裏銀座縦走  









北アルプス烏帽子岳~野口五郎岳~水晶岳~鷲羽岳~三俣蓮華岳~双六岳~槍ヶ岳~上高地
メンバー:F間・T部(個人山行)
日時:2023年9月1~4日

はじめに

裏銀座いいよ。みんないくべき。

0日目

前日の8/31の16時に松本駅に集合した。T部はN田パーティーの仙丈・甲斐駒からそのまま参戦してきた。山漬けの生活を送っているようだ。松本駅付近のスーパーと電車で数駅離れた安曇野のモンベルで買い出しを済ませた後、入山地点へのバスが出ている信濃大町駅に向かった。寝るのが遅くなってしまったのでもっと早く宿につきたかった。宿のカギのタイプが斬新すぎて理解に苦しんだ。

1日目 高瀬ダム入山~烏帽子岳小屋 天気:まぁ晴れ

朝4時ぐらいに起きて駅に向かった。2023年夏から裏銀座登山バスなるものが信濃大町駅~七倉ダム間で運行を始めていたのでそれを利用した。そこから更にタクシー(1人600円)20分ぐらいで入山地点である高瀬ダムに到着した。始発の便に乗れば6:30にはつく。

早朝の信濃大町駅

七倉からここまで上る猛者もいる

静穏な入山地点付近

高瀬ダム自体は静かなところであったが、風が強く肌寒かった。7時前ぐらいに入山した。初日はこの高瀬ダムから稜線へ登るだけだが、この間のブナ立尾根は日本三大急登にも選ばれており実はわりとキツイ。T部は結局この上りが全日程中で一番きつかったと言っていた。それはそれでどうかと思うが。ただ本当に緩むことなく上りが続くので「ここまでがんばる」みたいなペース作りが難しかった。4泊5日の初っ端にこれは動揺するかもしれないが、「戦いの中で強くなる」「実は核心は初日」などとごまかしつつ登りきった。10:15に烏帽子小屋についた。コースタイムを大幅に巻いた。急登だったがここでへばってるようでは翌日以降の行程に耐えきれないだろう。

全ての始まり

アルプスの稜線が徐々に近づく

キモすぎ罪で死刑

烏帽子小屋はわりに慎ましげな小屋だった。T部的には賑わうよりもこういうタイプのほうがいいらしい。テント場は小屋から1,2分歩いたところにある。先に設営をすませてからピストン装備で烏帽子岳の山頂に行くことにした。烏帽子岳山頂までの道はゆるい稜線歩きなのでとても楽しい。しかし軽装備なのにやたら息切れするのでこれは高地順応がまだできていないのだろうと思った。なお、翌日以降にそれはただのブランクによる心肺の怠慢であることが判明している。普段あまり感動を表さないT部先生からも北アルプスの稜線は「神」とお墨付きを賜っていた。ただし烏帽子から見える山は限られており、あくまで景色のクライマックスは翌日以降である。

落ち着いた雰囲気の小屋

テント場へ 。奥に見えているのは野口五郎への路

烏帽子の形をしている。...烏帽子ってどんな形?

ヘアピン茶柱

テン場から山頂まで1時間ぐらいで往復できるので、山頂で結構時間を潰してもなお暇だった。そういえば烏帽子で一泊する登山客には北の船窪・針ノ木方面に向かう人が多かったのだが、たまに同じく槍方面まで行く人もいた。長旅だし宿泊地も限られてくるのでそういう人とはしばしば再会し、「また会いましたねー」みたいなノリになるのも長い縦走の面白いところである。T部が後に言っていたが、ここらへんは若い登山客が少なく落ち着いた感じで、槍に近づくにつれ活気と陽キャ度が増す。
食事はアルファ米を中心に採用したが、量が思ったより多くて毎回T部に少し食べてもらっていた。行動食が甘いものだらけだったので、持ってきたフリーズドライの味噌汁がとても重宝した。19:00過ぎぐらいに寝た。

2日目 烏帽子小屋~野口五郎岳~水晶・鷲羽岳~三俣山荘 天気:結構晴れ

この日はコースタイム10時間程度が予想されたので、4時出発を目標に3時(少し寝坊)に起床した。朝食のパスタを食べるのが遅すぎてT部に食べてもらったし、それでも遅れて4時半前出発とかになった。
初っ端三ツ岳のピークまでは登りが続くのだが、割に風が吹いてるのと夜明けでまだ涼しかったので快適に歩くことができた。金星が見えた。5時過ぎごろ、まだ登り途中で日の出を迎えたが、槍ヶ岳との今回初対面がこれを彩った。北側から見るのは初。ピークハントしようとか愚かなことを抜かすT部を抑えつけて三ツ岳ピークをトラバースできれば、野口五郎小屋までなだらかな道歩きを堪能することができる。適宜高山植物?も咲いていたが、残念ながら流石にコマクサではなかった。I井なら同定できたと思われる。関係ないが、T部が直前に行っていたN田party甲斐駒・仙丈にておもしろいことが発生したという話になり、それにしても彼の(主にコンテンツ力における)成長や逞しいなぁと思った。6:30ごろ野口五郎小屋についた。

夜明け

三ツ岳以降のなだらかな稜線

草木もない稜線にひっそり佇む。雰囲気◎

野口五郎小屋で10分ぐらい休憩を挟んで出発し、山頂まで近いので7:00には山頂についた。山頂なのか疑わしいほどのなだらかさだったが、それにしても素晴らしい眺望だった。地図を見ればわかるが、野口五郎から真南の槍までは遮るものが何もないため東鎌尾根〜槍〜西鎌尾根をくっきりみることができ、かつ西側の水晶・鷲羽・黒部五郎方面、北西に立山を臨み、まさに北アルプスのど真ん中といった感じである。写真ではすごさが伝わらないので実際に行ってください。行け。眺めが良いばかりに水晶小屋の屋根が見え、しかもそれは通過点にすぎず、今日中に遥か鷲羽岳の向こう側へ降りなければならないという事態が心肺を鷲掴みにしてきた。

野口五郎から水晶までの2.5時間ほどの稜線は何気に登り下りがあり、体力を削られる。なんとなく疲れがたまっていた自分は野口五郎までの楽ちん登山道で油断しており、特に気合を入れずにこの稜線を歩いたらあっぷup and downでhold outした。北の黒部側の谷がなだらかな草むらになっていて、あそこでテント泊したいねという話をした。

左が野口五郎山頂、と槍ヶ岳

右側は双六・鷲羽・水晶

下り切ってから水晶小屋までを見上げると激ヤバMAXな上りに見えるが、実際にはかなりキツいぐらいで済んだ。限界を超えてもう一度keep an attitude to live upするなどすると水晶小屋についた。9:28であった。
水晶小屋はとても小さな小屋だが、これまでとは打って変わってたくさんの人の歓談により賑わっていた。トイレが綺麗だったのもポイントが高い。長めに休憩をとってからピストン装備を用意し、9:45に水晶岳へ向かって出発した。水晶岳は黒岳と呼ばれることもあるが、本当に黒っぽかったのが印象的。そういえば今回の山行でこれが初百名山だが、だからといって深田久弥の陰謀に囚われ、野口五郎岳を軽んじるということがあってはならない。どちらも素晴らしい山である。10:15ぐらいに山頂に着き、少し写真を撮った。水晶からは雲の平方面がより近くに見えるので、かねてよりそこに行きたがっていたT部は目を輝かせていた。に違いない。

10:50に水晶小屋に戻ってきて昼ごはんを食べた。山小屋で食べるカップヌードルはうまいよな。11:35に鷲羽・三俣山荘方面に向かって出発。ゆっくりしすぎたかもしれん。

ホスピタリティが高い

水晶岳側から見た水晶小屋方面

手前側がなんとなく黒っぽくない?

水晶小屋から南のワリモ岳・鷲羽岳へ。道中、谷の平坦なところに明らかにテントが張られたであろう跡がちょくちょく出現してきた。この近辺はテント場がないため、悪天など非常事態にはしょうがないのかもしれない。それにしても快適そうな場所だった。

ところで今回の山行は当初4泊5日の計画で、2日目に三俣テント場に泊まると3日目は双六小屋止まり(CT 3時間ほど)だったので、2日目がしんどくでも3日目で回復できる算段で歩いてきた。しかし、5日目の天気がよろしくなかったり自身の想定より余裕があったらしく、T部が3日目双六小屋から槍までいっぺんに行ってしまおうと言い出してき、よって3日目の休息は消え、それをアテにしていた自分の希望も消えてしまった。

12:55に鷲羽岳の山頂を踏んだ。8時間近く縦走していることもあって感動より疲れの方が上回った。鷲羽山頂に至って初めて今日の宿泊地である三俣山荘の屋根が見え、やっと安心した。鷲羽を下りきって見返してみるとなかなかに高い山なんだなぁということがわかった。北西側から見た姿とは雰囲気は少し違うみたいである。14:12に三俣山荘についた。最後の方はかなりのペースダウンしてT部を待たせてしまったが、2日目なので高地順応という言い訳も使えないし、体のなまりを真摯に受け止めようと思います。

最後の方は曇ってしまった

三俣山荘と奥は双六岳

鷲羽池

三俣山荘とそのテント場は長路の目的地にふさわしくよい空間だった。水場は雨不足の今年でも充実しており、テントサイトは広く場所を選べるし、そのどこからでも山がよく見えるからである。特にこの日は秋型の天気で午後になってもガスらず、西側から夕日に照らされる槍を見ることができた。結構レアなようだ。
夕飯は持参していたが、この小屋では鹿のジビエシチューを提供しておりテン泊の人もOKらしい。疲れてかつ明日の休息もなくなった状態であった自分は受付で聞いたこの話に飛びつき、T部もまぁいいよみたいな感じだったので夕ご飯はジビエシチューになった。代わりに¥2800が飛んでいった。
果たしてジビエシチューはとてもおいしかった。高山植物を食い尽くされないよう鹿を駆除しているらしく、その肉を使っているとのこと。鹿肉は多分初めて食べたが臭味もなかった。com-panyしたおじさま方はトレランをしているとても元気な人々だった。彼らは湯俣(高瀬ダムの南)から直接三俣山荘に登ってきていた。はて、そんな道あったかなと思えばごく最近40年ほどぶりに復旧した登山道が出来ていたらしい。山荘オーナーの名を付されたこの伊藤新道は沢沿いを渡渉+吊り橋の連続する道で、いつか行ってみたい。ワインもお裾分けをしていただくなど全身が文明で満たされたところで2日目が終了。今朝のもたつきを鑑みて翌3時過ぎ起床という予定になった。

スタッフ同士の仲も良さそうであたたかい小屋

正面は鷲羽岳

北鎌尾根〜大キレットが夕日を受けている

gratia cervī

3日目    三俣山荘〜三俣蓮華岳〜双六岳〜槍ヶ岳山荘    天気:ええ感じの晴れ

朝3時10分に起きると体がだるく鼻水がひどかった。昨日の夜はおそらく気温7℃程度と寒く、もしかすると風邪をひいていたかもしれない。T部にも伝えたが、もともと泊まる予定であった双六小屋までは3時間でつくので様子を見ながら進もうとなった。出発までにまた時間がかかった。シングルウォールのテントだとガスで火を使うのはテントの外になってしまうため、気温が低いと火が安定しない。フライ付きテントのT部が前室の中で暖かそうにしているのを見ると自分もフライが欲しくなった。あと結露。

4:52に出発した。歩いてみるとアドレナリンのせいか知らんが風邪は感じられなくなった。また日の出パワーによって一時的にムキムキになり、1時間かかる三俣蓮華岳に40分で到着した。この付近からは再び槍ヶ岳が、今度はより近さと荘厳さをもって登場する。あと段々近づくにつれて槍の先っぽの尖りがつぶれていくのが面白かった。三俣蓮華岳は立山〜黒部吾郎と続いてくる稜線と歩いてきた裏銀座の稜線とが合流して槍・穂高へと向かう分岐点となっている。展望としてはこちらも申し分なく、T部の顔も輝いていた。朝日によって。写真をとるなどして10分ぐらい山頂で止まった。

表銀座のシルエット

山頂にて

今度は双六小屋に向かって登ったり下りたりする道になるのだが、三俣から下り終えた辺りでT部が腕時計を落としてしまったことに気づいた。山頂の時点で付けていたことは確からしくそんなに距離もないので彼は引き返し道中に探しにいった。自分はすぐ先の小ピークがひらけていたのでそこで荷物を下ろしてのんびりしていた。双六岳のなだらかな山体はおもしろいし歩きやすいので、ぜひ巻道を使わず稜線を踏んでほしい。T部が戻ってくるまで40分ほどかかった。

戻ってきた彼は腕時計を持っていなかった。付近の小屋に連絡などを頼んでいたが、まだ見つかっていないようだ。流石に悲しそうだった。6:40ぐらいに行動を再開した。
双六岳山頂とそこからの道はさながらパラダイスだった。後にも先にも裏銀座にこんな緩やかで、開けていて、ぽかぽかしている道はなかった。幼稚園ぐらいの子も散歩していた。どうやってここまで来たのか気になるが贅沢な散歩だと思った。またこの辺りからすれ違う人が若くなってき、総本山へ向かって活気が増すのを感じた。もう一度書くが、双六岳の稜線は巻かずに自分の足で味わうべきである。道中東京農業大のワンゲルとすれ違った。自分たちと全く同じルートを逆方向に行く予定らしかった。

8:00ちょうどに双六小屋に到着した。付近の賑わいは槍からではなく新穂高温泉から人が湧いているからだと気づいた。双六小屋はそこから登ってくる人の宿泊を一手に引き受けておりゆえに小屋とテント場がラージサイズで、美味そうな軽食もたくさん用意していた。そういえばこの日はI坂partyがここのテン場に宿泊するらしかった。元はと言えば自分たちもここで一泊する予定だったわけで、天気もいいしめちゃくちゃのんびりしたかった。行動食を食べるなど40分ほど時間が経つと、しかし、それを押し殺して西鎌尾根へ突入していった。

双六岳のカタチ

この人が一本道を往来している感じがよい

そろそろ映る槍に飽きてきた?もうすぐ消えるから

流石、行き先表示が多い

上からの双六小屋

双六小屋を過ぎてからは嘘のように人が消えていった。確かに日曜にこれから槍に登る人は少ないが、あまりに誰とも会わないので不気味な感じがした。西鎌尾根は全体としてガッツリとした(?)稜線であり、裏銀座総決算のような上りを登山者に課してくる。11時ごろ、I坂たちが今頃登っているであろう尾根を見つけたので大きな声で呼んでみたが、残念ながら届いてはいなかったらしい。
晴れていた槍ヶ岳の向こうからガスがどんどん湧いてきており早く小屋へ着きたかったが、ここまでごまかしてきた心肺の鈍りとの直面を強いられたためにスロ〜ペ〜スであった。特に千丈乗越以降の最後1時間は本当に辛かった、ワンゲル以来一番つらかったと考えてもよいかもしれない。割と気が狂っていて槍ヶ岳山頂と千丈乗越を誤認していて、だからゆえに槍遠くね?となってさらに気が狂っていた。最後らへんはガスの中で雷の音も聞こえてきたのでさらにさらに気が狂っていた。13:30ごろに槍ヶ岳山荘に着いた。晴れ渡っていた槍ヶ岳付近は今や全くガスで覆われてしまっていた。今回は余裕があったため三俣山荘から一気に登ったが、できれば双六小屋から行動開始して10時ぐらいまでには到着できる予定にしたほうが、夏山のガスを回避できるのでおすすめする。

ガッツリ尾根

今回唯一の岩場ポイント

別に怖くはないと思う

ここからが正念場の千丈乗越

うおおおおおお

ガスによる視界ゼロと自分の疲れ具合により、山荘についたらテントの受付&設営をするにとどめてのんびりした。槍ヶ岳山荘のテン場は広くて開けているというよりも崖のそばにしぶとく設営するという感じで、南の大喰岳と真正面に向き合っている。三俣とは違った良さがある。槍ヶ岳がやはり最も賑わっていてかつ若人が多かった。
山登りをする大人はフレンドリーな人が多く、テン場で隣り合った御夫婦に酒をごちそうになった。冗談気味に理学部って何の役に立つんだみたいなことを訊いてきたので、気象関係のことをやっていたT部が気象庁が云々と答えると、感心なさっていた。自分は西洋史だがここで口を挟むとややこしいことになるので黙っていた。

さて15時ぐらいになり、だらだらするのにも飽きてきたのでやっぱり槍山頂を踏もうという話になった。夏山は午後ガスっても夕方に一瞬だけ晴れることがあり、それを狙う。雲の動きは極めて速く、山荘から頂上が晴れたのをみて登ったのでは、山頂で再びのガスに包まれるのみである。T部は風上側の空模様をずっと注視していた。16時過ぎに東の空に光が差したのを見ると、二人で急いで出発した。
槍山頂までははしごの連続だが別に大したことはない。20分ほどで着いたが、T部は少し手こずったようで遅れてきた。山頂のガスは見事に晴れた。水晶は雲に隠れていたが、表銀座と野口五郎周辺を見届けることができた。大キレット方面は見えなかった。写真待ちの列に加わったり景色を眺めたりして40分ほど居座った。

降りてきてご飯の用意をしている時、先述の会話が聞こえていたお兄さんはT部が気象に詳しいと思い、2人が出発した後をついていったら晴れたのでさすがだなぁという話をしてきた。T部は思いがけず名声を獲得した。
日の入りガスに包まれてそれはそれでカッコいい写真がとれた。翌日は下山するのみだが、万一晴れていたらもう一度ピークを踏もうと決めて4時前起床にした。自分は前日の夜めちゃくちゃ寒い思いをしたので寝袋とテントの間にザックの中身を置くなどできる限りの対策に努めた。

テン場

さんちょ

槍の影

山荘と山頂

4日目    槍ヶ岳山荘〜槍沢・横尾・徳沢〜上高地下山       天気: 霧と小雨

3:45に起きた。GasGasGasのためストレート下山することに。この日の朝食はためしにT部からカレーメシを交換してもらったのだが、簡単だし美味しいので次回から採用することにする。
ようよう明るくなりゆく5:40ごろに下山を開始した。本当に降りるだけだったため書くことはとくにない。月曜でしかもこれから雨が降りそうだというのに槍目指して登る人はたくさんいた。あと途中槍沢ロッジで阪大ワンゲルと遭遇した。8:30に横尾につく直前ぐらいに小雨が降り始めた。2人とも雨具を着るのをめんどくさがって横尾から上高地は無休止で早歩きを続け、結局は10:48に上高地に到着した。

泊数にしてみれば3泊4日とそんなに長いわけではないが、なにせ内容の濃いルートであったと感じている。体力的にはもちろんそれ以外の点でも充実した山行であり、三俣山荘のおじさんの言葉を借りてスパルタ・アルプスと題するにふさわしい。

全ての終わり

アーウッス

その後

雨が降ってるのに上高地はやっぱり観光客まみれだった。修学旅行生もいた。去年と同じ帝国ホテルで風呂に入り河童橋らへんの上高地食堂で乾杯をした。バスで夕方には松本に戻り一泊してゆっくりする説もあったが、T部は18きっぷでの帰省をフルに活かすため本日中に実家に帰ると言い出し、16時半ごろには電車で東へ向かっていった。えらくあっさりしているなと思った。自分は遺産建設でもやったかのような気分(事実精神的には遺産建設だろう)であるのに。
T部に感動はあるのだろうか?あるのだろうが、それを彼の顔・仕草に顕現させるためには、さらにムキムキの山に行く必要があるということが今回の山行で分かった。