Trbです。9/18-19でPart3穂高岳に行ってきました。本来は2泊3日の計画でしたが、荒天のため2日目で撤退しました。
メンバー:Trb(CL,医療,記録,装備)、Nkd(SL,気象)、Ozk(食当)、Shr(装補)、Fks(客人)、Iin(客人)
9/18(Wed) 天気:曇りのち雨
0725 上高地バス停 入山
0834-0848 明神
0929-0945 徳澤
1036-1056 横尾 R
1140-1150 本谷橋 R
1232-1237 R
1312 涸沢ヒュッテ CS1
9/19(Thu) 天気:雷雨のち小雨
0722 CS1
0909-0928 横尾 R
1014-1029 徳澤 R
1107-1125 明神 R
1247 上高地温泉ホテル 下山
0725 上高地バス停 入山
メンバー全員が夜行バスで松本入りし、直通バスで上高地入りした。この時点での天気予報は18日が夕方から雨、19日は曇り時々雨、20日が雨だった。
上高地から明神館まで普段通っている左岸側の道が崩落により通れなくなっていたため、右岸側の道を通った。岳沢湿原も見ることができ、こちらの方が見どころがあるので道が直った後も右岸から行くのが良いと思った。
0834-0848 明神館
明神岳が綺麗に見えており、Fksが興奮していた。
0929-0945 徳澤
ノースフェイスのイスがあった。
1036-1056 横尾 R
Ozkが水を汲んでいた。電波が入ったので、天気予報を見ると天気が崩れ始めるのが早くなっていたため、降り出す前に設営できるよう、急ぐことにした。
1140-1150 本谷橋 R
涸沢では悪天が予想されるため、ここで撮れ高を作ろうと撮影タイムにした。
Nkdのペースが結構早かったが、Shr、Ozkはしっかりついていけていた。木曾駒の成果?客人2人も途中までは問題なかったが、このあたりからFswがしんどそうだったのでセカンドに行ってもらうことにした。
1232-1237 R
「Beware of falling rocks」を過ぎた辺りでレストした。この辺りでは予想以上のハイペースでみんな疲れていた。
ここから涸沢ヒュッテまではキツさがピークに達したのか、FksとOzkが奇声を上げていた。
1312 涸沢ヒュッテ CS1
テント場についてすぐ設営を始めた。何とか雨が降り出す前に設営を終えることができた。設営を終えるや否や、大粒の雨が降ってきた。することもなかったので、みんな寝ていたらしい。Trbは売店の辺りを散歩していた。
17時過ぎから夕食を作ることにした。雨が降り続いていたため、一方のテントに集まってテント内で作ろうとしたが、酸素が足りないのか火力が出なかったため、ヒュッテの方の机で作ることにした。メニューは鍋だった。米はFks・Nkdの監修のもとおいしく炊かれた。鍋もおいしかった。結果的にはこれが本山行のハイライトとなった。
秘密兵器を開封しつつ翌日の行動について話し合った。結局、行動基準を①強風雨または雷があれば行かない②それ以外の場合は穂高岳山荘まで行ってみてその先行くかを決める
とし、5:00起床として就寝準備に入った。20時ごろ就寝した。
雷鳴と稲光で4:30過ぎに目が覚めた。これは行けないな、と思いながらとりあえず5時になるのを待った。テント内からでも光っていることがはっきりわかるような発雷が何個もあった。
5時になるとテントから出た。ひどい雨だった。もう一方のテントの3人に朝食を昨晩と同じ机で作ることを伝え、お湯を沸かし始めた。風が強くて火が点いてもすぐ消えてしまい、一向に沸かなかった。バーナーFksのものにを変えるなど悪戦苦闘していると、となりの韓国人と思しき女性の方が風防を貸してくださった。ありがたい。風防の活躍もあって30分程かけてようやくお湯が沸いたので、朝食(スープと食パン)を食べた。
Trbの携帯は電波が入らなかった為、Nkdに天気予報・発雷確率を見せてもらうと19日の午後の発雷確率は19日午前中よりも高く、20日の朝~夕方は割といい天気だった。この時点で19日に奥穂を目指す選択肢は消滅し、残されたのは①19日のうちに撤退する②19日は沈殿し、20日に行動をして21日に下山という2択になった。しかし、ヤマテンによれば20日夜~21朝にかけて暴風雨(風速20m/s超えだったと記憶している)の予報だったため、20日に涸沢に泊まるのは厳しいと判断し、撤退することにした。
メンバーに撤退することを伝え、6時過ぎからテント・荷物の撤収を始めた。
0722 CS1
1時間ほどで撤収完了し、記念撮影をして出発した。
0909-0928 横尾
高度を下げるにつれて天気が穏やかになり、横尾まで来ると雨も小降りになっていたが、上の方は依然として雲の中だった。
1014-1029 徳澤
この辺りからNkdが足の裏が痛いと言い出した。登りは平気だが、水平距離が増えると痛くなるらしい。深刻でないことは分かっていたので、処置はせずそのまま進んだ。逆に下りのためFksはペースが上がっていた。
1107-1125 明神
1247 上高地温泉ホテル 下山
温泉に入ったあとバスターミナルに戻ってバスを待っていると、木がしなるほどの強い風が吹きだした。ヤマテンでは北アルプスに大荒れ情報が出たらしかった。
結果としては涸沢を往復しただけになってしまい、非常に残念な山行になってしまいました。しかし、天候判断を下した16日時点では19、20が晴れ予報のものも複数あり(tenki.jp、てんくら)、行ってみる価値はある状況だったと考えています。撤退の判断は安牌を切りすぎたかもしれないですが、変なリスクを負うよりはよかったと思っています。
今後への教訓として、たとえ涸沢泊の計画であっても横尾・徳澤などをC可にしておいたほうが良いことが分かりました。ブログを書いている途中に気づいたのですが、今回の状況の場合、結果としては19日沈殿→20日に2日目の行程を終えた後、横尾または徳澤まで戻って泊→21日下山が最善だったと思います。上高地入山の場合は、今後同じような状況になった時に柔軟に対応できるよう、横尾・徳澤などもC可にしておくことをおすすめします。
以下感想
Nkd:涸沢は個人的にも何度も行ったことがあるところであり、新情報といえるのは涸沢での雷雨だけだったので、個人的にはあまり満足度の高い山行ではありませんでした。後になって考えてみると決行すべきではない山行ではありましたが、天気予報のブレ・メンバーの予定もあったため、決行の決断をしたのは否定されるべきものではないと思います。そのうえで、撤退前日には撤退の条件を明確にしてメンバーに共有するなど、その場での対応としては問題なかったのではないでしょうか。全体を通してみれば、期待していた成果は得られなかったものの、各々のメンバーが普段得られない経験値を得る機会となったのではないかと振り返ります。
Ozk:悪天で撤退となってしまい、とても悔しかったですが、山ではこういうこともあると飲み込むしかないと思っています。それでも、涸沢まで登ってキツいキャンプをする経験が体力面や技術面などどこかで生きてくると信じています。
Shr:撤退することになったのは残念だったが、今振り返るといい経験だったと思う。大学生のうちに穂高へリベンジしたい。
Fks:荒天の涸沢に行くというのはなかなかない経験だと思うので、それはそれで良かったと思う。普段と違うpartyで山に行くことができたのも嬉しかった。また、自分は上りの最高速度が遅いので、出力を上げられるようもっと鍛えようと思った。
Iin:穂高までいけずに撤退となったのはとても残念でしたが、悪天候で引き返すのは正しい判断だったと思います。天気がいい時に再挑戦したいです!