永井隆博士を知っていますか?
「長崎の鐘」「この子を残して」などの著作で知られる永井隆博士は、長崎の原爆で重傷を負いながらも自分の命を顧みず負傷者救護にあたり、また放射線医学の研究による白血病を患い病床に伏した後も執筆活動を続けて、命のかぎり「如己愛人」・「平和を」のメッセージを訴え続けました。
長崎市永井隆記念館ウェブサイト 「永井隆ストーリー」 https://nagaitakashi.nagasakipeace.jp/japanese/stories/8.html
じつは永井隆博士は雲南市の出身です。
島根県松江市で生まれた永井隆博士は、一歳の時に飯石村(現在の雲南市三刀屋町)にやってきて、小学校卒業までを過ごしました。おいたちの家が三刀屋町多久和に残されています。
雲南市では、平成3年から続く「永井隆平和賞」や平成17年の「『平和を』の都市宣言」など、永井隆博士のふるさととして平和教育に取り組んでいます。
「おいたちの家」と博士の母校「旧飯石小学校」を擁する飯石地区でも、これまでいろいろな活動に取り組んできました。
旧飯石小学校(平成28年閉校)を博士の顕彰施設として、地域住民の気軽な拠点として整備、令和3年4月に「いいし へいわの里」としてオープン
「永井隆博士おいたちの家」での見学会を定期的に開催、地域内外から見学者の受け入れ
雲南市内で開催された永井博士関連事業(「永井隆平和賞」や「平和祈願ミサ」)に出展
雲南市永井記念館~永井隆博士おいたちの家~旧飯石小学校への観光ルートづくりの検討
「永井隆さんの生いたちガイドブック」「オリジナル絵はがきセット」の販売
活動はnoteでも紹介しています。