Stone Lithography

このページは,湊川短期大学図書館企画展「Stone Lithgraphyー石でする版画 リトグラフの世界ー」(202210/17~1028)の理解を深めるための解説ページです。

このページを読むことで,リトグラフの製法や特徴,その可能性などを知ってください。


<リトグラフについて>

リトグラフの原理は1798年、アロイス・ゼネフェルダーによってその技術が発明された。平たく研磨された石灰石の表面に、油脂分のある描画材料で絵を描いた後に酸性の溶液で処理をすれば、化学反応によって描画部分は親油性になり、それ以外の部分は親水性になる。描画材料を取り除いた後にスポンジで水を引くと、親水性になった部分には水が保持され、親油性になった部分は水をはじく。そこへ油性インクをまきつけたローラーを転がすと、水をはじいた描画部分のみにインクがのる。この上に紙をふせてプレス機で圧力をかけて絵を刷り取る技法である。(親水性の部分と親油性の部分の境界には段差がない。版面には凸凹がないために、主要版種では平版に分類される)当初この技術は楽譜の印刷に使われ、ポスターや美術作品など様々な分野で使われるようになる。リトグラフの技法を細かく分類すると版材や使用するプレス機によって様々な呼び名があるが、総合的に英語表記は「Lithograph(-y)」で、ギリシャ語の石という意味の「Lithos」

が語源となっている。


1818年には亜鉛の薄い板で同じ反応が得られる技術が開発され、1891年からアルミの板を使うようになった。重く扱いが大変な石の版(石版石)に変わり金属板の使用が主流になって以降、どちらを版材としていても「リトグラフ」と表記することがほとんどとなったが、その表現力の幅の広さと強さにこだわって石版石のみで刷られた作品を「石版画(Stone Lithography)」とあえて表記することがある。

「石版石」のための石灰石は、ドイツのバイエルンのゾルンホーフェンで産出するが、版材としては現在ではほとんど掘り出される事がない。日本では煙草のラベルなどの印刷で使用されていたが、版材料の置き換わった時期に破棄されずに残存していたものを、現在で一部の版画作家の他、大学や版画工房などの限られた場所でのみ使用しているたいへん貴重な材料である。

1900年代のパリの石版画工房「ムルロー」では、ピカソやシャガールなどによってリトグラフ作品が制作されてきた。現在でもこの工房の流れを汲む「イデム・パリ」では映画監督のデイヴィド・リンチをはじめ世界中のアーティストが石版石を使って版画作品を制作している。

 <安井の版画技法について>

1990年大学院2年在学中の秋、アメリカ政府の招待でクーパーユニオン大学のスクール・オブ・アートに8週間在籍し、版画の授業を特別聴講生として受講したことをきっかけに、その当時京都市立芸術大学では誰も使っていなかった石版石を使ったリトグラフ制作をはじめた。

版画は、基本的に1枚の版で1色を刷るため、多色刷りになると多くの版が必要となってくる。石版画の場合でも1点仕上げるために大量の大きな石版石を使用することは困難である。そこで、石版石を1枚だけ使用して多色刷りをする技法を、木版画で使われている「1版彫り進み」の技法から応用して発展させた。

石版石を製版してインクをのせると描画部分にしか付かず、描画部分以外の箇所は刷りとる紙の地が残る。描画した以外の石の版面にもインクをのせて石の形全体をイメージの部分と交互に刷り重ねて行く技法は安井オリジナルのものである。また、版にイメージを描くのは一度だけで、あとはそのイメージを部分的に消しながら刷って行くために版自体は残らず、失敗しても刷り直しができない。

安井は普段からメガネを使用しているし、最近は手元も全くピントが合わなくなった。結局のところ、ぼやけて見えるのが自分にとってのリアルな視界なのである。そこから、フラッシュライトなどの強い光のもとで見る景色や、暗闇の中にぼんやり見える物など、正常に見えなかったり見にくかったりする風景や物をモチーフとして作品を制作している。

作品のタイトルの「Retrace」には「さかのぼる」「回顧する」「追想する」などの意味がある。風景や物全体の形を少しずつ消していきながら、例えば、何気なく見る風景や物が、一瞬光の強さで形がつながって平面的に見えるなど、自分の感覚が揺れ動いた瞬間を時間をさかのぼって掘り起こして留めておきたいと考えて制作したシリーズになる。


図書館に版画やポスターの書籍があります。あわせてご覧ください。