F間です。年齢や所属がバラバラのメンバーを無理矢理(?)動員された4回生が束ね、これでええんかという感じだった4回生partyこと広島partyも、なんだかんだ4つの山行を完遂するに至りました。4度目にしてようやくパーティーメンバーが一堂に会し、北アルプス白馬岳にてフィナーレを迎えます。
メンバー:F間(CL/医療/記録/気象)、中M(SL)、Y田(装備)、I南(食当)、T橋、AKK、W
日時:8/19~21(月~水)
ルート概略。天狗の頭方面へは行かず、結局三日間の行動時間は4時間、5.5時間、5.5時間ぐらいであった。
入山前日松本駅での集合。CLが朝早くに広島を出て特急で、AKKが東京から鈍行で、その他は皆18きっぷで京都から松本へ向かった。15時過ぎに駅で合流し、そこからは大糸線で2時間弱かけて白馬へ向かった。そういえばCLは諸般の事情で頭を丸めており、これはリアクションが楽しみというか話題には困らないだろうなと思っていたのだが、いざ会ってみれば中村が”おー”となっていたのみでその他ノーリアであり、そんな気にも留めていないのかと悲しくなった。
17時半、白馬駅前の店で思い思いに腹越しらえをし、2泊3日の離陸へ向けて助走をつけた。その後白馬から一つ隣の駅に降り、AKKが予約してくれた宿に歩いて向かった。この宿から松本駅までの各時刻表など、AKKが全てコーディネートしてくれていた。前期中通してもはや影CLばりの活躍である。大変ありがとうございます。
宿に着いては共同装備の分配をした。体力に不安のあるWとI南におもねった結果、中Mに皺寄せがいった。中Mは本当に60Lなのか疑わしいほどいつもはパッキングに余裕があるのだが、今回珍しくギッチギチで苦戦する様子が面白かった。夜寝る前、AKKから人文諸科学は平均化された定理の導出を放棄しているというご指摘を頂戴し、小一時間お気持ち表明をしていた。話が構築主義を乗り越えるべきかという点に行きついたところで、とり残されている中Mを見習って布団に入った。
8:00 入山
11:56 白馬鑓温泉テント場着
朝6:20に宿の出口に集合。みんなあまり眠くなさそうですごい。宿から信濃森上駅まで歩いているとガスの中から八方尾根が見えた。朝方は涼しく、高原の村という感じがしてよい。電車でまた白馬駅に戻ってくると駅前から白馬鑓、杓子岳がスッキリと見える。あそこに登るんだぜ〜という話をバス待ち中していた。
バスに小一時間乗ると入山地点の猿倉に到着する。8時前にそこに降りた時にはすでに日差しが暑すぎて、これから2泊3日縦走するのに辟易するレベルだった。(いや環境がどうであれ2泊3日の山行前は多少辟易する)
別荘地にどうぞ
10年前の土砂降りの記憶が強い
8:00きっかりに入山した。もはやオーダーはどうでもよかったが、中M→W→I南→AKK→T橋→Y田ということにした。最初は本当に暑かった。ところでH田PTが白根三山で熊に遭遇したという話を聞いており、ここら辺もめっちゃ熊いそうな雰囲気があったし、熊のフンらしきものも落ちていたので怖かった。中Mが時折手を叩きながら歩いていた。
9:00-10 休憩をとった。1時間強すぎたあたりからガスの中に突入したおかげで幾分も涼しくなった。正味今日は日差しなど全くいらない。明日明後日さえ晴れていればよい。Wが相変わらずpureグミを支給してくれた。
以降毎時00~10分ごとに休憩しながら歩いた。これぐらいいつも規則的に歩ければええんだがな。登山道は谷を直登したり巻いたりしながら上がっていくよくあるやつであるが、ギリギリ残ってる花やら雪渓やらがありT橋がよく写真を撮りながら歩いていた。空木でうるさかったと評判のY田は本当にうるさかったし、前方では中MがWに中国語を教わっていた。
白馬鑓温泉
11:56 白馬鑓温泉着。コースタイムちょい巻き。平日なのもあってテントサイトはガラガラだった。とりあえず設営しようとなって、いつもの旧6テンと今回はアライテントの新4テンをたてた。この4テン、まだ使われたのが僕らで2回目ぐらいだろうに、もう本体にポールで刺したらしき穴が空いていた。誰やねんマジで。せめて新しいテントぐらいは丁重に扱いませんか?設営したら部屋分けをグットッパーで決め、悲喜こもごも。実際は喜と無ぐらいか。
その後はなんといってもメインディッシュの温泉へ。やはり行動終わりの風呂は明日があるといっても気持ちがいい。内湯と露天に分かれていて脱衣所もあるタイプだった。多分晴れていたら雨飾山とかが見えるんだろう。なぜかAKKは後で入るといっており、Y田に至っては結局入らなかった。1500円も払ったのにええんか?
入浴後は待ち構えたかのように売られている酒にまんまと引っかかり、4人がビールと大雪渓を飲んだ。T橋は20を超えていたので岩手に帰省した時にたくさん飲まされたといっていた。さすが東北? また、相変わらずWの中国語講座が行われていた。中Mは2外が中国語なのでさすが発音がなんか上手だった。いや、中Mではなくzhōng cūnである。さらにまたひまわりの種が大量供給された。今作はなんだか柑橘系の味付けがしてあった。そうこうしているうちに自分は酒がまわって頭が痛くなってきたのでテントでうずくまった。山で飲むといかん。
目が覚めると16時過ぎぐらいで、すでに夕ごはん作りを進めてくれていた。予報なり空模様なりでどう考えても雨が降りそうだったので、AKKが持ってきてツェルトで二つのテントの間に屋根を作ってくれた。楽しい。夕ご飯はカレーだった。食当のI南が野菜を弾圧しているためどうなるか不安だった今までどうやって生きてきたのかとても気になるが、なんかいい感じのカレーになっていた。水の量で少々迷ったが、T橋が薄いカレーは嫌だと珍しく自己主張したため、食べがいのある味になった。普段口を開かない人の一言の価値は重い。Y田や自分がなんかわめいてもスルーされるだろう。野菜不足を懸念して持ってきたフリーズドライ味噌汁もいい感じにハマった。降りそうだった雨も結局食事の間は降らず、ここまで準備したんだから逆に多少降ってほしいというAKKの期待もむなしく、AKKドームは単に賑わせ役のまま撤収されてしまった。
食後は時間が余ったので6テンで大富豪に興じていた。Wにルールを説明するのに苦労したがタイマンでzhōng cūnを打ち負かしていた。明日の天気を確認すると正午ごろから12mmぐらい降るとかWindyが言っていたので天狗ノ頭まではカットすることにした。というか夕方から常に雷がなっている状態で、とうとう寝る前に雨が降り始めた。6テンで多少浸水があったみたいだが、しかし時期に止んだ。就寝は20:00ごろ。
風呂
4:00 起床
5:01 出発
7:50-10 白馬鑓ヶ岳
9:10-30 杓子岳
10:50 白馬頂上宿舎到着
16:00 夕食開始
20:00 就寝
朝起きても雨は降っていない、というか晴れていた。テントをしまい、生食パンを口に突っ込み、1時間で出発できた。白馬鑓温泉から白馬の稜線にでるまで3時間ぐらい上りが続く。つまり、Y田の発狂が止まらない。声が出ているうちは大丈夫だろうから気にせずに歩いた。書いているCLも共犯者であり、後ろから奇声を発してどこまで前に伝播するかチャレンジを繰り返していた。最初は2人だけだった。真面目に書くと急な上りではあるけども中Mがうまく歩いてくれてるのか、前二人も順調についていっているようだった。明るくなっていくうちに実は素晴らしい天気であったことが判明し、皆モチベーションが上がっていた。
6:30-40で一度休憩をとった。とても天気がよかったので天狗の頭に行きたそうにしている者もいた。だが、7時前から猛然とガスが山麓から迫ってきており、7:20ごろ主稜線にでて休憩している頃合いにはガスに追いつかれてしまった。そういえば今年は朝晴れていてもガスが登ってくるのが異常に早い。8時半には大体どこもガスが登ってきていた。
急登をも楽しむ
白馬鑓きれい!
稜線へ
以降の白馬三山はガスが晴れそうで晴れなさそうな感じだった。まぁしょうがない。そこそこ上り下りある縦走路だがW〜T橋までは快調に歩いていた。空木に参加した面々が言うには空木がかなり長時間歩行できつく、メンタルトレーニングになったらしい。反対に空木は比較的快調だったらしいY田は白馬ではふにゃふにゃメンタルだったが、I南が分析するところでは今回実家からそのまま山に来たため、ホームシックになっているのが原因と云々。杓子岳に差し掛かるあたりで彼の足取りが怪しくなってきたので、AKKの持っていたストックを貸し与え、オーダーを変更した。というかI南とWが想像以上に歩けていた。新歓でも大文字登るのでも息が辛かったとI南が言っていたが、人間って変われるんやな。
そういえば奇声チャレンジは腹から声を出さないAKKをY田が喝を注入したことで突破し、結局I南まで到達した。言語の壁と中Mの壁は越えられなかった模様。
白馬鑓も杓子もガスっていた。遠目に見える白馬山頂エリアは見ていて綺麗な地形だなと思った程度。10時前ごろから雨がぱらついてきたのでセパを着させた。途中T橋がお腹を痛めてトイレにいったが、AKKドームだったものがまた活躍した。10:50に白馬頂上宿舎に到着。行動時間6時間弱。こんなゆるふわでええんか?
はい
はい
はい
一応、白馬三山
コマクサ
しばし休憩を挟んでから設営にかかった。テントサイトはクレーターみたいな地形になっていて風が避けられてよかった。Y田はつらかったのか、「俺は弱い、カスだ」などと打ちひしがれていた。金欠なのに1500円払って風呂に入らない、着替えてオレンジ色のシャツになったAKKを見て突然大爆笑する、CLが口笛を吹くと歌い出す、AKKが喋る声が聞こえないので「AKK〜〜〜!!」と唐突に喝を入れる、等(コンテンツにおいて)八面六臂の大活躍であった。
昼前から16時まで圧倒的空白が生まれたので食堂で牛丼、おでん、チーズケーキなど思い思いに課金し、あとはずっとトランプをしていた。AKKが新しいゲームを教えてくれた。ところで彼は会話において時折みんなを置き去りにする場面があり、京都駅のバス停の4打点チャイムの音がいいという話になった時は誰もついてこれていなかった。
16時からまた夕ご飯を作り始めた。この日は麻婆豆腐(高野ドーフ)、これもおいしかった。高野豆腐をマーボーにするとやばいとかどっかで聞いたことがあるが、山で食えばなんでも美味い。中Mが差し入れにレモンを、Wはクコ茶を提供してくれた。クコは初めて聞いたがまずくないレーズンの味がした。食後、ガスが晴れるかもしれなかったので散歩しに行った。中Mは白馬山頂まで行っていたかもしれない。夜ラジオで広島vs巨人の首位攻防戦をやっていたので3人で聞いていた。末包が大暴れしていた。
テント場
概念図、こういう使い方もあったか
トリカブト畑
4:00 起床
5:02 出発
5:17 白馬山荘
5:30-00 白馬山頂
7:10-20 小蓮華山
8:20-30 白馬大池
10:50 栂池自然園到着、下山
晴れていた。素晴らしい景色になる気がして心が躍る。朝食は今度はマルタイ棒ラーメンだった。すこし茹で汁が少なくてトロッとし過ぎたかもしれない。この日も1時間で出発することができ、行動が身についているなと感じる。というか中Mがいる山行はことごとく朝迅速な気がする。真似はできないが、すごいと思った。
歩いてすぐに白馬山荘(not頂上宿舎)へ到着。北アルプス一の大山荘だけあってもはや基地である。空は晴れていたが、水分量は多そうでじきにガスるのが明らかだった。
5:30ごろに白馬山頂へ。ガス量が多いということはつまり、ものすごい雲海が現れた。浄土?ヘブンズゲート?またブロッケン現象が見られた。ガスが来るまでに間に合ったので、南には北アルプス(薬師・立山〜東鎌尾根かな?)を望むことができ、景色を回収することができた。写真撮影などをして30分程度滞在した。
ブロッケン5人前
ブロッカーが2体まで手札からバトルゾーンに出てきそう
昨日よりは若干ガス到来が遅かったのか、以後の稜線歩きの間も晴れが続いていた。この日は皆しっかり歩けており、改めてメンタル次第で順調ぶりが格段に違うことを実感する。Y田も持ち直したようだった。共有アルバムの写真のうち、この日のものが圧倒的に多いことからもimpressiveな縦走路であったことがわかる。個人的には、前穂高からずっと連なる北ア主稜線がもはや続いていないことが印象にのこった。
7:10に小蓮華山に着いた。初めて白馬三山の全容が明らかになり、いい山だったことに気づく。かなり個人的な話だが、10年前にこの道を上ったのだが、まったく覚えのある景色ではなかった。小さい頃山に連れていかれてその後登山を続けるかどうかはその時晴れたかにかかっているかと思ったが、皆の話を聞いていると、そうでもなく個人次第ということがわかった。まもなく船越の頭あたりで景色もつまらなくなり、ガスの中に入った。山頂は晴れ、山腹はガス、山麓は晴れという山岳気象大全通りになって面白かった。
いいですね〜
白馬三山
8:20に白馬大池に着くとまた快晴になった。美しい景色。中Mは降りた時に限って晴れると嘆いていた。気分的にかなり降りてきていたもののここから栂池までが案外長ったるしく、CLを筆頭に萎え始めてきた。しばらく降りているとY田のザックから水が滴っていることに気づき、ペットボトルから漏れでもしたかと思い解剖すると、露まみれのテントのフライが原因とわかった。フライより下にパッキングされていたものが悉く濡れておりまた奇声がとどろく。いよいよヤケクソになってきており、きちんと2泊3日の最終盤という感じになった。
9:40ごろ、少し立ち止まった。自分は実は正座のせいで膝をあらかじめ消耗しており、無意識に庇っていたからなのか変な痛みを覚えたため湿布をはらせてもらった。
10:50 栂池のロープウェイに下山。最終日はめっちゃ歩いたなぁ〜と思ったが、あんまり変わってなかった。下山口ではおやきを売っていた。
白馬大池
おつかれさま
ロープウェイで下に降りた時刻が、絶妙にバスのない(長野へも白馬へも)タイミングであった。しかも、栂池のメインシーズンといえばゲレンデとなる冬であって、温泉や食堂系がしまっていた。うーん.... 結局、もはや最寄りと言っていいのかわからない白馬大池駅まで1時間ぐらい歩くことになった。4回生2人の率いるparty最後の山行が、こんなスマートとかけ離れた微妙な幕引きでよいのか?と中Mと話していた。
白馬大池駅から信濃森上駅に戻り、宿に残置していた荷物を回収して風呂に入らせてもらった。宿の隣におもしろそうなカフェがあるのを見つけたのでそこで打ち上げをおこなった。おもしろい家具がおいてあった。その後は再び信濃森上駅へ。またこの道を歩くことになるとは... ぱっと見は八方塞がりの寒村なのに、よくみると一つ一つの家がお金がありそうな感じがした。AKKと話していると、多分冬のリゾートとしての観光産業でもうかっているところなのだろうということになった。寒村と呼ばれる地域にも、自身のレゾン・デートルが立派に存在している。それは決して消極的定義にのみこまれているわけではない。
T橋が東側に帰省した以外は結局18きっぷで共々京都へ。まぁだいたいこんなかんじになりますよね。
おつかれさまでした。結局うちのpartyが一番山に行っている。
zhōng cūn:いつも頼りにさせていただき候。
W:2泊3日完遂できてよかったです。体力もランニングの成果がでておりいいですね。荷物が異常に軽かったのである程度背負った状態で歩けることが次の目標でしょう。
I南:同じく体力向上が目覚ましい。モチベも高いので、あとは天気図を書き、テントを背負うだけ。
AKK:前期の間諸々について助かりました。山行中話しかけるときは、腹から声をだしてほしいです。
T橋:とても頑丈で、しかも安定感がある。読図や天気図をしっかり吸収すると最強になれる。
Y田:色んな方面から落ち着けと言われているようだが、音を上げてからが粘り強いので、そのままでいいです。