大将

まち食堂あづまの大将


昔はアンコ、今は大将と呼ばれています。それがまち食堂あづまの大将こと、我妻智行さん。

おかずやぴーぷるを11年、酒肴あづまを5年、そしてまち食堂あづまが3年目を迎えています。なんとぴーぷるを閉じた後、もう一度修行をとお蕎麦屋、居酒屋で2年を費やしているのです。

そんな大将の食に対する情熱は大きく高く、様々なこだわりがメニュー一つ一つに込められています。その情熱が詰まったメニューを楽しみに待っている方々で、開店前から長い行列ができることも多いのです。夜には、予約で全席が埋まってしまうことも。正直その情熱の詰まったメニューを拵える側はとても大変だけど、帰り際の「美味しかった。また来るね!」という言葉には嬉しく楽しくさせられます。ありがとうございます。

これもやはり、寝る時間も惜しんで、料理調理に力を注いでいる大将の情熱の成果だと確信しています。

調理に使っている魚介類、これらは刺身で頂ける物ばかり。なので、刺身や寿司も他の強豪に引けを取らないことは、内々だけが知っていることなのかな?今皆様には、刺身や寿司にも興味を持ってもらえたら、大将のシェフ冥利に尽きるのではないでしょうか?


大将秘話

高校3年の時、進路相談という親と同伴の担任との面談がありました。在籍していた高校では、大体は大学進学を前提に話を進めます。が大将は、母親と担任を前に「オレは、焼鳥を焼きたい。焼鳥屋をやりたい」と。目の前の二人は沈黙。その沈黙の中大将は、母の息子に大学へ進学して欲しい、という熱い思いを蔑ろにはできず、最終的には「大学へ進学します….」と一旦譲りました。が、その後も夢を諦めず、大学在学中は焼鳥屋でアルバイトを続け、修行に明け暮れました。

大学卒業を控えた年、自分の夢を叶えたかったのですが、周囲からの反対を押し切れず、再度夢を据え置きました。親孝行とも思える大手食品メーカーへの4年間の就業(大手に入れるだけでも凄い!)、これは別の意味での修行と言えると思います。

その大手食品メーカーも退職の決意。いよいよ夢を叶えるべく関内の飲食店で修業を始めたのです。そんな中、実兄とその友人との「スーパーかねひら」の開業に伴い、その努力と腕を見込まれ「スーパーかねひら お惣菜部」を任される運びとなったのです。そこでの9年間の奉公(?)後、おかずやぴーぷる(お弁当・お惣菜屋)を立ち上げ、現在に至っています。母親へだけでなく身近の人達への配慮・熟慮は、我妻智行という人物の表れだと思います。


大将のその温め続けた情熱と味が、この「まち食堂あづま」に生きていると思います。


追記

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(筆:小野寺)

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