やつがたけ









2023.6.17-18
山域:八ヶ岳南部(美濃戸〜赤岳・横岳・硫黄岳〜美濃戸)

CLを果たし終えて暇な3回生と、暇...ではなさそうなM2の先輩とが集い、八ヶ岳にのぼる運びとなりました(個人山行)。

今回行ったコース。1日目は八ヶ岳山荘から入山、南沢コースを通って赤岳〜硫黄岳を縦走し赤岳鉱泉CS1。2日目は北沢コースから下山。八ヶ岳南部としてはオーソドックスなやり方ではなかろうか。

総評としては、ブランクのせいで経験と若さのわりにはCTを巻けなかったというところ。

YAMAPの頑張りを下に貼っておこう。

Prequel

2023年5月をもってコロナ諸規制はついに滅び、BOXがワンゲラーの手によって解放された。パーティーは在りし日の年齢層に戻り、文化復興(ルネサンス) がなされた。去年までにCLをつとめたNk村, T部, F間はお役御免となり、好き勝手に山に行こうとなった。当初は四国剣山〜三嶺を計画していたのだが、色々あって遥か八ヶ岳となり、ついでに色々あってOBのT形さんとK松さんも来ることになった。21年後期の4回生partyの復活である(H田は天気を晴らせ)。コロナの明けた年をルネサンスと(強引に)言ってみせるならば、こうしたOBとの山行は古典との邂逅なのである。ただの久しぶりの山行にこんな言い方をするのは、単に格好をつけたのと、あとは自分が遅刻して怒っていたT形さんの文体模倣によるごきげんとりである。(←しかしもはや1年以上後にこのblogを書いており本当に意味がない)

1日目

-1:00 集合

遅刻した。ごめんなさい。part1で鈴鹿に行くI坂やヘクに行く沢メンもいた。沢の新入生とT形さんの間に微妙な空気が流れていたとかなんとか。結局0時ごろの出発になった。名神〜中央道へ。尾張一宮のディズニーランドも通ったが、当時のような感動はなかった。T部は免許をとりたててで帰りは運転するとかいう話になっていたが、ぐねぐねの中央高速道はやめようとなった。西友によって買い出しをし、SNICKERSが店頭に並んでいることのありがたみを噛み締めた。5:00ぐらいに八ヶ岳山荘の駐車場についた。すでに外は明るく、明るいけどさすがに1.5時間ほど寝た。

7:18 入山

車内で目を開けるとクソほどきつい日差しに体の前面を焼かれ、不快な目覚めとなった。登山届を書いて入山したのだが、書いたNk村の計画とそれ以外のメンバーが考えていた計画が全く異なっていたことが、入山したのちにわかった。前者は前述のとおり南から稜線を北上するルートだったが、4人が思っていたのはおそらくは先に北側の赤岳鉱泉〜天狗岳〜硫黄岳〜横岳〜赤岳と通って行くルートだった。個人的に泊山行というものは、初日は(食当だし)荷物が重かったり体が慣れていないことを加味し行程を軽くするものであると思っている。ゆえに初日の行動時間が長いNk村のルートにはわりかし強く反対したのであるが、「もう登山届に書いてしまったし入山後の急遽の予定変更は遭難のフラグである(意訳)」みたいなことを言ってきた(しかも腹が立つことに筋が通っていた)ので受け入れた。入山地点の八ヶ岳山荘から40分ぐらい歩き、美濃戸山荘に着。ここまで駐車場があるので、無意味な道歩きを省きたいのなら前日夜に着いて車中泊などをすると良いかも。

ありえんぐらい快晴。暑いわ

入山口。0.2上高地

美濃戸山荘(信濃)

美濃戸山荘〜行者小屋

8:00ごろ出発。ここから例の北回りルートと南回りルートが分岐する。やっぱり自分は北回りを主張したがあえなく却下。我が国は南進論を採って対米開戦、のち無事敗戦。ちゃんとした山道のご登場で基本的にメンバーはブランクがゆえにスローペースを貫かんとした。Nk村以外。特にT形さんは上りのペースを上げられそうな感じではなかったので後ろで置いて行かぬようにと自分もゆっくり登っていたが、先頭のNk村がおかまいなしに先々歩いていった。いつぞや4回生PTのSLみたいだなぁとか思ったが、自分もきつかったのでもうちょっと後ろを待ちながら登ってくれないかと頼んだところ、大変素直に「前がいなかったら進んじゃうんだもん」と反省いただけたので、さっきのルート問題で若干ヘイトが溜まっていたところに暑さと辛さも相まって「歩行能力とSLCL能力は別だな」などと罵る。T形さんをtopにおいたら万事解決したのでそのまま進んだ。メンバー全員の服とザックが見事に青系統と青緑系統で統一されているのでチームカラーだねという話になった。

1:55のCTを若干巻いて行者小屋に到着した。人も小屋も充実していた。赤岳を下から見上げる景色がカッコいい。疲れていたので長めに休憩をとりつつ、日焼け止めを塗ったり山をなめたりした後出発した。

新旧K松

行者小屋

山を舐めてるやつら

行者小屋〜赤岳

いきなり急登になった。あと標高が高くなるにつれ緑が消えていったので、太陽が肌を直接焼いた。ほどなくすると視界が開けて高山という感じの景色になり、遥か稜線へと無限に続く階段が登場した。日光と重荷にいじめられながら、軽装備のおじさまに抜かれる屈辱を味わいながら登った。T部がしきりに足がヤバいといいながら歩いていた。頂上が近づくとすぐ南に稜線の壁があったので、山彦がいるかどうか確認した。祖母傾の山彦よりも返事が早かった。周波数の高い音ほど早く返ってくる気がした。かくも叫んでいると近くのアラサー組がボソッと"若いっていいね"と云うのが聞こえたが、K松さんとあまり年は変わらないのではないか。別にアラサーだって叫んでいいのである。山ではね。ついに主稜線に出ると岩岩した感じになった。ここら辺から自分は妙に息が上がり体が動きにくくなったが、後から考えるとこれは多分シャリバテだったんだろう。やはり西友に芋けんぴがなかったためにかりんとうで妥協したのがよくなかった。赤岳山頂は人でごった返していたので、写真を撮るだけとって近くの頂上山荘に移動した。めっちゃ消耗したので長めに休憩した。T形さんは寝ていた。Nk村はピンピンしていた。K松さんはよくわからんが多分ピンピンしていた。T部はよくわからんが多分疲れていた。

天国への階段

不快

壮大?

赤岳〜横岳〜硫黄岳

冒頭でH田は天気を晴らせと書いたが、働きすぎたようである。炎天下の中でしかも赤岳〜硫黄岳にかけて案外アップダウンを伴う縦走なのであるが、これがシャリバテの人とブランクの人に苛烈でないわけがない。基本的にNk村とK松さんが先行し、自分とT部がT形さんを適宜待ちながら歩く感じで硫黄岳を目指した。T形さんを待っているように見えて、その間に自分もアホみたいなしんどさを何とか耐えんとしていた。この段階で糖分不足はある程度自覚しており、赤岳を下りたところにある展望荘ではコーラが飲めるらしかったのでCola! Cola!とガキみたいにわめきながら足を動かしていた。もはやヤケクソで目の前にニンジンをぶら下げるほかなかったのである。いざコーラにありついたらば、そら当然うまいが「うーん...」という感じになってしまった。コーラはこの時あるいは蓬莱の仙薬がごとく神秘性を勝手に背負わされており、所詮アメカスの砂糖水ごときがその期待に応えることなどできるわけもない。
かくのごとくコーラへの渇望の裏返しで描写されるキッツい道中ではあったが、硫黄岳の目前でなだらかな登山道にきりかわった。硫黄岳付近は爆裂火口がなんたらとか特殊な地形であるらしく、専攻が近いNk村やK松さんとかT部はとても意義ありげに歩いていたように見受けた。自分はそういったことはよくわからないが、尾根の途中で石と土の色が明らかに変わった地点があり、そういうのは面白いと思った。硫黄岳に着いたのは16時前であり、すでに入山から8時間たっていた。

見てのとおりのアップダウン

記憶にない岩場

夏空

ヘトヘトのわたくし

これは偽。多分そんなに疲れてない

この色が変わるの、面白いよね。

硫黄岳〜赤岩の頭〜赤岳鉱泉

さは言えど苦痛の直接的な記憶が薄れれば、晴天での素晴らしい景色と縦走路であることに変わりはなく、概してよい縦走であった。これを離れてまた森の中に下りていくのであるが、再三強調しているように消耗している人間とそうでない人間の差が激しく、赤岳鉱泉まで各自降りましょうとなった。Nk村となぜかここへきて持ち直したT形さんが先んじて下り、あとの人間はぼちぼち続いた。武奈ヶ岳から八雲ガ原に下りて行く道と状況や景色がすごく似ていた。自分がやっとの思いで赤岳鉱泉に着いたとき、Nk村はすでに40分ほど待っていたらしかった。自分はNk村の山行スタイルや計画の立て方についてあちこちで筆誅を浴びせている気がしないでもないが、やはりすごい奴ではある。

CS1: 赤岳鉱泉

テントは半分森の中みたいなサイトに各々ひっそりと立てた。赤岳鉱泉は外来入浴もできるのだが、4人はどうせ激混みだといって敬遠していた。山の風呂キャン界隈。一人で入ってみると果たして狭々しい浴槽に大量の人間がひしめいており、入浴というかおっさんを浴びているという方が正しかった。しかし山において、温泉の物質的な否定にいくら及んだところで、その本質的価値は転覆しようもない。とても満足である。
夕ご飯はじゃん負け食当の自分とT部がトマト鍋を作成した。モッツァレラチーズなんかも入れてトマト版ボルシチみたいなのをイメージしていたが、シャバシャバのミネストローネができあがった。糾弾されるレベルではなかったが少々×3ぐらい余り、T部と自分が責任もって処理した。とはいうが自分は食べるふりをしてだいぶん誤魔化しており、実質T部先生が残りの大半をお召し上がりなさった。夜中にみんなで散歩して小屋でホットココアを飲んだ。久しぶりに奢られる側なことも相まってあたたまる。
初日からいきなり9時間行動してくたくたなのもあり、すぐに寝た。

硫黄岳山荘

ぴーす

2日目

赤岳鉱泉〜美濃戸口

前日がんばったおかげでこの日は2時間弱北沢コースを降りるだけ。ゆったりのんびりと出発した。上りの南沢は面白くもなんともない道だったが、こちらは植生が小綺麗でで日本庭園を思わせる、美しき道である。それも降り切ると林道になり、代わりに電波が届いたのでスポナビの野球速報をみながら歩いた。K松さんもスマホを眺めているなと思ったら同じことをしていた。この年(2023)のカープは例年ボコボコの交流戦を五分で乗り切っており、やはりササオ禍監督がよくなかっただけなのではなかろうか?
道に飽きる前に美濃戸口が現れてくれて、サクサク下山であった。T形さんは少し遅れて到着していた。ここもやはり強烈な日差しが届いており、暑い山行だったなぁと再認識させられる。ところで美濃戸口の山荘にはレトロな瓶の自動販売機があり、ジンジャエールを飲んだ。

こういうのでいいんだよ①

おつかれ

こういうのでいいんだよ②

その後

下山後はもはやどこか全く覚えていないお風呂に入り、前年(2022)の木曽駒で行く予定だったソースカツ丼屋明治亭(おすすめ)でがっつりニクを頬張った。途中、八ヶ岳の道の駅に寄った。自由農園のクソデカセロリに一同思わず釘付けになるも、落ち着いて冷静にお目当ての野沢菜を購入し、帰路についた。

デカイカツ丼

デカイセロリ

今2024年の7月ですがこれを書き終えました。結局K松さんが京都にいる内ではこれが最後の山行になりましたね。1日目が頭でっかちすぎて実質日帰り+1日みたいな感じか?