GIC Liberal Arts 

探究論文

リベラルアーツから当事者性へ、活動からアカデミズムへ

 リベラルアーツとはなにか。

 世界の見え方を変えること。そのための「目」を持つこと。当事者として問い、世界を描くこと。

虫の目、鳥の目、大樹の思考を駆使して、「おまえは、誰だ?」「おまえは、どうしたい?」「おまえは、どう在る?」をシコウすること。

 自身の立っている位置から、世界を広げること。始めは相対化されたものとして俯瞰し、そのシステムを描き出す。世界の傷を見出し、その修復のためのシステムへの働きかけを思考し、志向し、試行する。それらの世界の中で、自分はどう当事者であるのか?を考える。感覚と思考を総動員して、世界における当事者性を問う。世界の構造と自身の文脈が接続されるとき、自己と世界の結節点から、ある問いが生まれる。

 なぜ、問うのか。

 それは希望だからだ。その場所に置かれたという不条理、傷み。ある不条理な世界と地続きの場所に私がいて、自身もその当事者の一人であると識ったとき。問いは、そこから抜け出し、ここではない何処かへ行くための導となる気づきだからだ。あるいは、その場所に心動かされるという憧憬、あくがれ。そこへと抜け出し、その感情を抱きながら生きるための発端となるからだ。さらにまた、「分からない」からだ。複雑すぎて、矛盾していて、簡単には分けられない。でも、なぜかそれを無視できない。だから問うのだ。

 そのようなものとして問いが抱かれるとき、それは既存の「正解」をなぞる模範解答へ至るものではない。また、すでに「正しい」とされているものごとの中で生きる、安全なところから「それらしい」答えを述べて何かを成し遂げたような錯覚に陥る類のものでもない。

 「私自身の問い」として世界に向き合うとき、そこから学問は始まる。ここにあるのは、そうした問いと、ここから始まってゆくそれぞれの学術の萌芽としての、揺籃の記録であり、羅針盤である。独自科目「LiberalArts」の集大成として、GICとしての活動の集大成として、そして次の針路での第一歩として、ここに彼らの「探究論文」を記録する。