ、哲学、服、ネイル、星、カレー、散歩、クリスマスツリー、トマト、みかん、シャチ、虎、犬、海、たまに人間。
それに、美術、なのかもしれない。今、この瞬間までは。
私たちは、お互いの顔が見えない。
ページを捲る時間と、あなたの時間は、この先もずっと交わらない。
だからこそ、私は、背表紙を撫でるだけ、道を歩くだけ、目を閉じるだけであなたと出会うことができる。絵を見に行って、人混みが怖くなっただけ、自分の猫背が気になっただけ、でも、帰り道はいつもより世界が綺麗に見えた、と言ってもいい。何気ない景色や物体に、意味を付与する人が存在するのかもしれない、真理を見ようとした人がいるのかもしれない、それだけで此処には絵が広がるのだと思う。
映画、エンドロールの時間がいちばん映画を見れる
絵画をはじめて見るのは、そこから立ち去った時、
帰り道のバスの山道、電車の車窓
今日も空は青く、丸い
地球という円を描かされる 私たち
たとえば、ある悲しみを、ある社会を保つために無視せざるを得なかったとして、それとも逆に、いまこの芸術にすべてを託したとして、いったい何になるという。どうにもならないから、助けられないから、自分の無力さを知っているから、だから、私はあなたと一緒にいたいと思う。
救われないから、だからあなたの存在が救いである。
私から、この世界から、悲しみが尽きることなんてあるのだろうか。狭さに閉じこもって、世界を無視して、傷を舐め合いたくない。道路にゴミが飛び、走る車にまわされ舞い続ける。私がそうなるべきだったのに、そうやって流れていく涙を無視したくない。命ある悲しみを忘れたくない。自分にとってあまりに大きかった悲しい出来事と、ヒルマ・アフ・クリントが、あなたが、交わるわけでは決してない。けれど、鳥のような離れた視点があるのなら、
私の円と、あなたたちの円が重なる地点は必ずある、私たちは産まれてしまったのだから。
私は、そんな瞬間を、私の時間の中に作っていきたい。
旅に出よう
道順は真直ぐがよい、本棚に差す光のように
文字が左から右へ流れるように、上から下に流れるように
鴨川とおなじはやさで 私は 今日を歩く
海に行こう
生きることと死ぬことをおなじにしてくれる この大きな存在に もう 委ねたっていいよ
私はあなたのことを何も知らない、何も語らない、何もできない
だから、どちらかが死んでも、私たちはずっと友達
海に行こう
海に行って、一緒に石を拾おう
石は きっと帰る場所を可視化してくれよう
今月、海の見える家に引っ越すよ
私は、絵を描ける
私は 独りである
だから、こんなにも、本を読むのが幸せ、ご飯が美味しい
誕生日は マティスの絵を見にいくの
いつか
あなたと一緒に
ヒルマ・アフ・クリントの絵を
この目で見よう
それまで
私は絵を読み、
読むことを作るから
ゆっくりと
あせることなく