F間です。まだCLをやっていますよ。今期の新たなCLを生み出すべく、GWに大峰の南部は釈迦ヶ岳〜玉置山間を縦走してきました。一言に纏めるとまさに修験道って感じの道でしたね。昨年のいろんな業を背負って生じた計画なので当然かも? それはさておき、3日間晴天でつつがなしの山行でした。
メンバー:F間(CL/医療/記録)、T脇(SL/気象)、MSD(装備)、S井(食当)
日時:2025年5月3日〜5日(土、日、月)
左が1日目、右が2-3日目です。
21時にBOXに集まり出発...の予定が登山届を書き忘れていたり吉野家に行っていたりで結局22時に。2回生たちは何も悪くない。装備点検で前日に共同装備を固めていたが、出る前にもう一度確認して出発した。今回ドライバーはN田にお願いしていたのだが、彼はウィッシュよろしく車を私有しており、レンタカー代を浮かせることができた。大変ありがとう。4人+ザックでギリギリ入るぐらい。まずは買い出しを済ませるために京終のラ・ムーへ向かう。N田カーはエンブレが弱くずっとクラッチ切ってるみたいな走り心地で慣れるのに時間がかかった。
23:30 ラ・ムーで買い物をしたのは自分とS井だけのようであるが、久しぶりの山行に自分が何を買えばいいのか分からず、これまた時間を消費してしまった。運転をN田に代わってもらっていざ太尾登山口へというところだったが、ここでCLのYAMAP学生プランが期限切れしていることに気づく。まぁ地図2枚DLできるしええかーと思っていたら、改悪されて1枚しかDLできなくなっていた。いつまで学生しとるんやというYAMAPからのメッセージだろう。太尾登山口まではかなり標高を稼ぐ上、前日の雨かなんかで石が散乱しており、運転しにくそうな道になっていた。後ろで寝れていた後輩たちも駐車場直前の悪路で起きてしまった。
太尾登山口には3:00に到着した。星がとても煌めいていた代わりに、風もまた煌めいていた。5時入山を目処に1時間半仮眠をとることにする。
4:30に起床。メンバーは寝れたと言っても30分程度の様子。風が強く「宇宙ぐらい寒」かったが、そんなことは2泊3日が始まるという死活問題の前では些細なことだ。トイレと登山届を済ませ、観念して出発する。オーダーはこの際なんでもよかったが、T脇→MSD→S井→CLとした。
5:00に入山。入山してしまえばこちらのもので、そもそも入山口の標高が1350あり、また雲ひとつない快晴でもあり、快適な滑り出しであった。読図を問えるような地形も少なく、バレバレのピークで止まるよう伝えたところきちんと止まっていた。古田ノ森を通過するあたりで1時間立っていたのでレストをとった。CTは若干巻き気味である。ここで忘れ物に2つ気づく。一つは個人的な野菜ジュースであったが、もうひとつトランプを忘れてしまっていた。T脇は残念そうにしていた。(真面目な忘れ物は結局ありませんでした)
6:32に千丈平を通過。CS可としていたし同様の計画をKUWV内でも見かけたが、少なくとも6テン想定のCSはおすすめしない...。水場も前日に雨が降ったというのに渋かった。ここから釈迦ヶ岳まで上りが急になると同時にT脇のペースも少し落ちた。別に問題ないペースだったので急かすことはしなかった。
6:55-58 釈迦ヶ岳に到着。ようやく電波が通じたので入山連絡をした。最近役員会ではレストなどの時間管理が指摘されていることをふまえ、ザックを下ろさず写真をとるにとどめた。会心の晴天に八経ヶ岳が目立つ。入山して2時間弱、ここが3日間の最高地点である。ここまでずっと強かった風も不思議と鎮まり、MSDが釈尊の力ですかねみたいなことを言っていた。山頂にはでかい世尊の像が置いてあり、「南無釈迦如来」と書かれていた。ナーム。各位写真を撮っており、CLはいつもの不遜な写真をついに善逝をバックに撮れて満足していた。
入山
光顔巍巍(ヒカリカガヤクカヲバセナリ)
八経方面
深仙ノ宿に向けて歩き出していると笹藪が現れたが、濡れていなかったのでゲイターはつけなかった。7:31に深仙ノ宿に到着した。小さな避難小屋とそれとは別に密教系のご本尊があり、ご丁寧に座布団と鍳が置かれていた。水場は申し訳ないが、確認し忘れていました。レストを取ったのち7:45に出発。
この頃T脇がこの山行がただ歩くだけであるということに気づき始めた。一応言っておくと、展望はあるが見えるものがことごとくマイナーな山々なだけである。紀伊山地は広い。8時ごろに南奥駈道の看板に出会った。下を見ると笠が落ちていて、MSDの解釈によればこれは修験道の行者さんが途中で悟りを開き、もはや行の装備である笠がいらなくなったので捨てたということであった。なんとありがたいことであろうか。
9:01-12 天狗岳にてレスト。その手前の石楠花岳というピークを通過したことにT脇が気づいていないことが少々気になった。石楠花の読み方を知らず、付近にやたらシャクナゲがあるな〜となっている者もいた。CTは微巻き〜ちょうどぐらいだったが、最後の方はペースが落ちやすかったり、もうちょっと出せそうな様子だったのでペースを少し上げてもらった。CLが祖母傾にて学んだことである。
10:03-13 地蔵岳にてレスト。大峰奥駈道に出てくる仏教用語をほとんどMSDが知っていてすごいなと思った。すれ違った登山客と話をしていたが、吉野〜持経ノ宿〜熊野で1泊2日というとんでもない縦走をしている人もいるらしい。ところでここら辺はCTの長さとピークの位置がちょうどよく、1時間間隔で各ピークでレストすることができた。
11:33-48 涅槃岳にてレスト。ここの上りがいちばんキツかったとS井が言っていた。その通りにメンバーの消耗も大きいようだったので15分のレストとした。涅槃岳の看板があったのでここで大般涅槃ごっこをやったのだが、誰も続いてくれなかった...。ちなみに大般涅槃とは涅槃(悟り)の中でも釈尊がひらいたものである。凡夫が生きながらにこれを得ることは難しいので、代わりに釈尊入滅の様子を真似ることで大般涅槃ごっこの内容としたい。
12:11 証誠無漏岳を通過。無漏とは煩悩を滅した清らかなありさまのことである。ここら辺からメンバーは無言になり、行動時間も7時間を超えて疲れている様子だった。
12:58 CS1の持経ノ宿に到着。最後の下りはものすごくペースが速まりついていくのに苦労した。T脇とMSDは下りが速い。ほぼ8時間のコースタイム通りでしたね。
深仙ノ宿
地蔵岳にて
下の世界
臨終一念、証大涅槃
持経ノ宿は囲炉裏もあり、充電器もあり、緊急時用の非常食もあり、ポリタンクで汲まれた水場もあり、豊かな無人小屋だった。一人2000円お願いしますとのことだった。入山前の睡眠不足で、とっととスペースを決めて米を浸水させた後CLは一目散に寝てしまった。起きてみると自分たち以外に2人ほどしかいなかったのが10数人になっていて、移動を余儀なくされた。その後もちょくちょく遅くなってから到着する人がいた。
実は16時を少し過ぎて起きてしまったのだが、3人はすでに炊事と天気図に分かれて作業してくれていた。さすがっすね。T脇の天気図によれば、西に寒冷前線付きの低気圧が迫ってきていて、明日6時ごろ雨が降るという事前の天気予報も納得という感じだった。CLはこの日の行程でかなり足の筋疲労に直面し、メンバーもまぁ8時間は疲れましたねという感じだった。明日も所定の行程では8時間以上あるのでこの時点では手前のCS可(葛川辻)止まりかなぁと話し合っていた。夕飯はガパオライスだった。なんか、S井の炊いた米がCLの経験したKUWV以来文句なしNO.1の出来だった。秘密兵器にラムーで購入したモナカを投入したが、これが案外美味しかった。ごちそうさまの後は間髪入れずおやすみなさい。4:10起き5時発の予定とした。
持経ノ宿
ガパオライス
4:00ごろに周囲がガサゴソ始めたのでメンバーも行動開始。小屋の中はストーブと多くの人で暖かく、テントの撤収もないのでゆとりのある朝を満喫。朝食は食パンとスープ。食パンの苦手なCLの代わりにネズミが齧ってくれていた。大峰の小屋にもネズミいるんですね。小屋で隣り合った人は浦向というところからきていた。計画の段階でここへのエスケープを設定することを考えていたのだが、情報がなくてやめていたのだった。聞くところによるとかなり道は明瞭だったので、今後の参考までに。
5:00 出発。しっかり睡眠をとれて全員昨日より回復していたので、葛川辻で止まらずに塔ノ谷峠まで行く予定とした。天気はまだ晴れており、晴れ男の活躍を祈る。
5:48-6:00 平治ノ宿にてレスト。こちらは深仙とにて控えめな小屋だった。水場もポリタンクこそあったが空。ここら辺で明らかに西側の空が青黒くなっていたので、前もってセパ上とザックカバーを装着させた。また、登山靴を新調したT脇が靴擦れ気味だったのでテーピングしていた。かかとが若干擦れるので上りもペース控えめということだった。3日間下りの方が多かったのでラッキーだったかも。6時ごろ転法輪岳を通過。結構CTを巻いている。
転法輪とは釈尊の衆生への説法を意味する。北上(順峯)すると転法輪→証誠無漏→涅槃→釈迦とよくわからん順番になっていて、これって大峰の行者の世界観なのか通仏教的に釈尊の生涯を表しているのかわからないよねっていう話をMSDとしていた。
全体的に上りのペースが昨日よりも改善していると感じた。
6:47-57 倶利伽羅岳にてレスト。結局雨は降らず、段々と晴れてきていたのでセパを脱いだ。やはりこの中に晴れ男/女がいるのだろうと確信した。メンバーも体調がよく士気上昇。電波が通じたので倶利伽羅の意味を調べたところ、大日如来の化身である不動明王の化身の倶利伽羅竜王から来ているらしい。個人的にはここで床田完封の報が入ってきてガチ躁になった。
生食パンの代用に。F間からのオススメです。
平治ノ宿
山行を通じてツツジの類が綺麗だった
7:43-50 行仙岳に登り始める前にレスト。試しに前2人に下りのペースを自由にしてもらったら早過ぎたので抑えてもらった。行仙岳手前で笠捨山の向こうまで巻ける巻道(上級者向け)があった。
8:12 行仙岳を通過。倶利伽羅岳や転法輪岳が見えた。しかしここからどんどん景色が地味になっていき、暇になったので消えてもいいものしりとりを始めた。T脇が植物を消し、S井は消して欲しいものを消していた。
8:35-55 行仙岳山小屋に到着し、レスト。コーラやどん兵衛などを売っていて値段も悪くない。巻いているし9時ぐらいまで休憩しようかなと思ったが、長すぎん?みたいな反応をされたので抑えた。コーラ、超うまい。MSDが宗教を、CLがゲゼルシャフトを消したことで、家族以外の共同体がほぼ消え、人間は黙々と狩猟採集に勤しむ動物になった。
笠捨山の上り道中で、先頭のT脇が登山道を外れかけたところでピンクテープを見つけて自力修正していた。T脇は今後CLをやることになり、最後を歩くのであるから、ピンクテープよりも地形図をみて修正できてほしいなと思った。笠捨山の上りが2日目の核心だったかもしれない。しんどそうに登っていた。笠捨山には10:27に到着(レストなし)。ここでインドが消えたことにより0の概念が消え、T脇の経験値は6.0たり得なくなって錬成PWの存在意義が消えた。
10:49 葛川辻到着。もともとここで下山までの水を汲む予定だったので、それが終わってからレストということにした。ところがこの水場が登山道から90mぐらい下った沢にあり、道も整備がイマイチだったので往復40分を要してしまった。結局葛川辻を出発したのは11:45で、かなり時間を食ってしまった。
鎖場のある地蔵岳にさしかかる手前、12時過ぎにヘルメットをつけた。地蔵岳自体は12:29に通過したのだが、直後にCLがトイレを要求したのでそこで20分ほど時間を余分に過ごした。鎖場は規模こそ金毘羅のY懸ぐらいの高さだが、ホールドも豊富だし鎖はあってもなくてもという感じだった。ヘルメットはあってよかったかなと思う。
13:20-30 東屋岳にてレスト。この辺りからCLはひどい筋疲労で上りより下りの方が辛く、音を上げていたらT脇に「不審者と思われるのでやめてください」とぶった斬られてしまった。
13:59 香精山を通過。本当に下りが多い。T脇を錬成しているようで実は錬成されているのはF間だった...?
14:34 割とみんな消耗した状態でCS2の塔ノ谷峠到着。総行動時間は9:30ほどだが、水汲みとCLのトイレがなければ8時間すぎとこれまたCT通りで、悪くない。
塔ノ谷峠の狭さを懸念していたのだが、木の根っこにギリ侵食されながらダンロップの6テンをなんとか設営できた。これ以上は明らかに無理だった。風が強かったのでみんなテントの中で休みつつ、時間になったら炊事を始めた。明日明らかに晴れそうで天気図は別に良いかなと思っていたが、T脇が趣味だというので描いてもらった。寒冷前線は確かに通過していたが、雨をもたらさず通過後にカラッとした晴天をもたらすだけの善良な前線だった。むしろCLの方が邪悪で、メンバーの中で一番疲弊してテントの中でうずくまり、炊事をろくに手伝えなかった。玉ねぎをテントの中で刻んでいるとテントの中全員が目に沁みるということが起こった。夕飯は生姜焼きだった。米の炊け具合は100点の昨日と平均したら2日で50点かなという感じだった。この日も食べ終わるとすぐに就寝。同じく翌4:00起床とした。
寒冷前線のすぐ後が晴れてて草
生姜焼き
4:00に起床。食当のS井は荷物をまとめてテントから出て行ってもらい、残る3人でテントを撤収した。風の割には寒くなく、テントが一ミリも濡れていなかったのでやりやすかった。全体として速い行動ができていたが、朝ごはんのフォーが火力不足で少し時間がかかった。
とはいえ、4:59に出発できたので上出来でしょう。今日下山できるという最大のモチベ要素で迅速に塔ノ谷峠から降って行った。
5:41-48 如意宝珠岳に到着。時間的にはレストだったが、疲労度合いと先を急ぐ気持ちでザックをおろしたがらず、中途半端になってしまった。5:56 蜘蛛の口を通過。直後から車道に出始める。それと同時に、登山道からは常に電波が通じるようになった。朝食の調味油入りのフォーの残り汁を平らげたら胃がかなりキツくなっていて、行程が長かったら胃腸薬を飲んでいるレベルだった。同様に胃が弱い人には朝の油に十分注意されたい。
6:39-49 調子がいいと言っても流石にレストをとる。ずっと車道を歩けばいいものを、奥駈道のつまらないエゴでいちいち脇の登山道に誘導されウザい。7:08 花折塚を通過。
高させいぜい3mのエゴ
7:30-38 車道の途中に展望台があったので、あまり早く着き過ぎてもなと思い、寄り道した。遥か奥にうっすら釈迦ヶ岳が見え、ここまでの道のりの遠さを実感した。また付近の名もなき景色に名が与えられ、西側の山々は護摩壇山とか果無峠とかいうことがわかった。この展望と晴天を受けて、やっぱり素晴らしい山行だったのではという雰囲気が漂ってきた。
8:03 玉置山を通過。シャクナゲが満開でとても美しい。観光客もここまでは簡単にアクセスできるらしい。道ゆく人に記念写真をとってもらった。
8:19-32 玉置神社に到着。神社を少し観光してまわった。GWなのでものすごいお客さんだ。ここもシャクナゲが満開でよい。境内でドライバーのN田に遭遇した。一応は他人のフリをして駐車場まで下山する。道中、神恩報謝や商売繁盛などの願い事を書き込んだ玉置神社のノボリがたくさん並んでいた。一つ5000円らしい(安いな)。ワンゲルも「山行承認」とかにしてあそこに並べたらどうですか?
8:57 下山。お疲れ様でした!相変わらずの快晴に、素晴らしい休日がこれから始まる予感。
下山後の温泉は十津川温泉の「庵の湯」というところへ行った。小学生の夏休みを思い出すような景色がとても良くておすすめしたい。帰りの国道168号は高規格道路と酷道が交互に現れる躁鬱道路だった。打ち上げはどうしようかと考えていると、そう言えば奈良南部からの帰りには台湾料理屋に寄るべき(?)だったことを都合よく思い出し、レガシー要素を兼ねて吸い込まれて行った。3人にはこれが「台湾料理」屋ではなく「台湾料理屋」であることを理解してもらえただろうか。相変わらずの炭水化物とタンパク質の洪水で、間違いなくここが核心だった。
十津川村
記念碑
おつかれさまでした。行者のような計画やなと思っていましたが、終わってみたら常に高QOLで楽しい山行でした。問題が起きなかったのもよいことです。T脇も2人もCLとSLちゃんとできるなと思います。みんな、頑張ってね。