社会福祉法人久遠園の歴史(沿革)
社会福祉法人久遠園の歴史(沿革)
昭和46年11月 川崎市多摩区の生田緑地公園にて、土砂崩落実験中の科学技術庁防災科学
技術センター課長福澤久勝が実験事故*1により殉職
昭和52年2月 社会福祉法人久遠園設立認可*2 理事長福澤初枝
昭和52年4月 福澤保育センター開園*3
昭和54年12月 第二福澤保育センター開園
平成16年4月 洋光台中央福澤保育センター(病後児保育室*4併設)開園
平成18年2月 福澤邦康 理事長就任
平成29年4月 わたりだ保育園開園(公立保育園の民営化)
令和3年4月 横浜茅ケ崎保育園開園(公立保育園の民営化)
*1実験事故 昭和46年11月、川崎市多摩区の生田緑地において、当時宅地造成された丘陵地において斜面崩落による事故が相次いだことから、科学技術庁防災科学技術センターが中心となって実施された斜面崩落実験のこと。この実験の際、人工の山津波が発生して関係者23名が死傷した。死亡した15名のうちの一人が初代理事長の夫であり、現理事長の父である福澤久勝であった。
*2久遠園設立 福澤初枝は、この殉職による遺族補償金を生活費に充てるのではなく寄付しようと考えていたところ、保育園運営の提案があり、昭和52年2月社会福祉法人久遠園を設立して初代理事長となった。
*3福澤保育センター 保育園名に「福澤」という人名をつけることには反対もあったが、福澤初枝は“夫の命がかかった保育園”という思いから頑として譲らなかった。保育センターとしたのは“今までの在り方に縛られない、新しいことを取り入れて最先端の保育を行っていく”という意気込みの表れからだった。
*4病後児保育室 横浜市内で病後児保育室を併設している保育所は4園のみ。