交流広場……皆様の「ご意見・お問合せ」等を掲載いたします。
平成大合併で奪われた町や村を私たちの手に! 「分立特例法」の制定を求める全国ネット
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目次
「地方自治100年の歩み」から見える「地方自治の衰退」
地方自治体は明治維新以後合併圧力にさらされ続けてきた。
読売新聞が「地方自治100年の歩み」と題して、かつて読売新聞が特集記事で取り上げた地方自治に関するアーカイブ記事を掲載した。それは地方自治体の未来を占う上で過去を知る「温故知新」の観点から重要な考察ではないかと思います。
地方自治以前の江戸時代は幕藩体制で、中央集権国家というよりも、各藩ごとに予算権と行政権を持つ「地方政府」が存在していた。そのため地方自治を語るのは明治中央政府が成立した廃藩置県以後ということになります。
当初、日本にはどれくらいの町や村などの地方自治体が存在していたかというと明治21年(1888年)で7万を超える地方自治体があったようだ。そこで明治政府は「明治21年の大合併令」を発して町村合併を促進して15,859の地方自治体に集約された。
それ以後は戦後までは具体的な合併促進政策はなかったが、昭和36年に「町村合併促進法」が制定され「30㎢、人口8千人」を「基礎自治体」と定めた。つまり基礎自治体以下の町や村は基本的に合併することとした。その結果地方自治体の数は3,472まで減少した。
1973年の記事では過疎化が進む町として島根県匹見町が例としてあげられている。中国山地の過疎化した町に未来の灯は見えない、と新聞紙面を大きく飾った。1990年代になると「限界集落」という言葉が巷間で語られるようになった。それは高知大学の人文学部教授であった大野晃氏(現長野大学教授)が提唱したもので、具体的には65歳以上の高齢者が集落人口の50%を超える集落で、冠婚葬祭や共同作業など、集落としての機能が維持できなくなっている状態を指した。
国による様々な地方自治体合併への促進策と「地方自治体の財政破綻」という脅し文句
そして1999年に「地方分権法」が成立して国と自治体が従来の主従関係から対等関係になると定めた。しかし「地方分権法」は国が管理していた赤線や青線を地方自治体に委託し、やがて地方事務に移管した。それにより地方自治体の事務量は増えたが、反対に地方交付金の算定基準を従来の「人口割り」「面積割り」「事業割り」という具体的な三本柱を取り去り「総合交付金」と名称を変えて一本化し、併せて対前年比三割減という厳しい予算削減を行った。
同時に行政効率の向上を謳い文句に「平成の大合併」に乗り出した。そこで「平成の大合併」の促進策として「合併特例法」を制定して、平成の大合併に応じた地方自治体には「合併特例債」を認めて、向こう十年間に起債する地方債の7割を国の交付金で償還する、と特例を制定した。同時にコンパクトシティー構想を打ち出して「行政の効率化」を平成の大合併の目的とした。それにより市町村の数は1718まで激減した。
その間、国がどのようにして合併を推進するための手段を弄したか、「地方自治100年の歩み」に掲載された記事を見れば明らかだ。
平成大合併が勧められている2006年3月に地方制度調査会が「「道州制」導入を答申」したと報じた。これにより平成の大合併に関係ないと高みの見物をしていた府や県が「道州制」が導入されれば自分たちの府県が無くなるかもしれないとの危機感を抱いて、府県下の市町村の合併に本腰を入れるようになった。
同時に2006年6月には「夕張市、再建団体申請へ」との記事を大々的に報じることにより、財政基盤の弱い町・村に合併しなければ財政破綻するとの危機感で脅した。その効果はてきめんで、財政力の弱い町村では「合併しなければ破綻するかも知れない」との危機感が執行部のみならず町村住民にも平成大合併へと駆り立てた。もとより国は地方自治体を破産させないように交付金等で支援すべきであって、「夕張市の再建団体」というニュースは合併に消極的な市町村を脅す道具として使われたのは明らかだ。そうした経緯もあって平成の大合併は成功裡に2010年3月に終了した。当時の記事によると市町村は1727にまで半減したとある。こうした流れを地方自治100年の歩みを検証するまでもなく、地方自治は自治体の「数」を削ることに血道をあげた100年間だったといえます。それは行政の合理化と同時に、地域住民から行政を遠ざける100年でもあったような気がします。
地方自治体は今後とも「行政の効率化」の名のもとに、合併圧力にさらされ続ける。
しかし、これで「合併劇」は終わりではないと、石破内閣の村上総務相が「将来的には地方自治体は400くらいが妥当ではないか」とアドバルンを打ち上げた。村上総務相は適当な見当で400地方自治体と発言したのかと思いきや、政府の「人口減少対策総合研究所」が「人口30万人が基礎自治体」だと発表したことと関係があることが窺える。その根拠は「30万人×400自治体=1億2千万人」だからだ。つまり地方自治体の人口を30万人規模とするなら、全国民を包含するには400地方自治体があれば十分ではないか、という小学生の算数で弾き出した数字ではないのか。
しかしそこには地方自治体の歴史的・地政学的・文化的な関連など何もない単なる数式で導かれた行政上のカタチでしかない。それは合併特例債に目が眩んで平成大合併を推進した人々と同じ発想でしかありません。
日本国内だけでは議論が矮小化されるため、広く世界各国の地方自治体の数と人口を見てみよう。
アメリカ 人口3.4億人 地方自治体の数 84,000
スイス 人口888万人 〃 3,200
ドイツ 人口8328万人 〃 2,306
フランス 人口6829万人 〃 36,700
イタリア 人口5889万人 〃 8,101
カナダ 人口4010万人 〃 3,700
となっている。
日本よりも人口が多いのは米国だけだが、それでも人口が約三倍なのに対して地方自治体の数は約49倍の多さだ。何よりも効率を重んじるプラグマティズムの国にして、地方自治体の多さは歴史的な成り立ちを大事にするお国柄と云えるだろう。
地方自治体の適正規模は
まず地方自治体とは如何なる機能を有する地域社会なのか、という点を考察しなければならない。明治以降、政府が地方自体の合併を絶えず推進してきたのは「行政の効率化」という論理から理解できるものの、闇雲な合併により地方の地域社会をないがしろにされ、律令制度以来千数百年もの歴史ある行政区分としていた「郡」を勝手に廃して大合併を促進して来たのは日本の歴史を無視し、地方文化を無視した効率化という名の下の日本文化の破壊行為ではないかと思わずにはいられない。行政効率という美名の下に律令制度以来千数百年も続いて来た「郡」制度を否定するかのような広域大合併は先人の英知を無視した所業としか思えない。それは先人が遺して来た文化遺産を私たちの代で継承を拒否した親不孝者であるかのような後ろめたささえ感じます。
また合併する市町村には合併すべき必然性がなければならないと思います。たとえば同じ盆地に所在右る複数の町村が合併するとか、同じ河川流域の自治体が合併するとか、あるいは同じ湾を囲む町村が合併するとか、あるいは同じ島の町村が合併するなど、ある程度の必然性と合理性がなければならないのではないでしょうか。それに於いては地方自治体の「適正規模」を云々する方がどうかしていて、地理的交通的に合併した方が共通する利益が実現できる、という合理性が必要ではないだろうか。
ちなみに旧熊毛町は「熊毛郡」に所属し、大合併した他の鹿野町や徳山市や新南陽市は「都濃郡」の自治体だった。先人の叡智を蔑ろにした、これほど無理な合併が強行されたことに平成の大合併の罪深さを感じます。
地方自治体は決して破綻しないし、国には破綻させない義務がある。
平成の大合併を経て20年近く経過したが、政府主導の合併を実行した地方自治体は財政的に豊かになり地域社会は合併以前よりも活況を呈しているだろうか。合併した周辺中山間地域の過疎化が止まり、周辺部も自立した自治を確立しているのなら、平成の大合併により町や村が失われたことも我慢をすべきだろう。しかし、殆どのケースではそうなっていない。むしろ合併した結果、大規模自治体に組み込まれた周辺の町や村はさらに過疎化が進み、基本的な社会インフラの維持・管理まで蔑ろにされているのが現状です。合併以前まではそれらの町や村は役場が地方自治の中核施設として存在して、僅かとは云えども予算権を持ち、行政執行権を持っていた。その予算執行等により支えられていた中山間分が、それら役場という中核施設を喪失したため、ものの見事に荒廃しつつあります。
つい最近、新聞取材に応じた合併当時の元熊毛町長は「合併しなければ町の財政が破綻するのではないかと思った」と証言している。しかし合併した当時の熊毛町は健全財政を維持していて、財政破綻の影も形もなかった。万が一にも熊毛町の財政が突発的に傾いたとしても、地方自治法や地方財政法上の建前から国は地方自治体を潰すことは出来ない。確かに起債や新規事業への制限はつくものの、地方自治体が役場を閉鎖して行政事務を完全停止することなどあり得ない。元熊毛町長は地方自治法や地方交付金のあり様などを知らなかったとしか云えない。ちなみに、旧熊毛町周辺の町で平成の大合併に参加しなかった田布施町や平生町などは破綻していない。人口規模でいえば熊毛町と田布施町はほぼ同じで平生町は熊毛町より少ない。それでも新規事業を実行していて、平成の大合併以後の20年間で旧熊毛地域と大きな差が出ていると云わざるを得ない。
地域社会の活力を奪い地方を衰退させたのは平成大合併だ。
実は夕張市は破綻していない。確かに起債や新規事業は大きく制限されているが、夕張市がデフォルトして市役所が業務停止に陥ったことはない。しかし新聞やテレビで「夕張市が破綻する」と大騒ぎしたことから、「市が破綻するのなら町や村も破綻するのではないか」と脅迫観念に駆られて平成の大合併に飛びついた町村長がいたのは確かなようだ。それは彼らの不勉強と云うよりも、マスメディアが大騒ぎした結果というほかにない。
確かに、平成の大合併は「合併特例債」という飴と、「地方自治体の財政破綻」という鞭によって追い立てられた結果だ。地域の周辺町村から合併により都市部に呑み込まれ、それまで地域社会を支えていた「役場経済」が消滅し、地域住民が自らの知恵で地域社会の文化や伝統を守っていた中核施設「役場」を失い、予算編成権や行政執行権を都市部に奪われたことで、本来なら周辺町村に回るべき地方交付金を、すべて市部に奪われてしまった。その結果、周辺部の町・村は合併以後に著しく衰退し、ますます周辺部が見捨てられようとしている。
だが国土保全を維持するには周辺部の道路や橋梁の維持・管理は避けて通れない。日本はまさに都市周辺部から衰退し、町や村は廃屋と廃校により原野に戻ろうとしている。そうした故郷の状態に警鐘を鳴らし、再び地方自治体として町や村が蘇生すために、全国の平成の大合併で呑み込まれ活力を失ったすべての町や村と連携を取り、国に「分立特例法」の制定を求める活動を推進しています。日本を地方から元気にして、明るく棲みよい国にするために意を同じくする仲間と「全国ネット」を構築したいと願っています。
令和7年7月2日
熊毛町を取戻そう会
上記の「会」の見解は下記資料に基づいています。
地方交付税の交付根拠は、地方交付税法に基づき、国が地方公共団体の財源不足を補い、全国どこでも一定の行政サービスが提供できるようにするためです。これは、地方の財源の不均衡を調整し、住民の生活水準を均一化する目的があります。
具体的には、以下の点が交付根拠となります。
1. 地方財政の不均衡の是正:地方公共団体は、それぞれ税収や人口規模などが異なり、財政力に差があります。地方交付税は、これらの財源の差を調整し、地方間の財源の不均衡を是正する役割を担います。
2. 住民サービスの均一化:地方交付税は、地方公共団体が住民に対して、教育、福祉、警察、消防など、一定水準の行政サービスを提供できるよう、財源を保障します。
3. 地方交付税法による規定:地方交付税は、地方交付税法という法律によって定められており、交付の対象となる団体や、交付額の算定方法などが規定されています。
4. 国税の一定割合を充当:地方交付税の財源は、国税(所得税、法人税、消費税、地方法人税)の一部が充当されています。
地方交付税は、地方の財政運営を安定させ、住民生活の安定に不可欠な制度です.
地方交付税の交付根拠法
地方交付金の交付根拠は、主に地方自治法と地方財政法に規定されています。地方自治法では、地方公共団体の財政運営や交付金の基本的な考え方が定められており、地方財政法では、地方交付税などの交付金の詳細な規定が設けられています。
地方交付金の交付根拠となる主な法律:
地方自治法:
第232条の2:地方公共団体は、公益上必要がある場合、寄附や補助をすることができる。
第244条:地方公共団体は、住民の福祉を増進する目的で、公の施設を設ける義務がある。
その他の条文でも、地方公共団体の財政運営や、国からの交付金の受け入れに関する規定が設けられています。
地方財政法:地方交付税に関する規定が設けられています。地方交付税の交付対象や算定方法、交付条件などが定められています。
地方特例交付金等の地方財政の特別措置に関する法律:地方特例交付金などの交付に関する特別措置が定められています。
地方交付金の種類とそれぞれの根拠:
地方交付税:地方財政法に基づいて、国が地方公共団体に交付する税金です。地方の財源の不均衡を是正し、財政運営を安定させることを目的としています。
地方特例交付金:特定の政策目的のために、国が地方公共団体に交付する交付金です。地方特例交付金等の地方財政の特別措置に関する法律に基づいて交付されます。
国有資産等所在市町村交付金:国有資産が所在する市町村に対して、その固定資産税収入の減少を補填するために交付される交付金です e-Gov 法令検索。
その他、特定の政策目的のために交付される交付金:各種政策に応じて、個別法に基づいて交付されます 。例えば、過疎対策や高齢者福祉、環境対策など、様々な分野で交付金が活用されています 補助金オフィス。
地方交付金に関する注意点:地方交付金は、国から地方への財源移転の一形態であり、地方の財政運営を支える重要な役割を担っています。地方交付金の交付には、国による一定の制約や条件が付される場合があります。
北海道新聞で平成大合併の「光と影」を取り上げて頂きました。金子記者の訪問を受けて、私たちの「熊毛町を取戻そう会」の活動が遠く離れた北海道にも届いていることが実感できて嬉しい限りです。こうした平成大合併により衰退し消滅しようとしている町や村を再び蘇らせるための活動が全国的な連帯となり、国会を動かして平成に法制された「合併特例法」の逆方向の「分立特例法」の制定に繋がることを心から望みます。そして再び地域社会が地域の者の手に委ねられる日の来ることを信じて、活動を続けていきたいと思います。
2025年1月23日に「熊毛町を取戻そう会」は北海道新聞の取材を受けました。北海道新聞では平成大合併で函館市と合併した周辺の町が衰退していることから、平成大合併そのものの意義を問い直そうと考えているのではないかとご推察します。そうした動きの最中、同じく平成大合併により周南市に呑み込まれ衰退していく旧熊毛町を取り戻そうとしている私たちの「会」に関心を持たれ、取材する運びになられたようです。
私たちは三年前に「熊毛町を取戻そう会」を結成して、地道に活動を続けて来ました。こうした私たちの「会」を北海道新聞の読者の方々にも知って頂き、平成大合併で埋没し衰退している地域に暮らす人たちが、失われた町や村を再び自分たちの手に取り戻す機運が少しでも高まることを切に希望します。
わざわざ遠路はるばる山口県周南市の旧熊毛庁舎まで足を運んで頂いた金子記者には心から敬意を表します。取材内容等は北海道新聞に記事として掲載された後に、北海道新聞社からご提供いただき、このホームページに掲載する予定です。
(写真は旧熊毛庁舎前で金子記者と「熊毛を取戻そう会」メンバーを撮ったものです)
出席者
坂本 誠(公益財団法人地方自治研究会 常任研究員)
竹尾 久男(山口県地方自治研究所 事務局長)
村上 秀夫(熊毛町を取戻そう会 会長)
沖田 秀仁(熊毛町を取戻そう会 幹事)
龍泉 仁之(熊毛街を取戻そう会 幹事)
松並 秀夫(熊毛街を取戻そう会 幹事)
(令和6年12月9日 旧熊毛町役場 二階会議室にて)
坂本 誠
竹尾 久男
村上秀夫
沖田秀仁
龍泉仁之
松並秀夫
村上:本日は遠路はるばる熊毛町にお越し頂き有難うございます。私は「熊毛街を取戻そう会」の会長の村上でございます。
さて、熊毛町は平成大合併より21年を迎え合併を振り返る丁度よい機会だと思います。平成の大合併は様々な功罪を残していますが、そうした平成大合併を顧みて検証することなく次の段階へ進もうとするのは如何なものかと思います。そうした様々な功罪を明らかにして、前に進むべきだと思います。本日の座談会が平成大合併を検証する良い機会になることを期待します。
沖田:坂本様から教えて頂きました全国町村会の合併20年に当たって出された「町村の訴え」と「「平成の合併」をめぐる実態と評価」を教科書として「熊毛街を取戻そう会」でも勉強いたしました。そこで合併問題を考察する際に国(行政)の問題と住民の問題が混在しているように思います。「「平成の合併」をめぐる実態と評価」に記述されている「合併のプラス効果」とされているものは<財政支出の削減効果>と<職員の能力向上>があげられていますが、それらは「国」及び「地方自治体」の行政のプラス面で、「合併によるマイナス効果の検証」で上げられている<行政と住民相互の連帯の弱まり>と<財政計画の乖離>と<周辺部の衰退>は<財政計画の乖離>以外は住民が被るマイナスでしかありません。
つまり平成大合併のプラスは国や行政であって、地域住民にとってはマイナスでしかありません。そうした結論が全国町村会の資料でも裏付けられていると実感しました。
松並:はじめから合併は駄目だと思っていました。熊毛郡には熊毛郡の歴史があって、連綿と受け継いで来た。そうした熊毛の歴史を新市が受け継いで有形無形の歴史を保存し尊重してくれるのか。ちなみに熊毛北高はかつて藩政時代の宍戸家の私学校「徳習館」を発祥としています。そうした歴史が合併により蔑ろにされていると感じて、残念でなりません。
龍泉:合併の弊害を強く感じるのは熊毛総合支所に行って「どこそこの事だが」と話しても、職員がすぐに場所を把握できない。彼らの多くが熊毛町以外から通勤して来られているから、地名を云っても直ぐには分からない。しかもかつてどのようなことがあった、という引継ぎも定かではない。そうした不都合が地名だけではなく随所に見られる。それでは的確な住民サービスを提供する「役場」とは言い難い。
松並:熊毛町の農業を私たちは何とかしようと思っても、農業委員会が周南市(旧徳山市)の基準で進めようとしているから、熊毛町の農業までも衰退しようとしている。かつては農協で営農活動していたが、現在では金融だけの農協になっている。
村上:現在市では農業10カ年計画を立てているが、農家の実態を見ることもなく市のペースで進められている。今後10カ年の農政がどうなっているかも解らない。自分の命がどうなっているかも分からない状態で、国に報告するためなのか、闇雲に10カ年計画を推進している現状に疑問を覚えます。
行政面でも熊毛町の電話市外局番は0833ですが、0833は他の行政では下松市と光市です。旧徳山市は0834という有様です。また警察と消防は光市が管轄しています。いかに平成大合併が不自然な合併だったか、このことからも明らかではないでしょうか。
龍泉:熊毛町は合併後旧徳山の水道事業と一体化されましたが、隣の下松市と比較して1.9倍という状態です。女の子がいる過程で朝シャンをする家庭では二か月に一度の水道料金が4万円を超えて目玉が飛び出たと驚かれています。これほど高くなった水道料金を支払うようになって、合併しなければ良かったと愚痴をこぼされる人もいます。
松並:合併賛成派の意見は「市になるから良い」と熊毛郡熊毛町の「郡と町」が嫌だから、という理由で合併に賛成した人がいるくらいですから。熊毛郡熊毛町の地名に愛着を持たない人たちが平成尾合併に賛成したといっても過言ではありません。何というバカバカしい理由でしょうか。
沖田:「熊毛町を取戻そう会」は平成大合併を検証して国の問題、地方自治体、地域住民の問題と区分して住民に理解して頂くことが必要かと思います。そして現行法の「住民請求」による住民投票を経て分離・独立する場合は市議会と県議会の了承が必要となるため、まず不可能だろうと思います。
松並:たとえば農業委員会は有名無実化しているから、農業委員会を廃止して農業委員に出している報酬を他の農業政策に使った方が良い。農業政策は農業関係の行政と農家が一緒になって推進したほうが現実に即した農業行政になるのではないかと考える。
村上:熊毛地区は農業にとって良い地形にあるから、10カ年計画などで縛る必要はなく、農業者が行政と一体となって柔軟に対処する方が良いのではないか。
坂本誠氏の談話「平成大合併を振り返って」
幅広い合併に関わる話を聞けて良かったと思います。平成大合併とともに、農協合併と郵政民営化が地方を衰退させたと思います。また熊本県泗水町は合併して菊池市に入ったのですが、元の泗水町に分離・独立しようと盛り上がったのですが、泗水町独立派のリーダーが菊池市の市長選に出る、ということになって急に泗水町分離独立運動が下火になりました。ですから住民運動と政治はあくまでも別しないとなかなか成功しないのではないかと思いました。
また分立法を特別措置で法制化するのも必要ではないかと思います。平成大合併によって出来た市長も「分立特例法」があれば周辺部に配慮せざるを得なくなると思います。
またメガソーラについて長崎県の五島列島最北端の島「宇久島」は合併で佐世保市に入ったが、現在は島の1/4ほどもあるメガソーラ基地開発されようとしていて、問題になっています。元々は人口2千人の牧草地などもあって、放牧が盛んだったのですが、日本最大級のメガソーラ開発でどうなるのか心配な地域です。佐世保市に入ったため、問題は佐世保市議会で決められる、ということです。これもまた大合併の弊害です。
しっかり認識しなければならないのは行政と自治会とは異なることです。行政には予算の裏付けがあって、その予算を使って自律的な事業ができる、ということです。予算の裏付けがあって、自治を行う執行権があるのが町や村です。また分立法制定の事ですが、かつてGHQ占領当時に地方自治を尊重する米国の思想から日本にも自治体の分離・独立を促進する法律がありました。それにより山口県でも新南陽市が徳山市から分離・独立した歴史があります。地方自治のことはそこで暮らす人たちに任せる、というのが「地方自治」の基本的な理念です。これから「分立特例法」が制定されるか全く分かりませんが、「分立特例法」があれば、大きな市の市長も緊張感を持って周辺部への世策を行うようになるでしょう。「熊毛街を取戻そう会」の取り組みは全国のかつて町や村だった住民が再び自分たちの町や村を取戻そうとする勇気を与えるでしょう。
最後に、もっとも危険なのは「合併したものは仕方ない」という諦めです。「熊毛町を取戻そう会」の灯を掲げて頑張ってください。
了
周辺地方が衰退したのは周辺地域への貨幣流通量が減少したからだ。
地方が衰退し東京が一極集中するのは渡物が働く魅力的な雇用の場がないからだ。魅力的でない雇用の場は、例えば農家などの後を継げば生きていくことは出来る。しかし妻を娶り子供を一人前に育て上げるほどの経済力を手に入れることは出来ない。しかも収入は天気頼みで不安定だ。そんな政府から見捨てられた農業の魅力を感じて農業に身を投じる若者はいない。
安定的な生活とは土木企業や製造企業などへの就職だ。かつては地方に進出した工場に勤務して、土日に農業をする「兼業農家」が大盛況だった。つまり日本の農業の大半は第二種兼業農家によって支えられていた。しかし地方交付金の削減と公共事業予算の削減により、地方の土木・建設企業はバタバタと倒れた。
同時に実施された「平成の大合併」により、地方への交付金削減が強行された。大合併により地方都市に併呑された周辺町村は役場という地域経済の核を失った。従来なら、ちょっとした村ですら数十億円の予算を組んで、義務的経費や事業費としてその地域に「公金」を支出していた。しかし合併により役場が支所になり、予算編成権や執行権を失って従来ならその地域に交付されていた交付金まで中心部に吸収されるようになった。
国家間で成立する貨幣流量とGDPの関係は地方の地域にも当て嵌まる。
地方に一大企業が進出すると企業城下町が形成される。国家において貨幣流通量が増えればGDPが拡大する(図1,図2の比較から検証できる)、という極めて当たり前の相関関係が存在するが、それは地方自治体にも当て嵌まる。(図1,2とも省略)
周辺部町村が平成の大合併により碌な検証もなく、流行性の熱病にでもかかったかのようにマスメディアにも連日連夜囃し立てられて中心都市に合併したが、20年経過した現在どうなっているだろうか。
そうした合併後の事証記事もマスメディアには一行たりとも掲載されていない。しかし合併により併呑された町や村に暮らしている国民がいることを忘れてはならない。
中心部に吸い取られた地方自治体の財源と地方交付税。
地方都市はご多分に漏れず衰退と空洞化が進行している。それを止めるべく、中心市街地への投資を地方都市は強行しているが、必ずしも効果を上げているとは言い難い。全国各地で寂れたまだ新しい地方都市駅前のショッピングモールや巨大施設が散見されるのは平成の大合併でばら撒かれた「合併特例債」の残骸だ。
それにより周辺部町村の社会インフラを整備すべき財源までも中心部に吸収され、濫費されてしまった。残る地方債権の償還に交付金などが充当されることになるため、周辺町村は二重の意味で中心部に、本来なら周辺部町村の社会インフラ整備や更新などに使われる交付金までも奪われ、奪われ続けている。
「国民発議委員会」という国民運動を「分立特例法」の制定に広げよう。
かつて平成の大合併を促進した「合併特例法」は国会で制定された。法体系からすれば「合併特例法」があれば、「分立特例法」もあって然るべきだ。そうすることによって法体系としてバランスの取れたものになる。しかし「分立特例法」は制定されていない。ただあるのは旧来の住民請求権だけであって、合併した市の議会承認や都道府県議会での承認が必要になる。そうした手間暇と利益の対立する議会承認を二度も得なければならない、というのでは周辺部町村の分立「分離・独立を「分立」という」は絶望的だ。
地方自治は地域住民の意を以て成り立つ、という原則に即すなら、「分立特例法」を国会は制定して、一定期間内に「合併特例法」を適用して併呑された町や村を旧に復す簡便な措置法を地域住民に用意すべきだ。
「分立特例法」とは
「分立特例法」を簡単に説明するなら、かつて町や村だった地域住民の1/50の署名で「分立」の発議ができ、かつての町や村の地域住民の住民投票で過半数を得たなら「分立」を認めて、直ちに「分立法定会議」を設置して半年後の「分立」に向けて地方自治体内で財産分与や人事などを協議して分離・独立を求める、というものだ。
分離・独立に際しては直ちに議会と首長の選挙を行い、町や村を出発させる、という項目を網羅すれば良い。ただし、「合併特例法」が時限立法だったように、「分量特例法」も10年程度の時限立法にして、地方自治体の改編騒動を収める必要があるだろう。
周辺部自治体が独立する効果は
周辺部町村が独立する意義は大きい。それにより都市部の考えで実行されていた行政を周辺地域の町や村の意思で確実に実行できるようになる。たとえばメガソーラ開発など、乱開発されたのは周辺部町村の自然だった。周辺部町村に決定権があれば、当然のことながら乱開発を止めて環境破壊を制御できたはずだ。
新たに投資して、工業団地の開発も町や村の制作して実施できるし、農業などのあり方も町や村の住民で協議して決められる。何よりも町や村に役場が戻り、「役場経済」が地域の中核となって賑わいが戻る。周辺部に非とも戻るようになるし、中心部の業者によって淘汰された土木業者も地域に復活するだろう。災害に強い地方とは、地域が自立していることだ。それを促すのは町や村が自立している必要がある。もちろん政府は公共事業や地方交付税を旧に復さなければならない。
(2024年8月25日付 「日々雑感」より引用)
「熊毛町を取戻そう会」が結成されて2年経ちました。今年が周南合併20周年の節目に当たることからチラシを作製して会の活動を広くアピールしました。
村上 ;お集まりいただきましたのは、過日「読売新聞」に掲載された周南合併20周年特集に関する各位の感想なりご意見をお伺いしたいと思いまして、こうした場を持ちました。
沖田 ;その前に「周南市民行財政白書2023」が「周南行政研究会」から発刊され、つい先日「やまぐちけんの自治」から送られてきました。その白書の中で私たちの活動に関係する箇所がありましたので、まずそのことを皆様方にお知らせいたしたいと思います。 まず白書のp32の「 熊毛町住民は 、 2市 2町 の な か で初め て の 直接請求を 行っ た の で す が 、 主権者で あ る 住民の 意向が 無視 さ れ る と い う 結果 と な りま し た 。 合併 と は 、「 住民 自治の 区域の 変更」 に ほ か な り ま せ ん 。 だ と す る と 、 当然、 決定す るの は 主権者で あ る 住民で あ る こ と は 自明の 理で す 。 し か し 、 町は 本筋を 外 し て し ま い ま す 。そ の 第 1は 、 大 田町長が 議会や 住民間で 様々 な 意見が あ る に も 関わ ら ず 、 独断で 2市 2町 の首長会談に お い て 法定合併協議会へ の 参加 を 決定 し た こ と で す (2002年 2月 25日 )。 言 う ま でも な く 、「 首長の 意向」 を 「 自治体の 総意」 に す り 替 え た の で す 」という個所は熊毛町が合併に到った原点で基本的な「住民の総意」を聞く手続きを怠った、という熊毛町長の考え方が間違っていたという指摘と、次に私たちの「熊毛町を取戻そう会」設立の意義に関する記述がありましたので紹介しておきたいと思います。
それはp35からp36にかけてのヶ所です。 「「熊毛町を取戻そう会」は二つ の 重要な 問題提起を 行 っ て い ま す 。そ の 一つ は 、「分立特例法制定」 で す 。 地方 自治法第 7条 で は 、 市町村の 廃置分合 (合体、 編入、 分割、 分立)を 行 う 場合に は 市町村議会及び 都道府県議会の 議決 を 必要 と し ま す 。 そ の ため 合併 (合 体・ 編入)に 比べ て 分離独立 (分割・ 分立)の 場合に 困難 を 伴 う の が 実情で あ り 、当該地域の 住民投票に よ っ て 分離独立を 認め る 法律の 制定を 求め て い ま す 。
「熊毛町を 取戻そ う 会」 の 問題提起 と 運動は 一見す る と 荒唐無稽 に 見え ま す が 、 先例が あ りま す 。 図1-1-4に 見 ら れ る よ う に 、 戦時下に お い て 旧富田町、 1日 福川町な ど は 徳 山市に 強制合併 と な り ま し た 。 住民の 運動や GHQ(連 合国軍最高司令官総司令部)の 後押 し に よ っ て 地方自治法附則第2条 (1948年8月 1日 施行、 2年 間の 時限立法)が 制定 さ れ 、 分離独立に つ い て は 住民投票に 重点が お か れ ま し た 。 そ の 結果、 旧小郡町 (現在は 山口市)、 1日 福川町 (同 ・ 周南市)な ど が 分立 し た の で す 。 「 地域の こ と は 地域の 住民が 決定す る 」 、 こ れ が 住民 自治の 原則で す 。 そ の 意味で 自治体の 分離独立運動は 住民 自治の 原点 と い っ て も よ い で し ょ う 。 ま た 、市町村の 分立を 求め る 運動が 提起 さ れ る と い う こ と は 、 周南市誕生ま で の 過程で 「 自治体の 総意」 が 確認 さ れ ず に 進ん だ こ と を 象徴 し て い ま す 。 二つ 目は 、 「 中心― 周辺」 の 問題で す 。 既 に 指摘 し ま し た が 、 熊毛地域は `飛び 地、 的な位置に あ り ま す 。 合併前の よ う に 当該地域に 自治機能 (役 場、 議会)が な い た め 、 「 周辺」感覚は 拭え な い で し ょ う 。「 中心― 周辺」 を 考え る 際に は 、 次の よ う な 問い か け に 注 目し て ほ し い の で す 。 「 い ま 本誌 を 手に と つ て こ の 拙文を お 読み に な っ て い る 皆様に お 尋ね し た い 。 あ な た の 手は ど こ に 添え ら れ て い る だ ろ う か 」 、 「 … … 流儀は 数多あ れ ど も 、 そ の 手は 「 端」 に 添え ら れ て い る ので は な い だ ろ う か 。 こ の よ う に 、 「面」 を 支 え る と き に は ま ず 「 端」 を 支持す る の が 、 常識的に も 科学的に も 合理的な 方法で あ る 」 。 そ う し て こ う 続 け て い ま す 。 「 末端の 集落が 消滅す れ ば 一つ 手前の 集落が 末端 と な る こ と を 意味す る 。 「端」 を 守る こ と は 地域全体を 守 る こと で も あ る の だ 」 。 こ う し た 「 端」 の 思想 を 政策理念の 柱に し て ほ し い と 願 っ て い ま す 。か つ て 県は 『 中核都市の 形成 を め ざ し て 』 と い う 合併啓発書に お い て 、 「21世 紀は 、 都市の 時代で す 69」 と 高 ら か に 謳い 、 「 中核都市づ く り 」 を 提唱 し ま し た 。 こ の わ ず か な 字数の な か に も 、 「 周辺」 を 軽視 し て い る 県の 合併思想 を 垣間見る こ と が で き ま す 。」 以上「周南市民行政白書2023」の文中から「熊毛を取戻す会」に関係している二ヶ所を抜き出してご紹介いたしました。文章のコピーを配布いたしますから御精読していただければ、と思います。
松並 ;その「周南市民行財政白書2023」は何処に連絡すれば求めることができますか。
沖田 ;冊子を送付して来た封筒があります。その封筒に「周南行政研究会」の住所や電話番号等がありますので、それで連絡が付くと思います。今日の会議の議題ですか、読売新聞で周南合併20周年を機に合併の効果や影響等を検証する、という記事を-上-中-下-と三回に分けて大々的に取り上げていますが、読み上げました「周南市民白書2023」のような合併そのものに対する疑問や、私たちの「会」の運動に関する記述は実におざなりなものでしかないと思います。
松並;-上-の記事を読んだ時には、こういった観点から周辺部の「地域問題」を掘り下げていくのなら願ったり、と思っていたら、-中-下-と中心市街地と周南公立大学に関する内容だけになってしまった。それも「中心市街地への投資」と「徳山大学」を私学から効率化することに対する問題点の提起もなく、大学の市立化「万々歳」といった記事で終始しているのは情けない限りだ。
龍泉 ;しかも周南公立大学に入学した学生の出身高校で周南周辺は極めて少数だったというではないか。そうした大学に市民の税金を投じて、果たして卒業生が周南地域に定着する割合が増加するのか、何の根拠もない希望でしかないのではないか。
沖田 ;中心市街地活性化事業は合併以前の徳山市の時代から続けてきたものですね。しかし徳山市時代でも中心市街地の衰退は明らかで、中心地に進出していたショッピングセンター・ダイエーやサティーが相次いで撤退していた。残る大型店舗は「近鉄松下」だけで、徳山駅前商店街の「核」だった。その「近鉄松下」も合併後まもなく撤退し、その跡地に「徳山デッキ」を建設するという。それらの「業績判断」を何処がどのようにするのか、
松並 ;行政の中心市街地に対するものと周辺部に対するものとの投資割合を明確にすべきではないだろうか。そうしないと、周辺部は中心部への投資のダシになるだけではないか。
沖田;合併後の中心部と周辺部との「差」は驚くべきですね。特に鹿野町の合併後20年間に人口が40.99%も減少したのは危機的な状況だといわざるを得ない。鹿野町が合併してなければこれほど急激な人口減は起きてなかったのではないだろうか。少なくとも鹿野町の最大の事業主体「鹿野町役場」か゛「鹿野総合支所」になったことですね」
龍泉 ;最大の問題は支所には予算の執行権がない、ということですね。執行権を奪われ、議会で鹿野出身の議員が発言したところで、数が少ないため何も出来ない、ということになるのではないか。熊毛町でも同じことが云えると思います。肝心の人口減を防ぐ手立てとして大学の公立化を市長は断行したが、大学を市立大学にしたところで、人口減を食い止める効果があるかといえば甚だ疑問ですね。本当に人口減を食い止める方法としては工場の誘致など若者の雇用の場の確保をしなければならないと思います。そうした若者の雇用の場を熊毛町に誘致しようにも、まず工業団地を造成する執行権が私たち熊毛地区に暮らす者にないことが大問題ではないだろうか。出来れば市長のリコールは難しいまでも、熊毛地区で市長の「不信任」署名活動をしてはどうだろうか。千でも二千でも署名が集まれば、それなりの効果があるのではないか。
松並 ;行政の目が細かい所まで届かなくなったのか、農振地域で太陽光発電事業が展開されている。農振地域でも太陽光発電への転用は出来るが、圃場整備事業をして8年目でメガソーラーに転用した地域もある。それは大問題だと思うし、旧熊毛町では考えられないような「無法行為」ではないだろうか。こうした大問題が起きている事実を市長は知らないのだろうか。平成の大合併で大規模な行政区が誕生し、「行政の目」が粗くなったのは間違いないと思う。
沖田 ;読売新聞の記事に「徳山デッキ」が今年12月にグランドオープンするとあるが、何度目かの中心市街地活性化の目玉事業が果たして成功するのだろうか。また「成功の目安」を議会は15億円に上る補助金決定する審議で決めるように「徳山デッキ」の事業主体に求めたのだろうか。
松並 ;中心市街地は殆どシャッター通りになって、夜になるとポツンポツンと居酒屋の明かりが灯るだけだが、それも200万円の補助金目当てのものでしかなく、営業義務期間が過ぎればサッサと撤退するため、しょっちゅう居酒屋の看板が変わっている。そんな補助金狙いの連中が中心市街地活性化事業にブラ下がっているだけだ。
沖田 ;銀座アーケード街の地下にあったスーパーはどうなったのですかね。閉店するだとか、他の企業が引き受けるとかいった話があったが。映画館が一軒あったが、それはどうなったのですかね。
松並 ;スーパーも映画館もとっくに終わった。だから中心市街地にはスーパーもなければ映画館もなければ目を惹くような飲食店もない。ただ補助金狙いの居酒屋が入り変わり立ち代わりしているだけだ。そんな街に誰が出掛けるというのだろうか。そこにツタヤ図書館があって、指定管理費を毎年1億5千万円もかけている。バカバカして限りだ。
沖田 ;ツタヤ図書館が開館して五年後に1千万人の来館者があって大繁盛だ、と読売新聞が書いているが、まともな評価をするならツタヤ図書館開館以前と会館以後とで中心市街地の商店の総売り上げが何%上がったかを調査して報道すべきではないだろうか。元々駅ビルには「徳山駅」利用者年間240万人いたが、ツタヤ図書館が開館して何万人の上乗せ効果があったのか、という数字もない。新聞記者氏の取材力とはその程度かと思わざるを得ない。
松並 ;事業評価制度を指定管理業者にも導入して、指定管理者にも競争原理を導入すべきではないか。
沖田 ;読売新聞記者氏が話していた「姫島が北朝鮮」というのも実に魅力的な話でしたね。つまり行政で一人で出来る仕事を分割して、多くの人が細々とした公的な仕事に従事して、多くの人たちが行政に参画する、という体制は決して悪くはないと思いましたね。
龍泉 ;そのためにも熊毛町を取戻して執行権を手にする必要があり、この「分立運動」を推進するしかないですね。
松並 ;中心市街地活性化事業には「パークタウン」とやら「ナントヤラ」様々な名前を冠した団体があって、この狭い2㎢もみたない中心市街地に補助金が二重三重に配られて、限界に近いのではないか。その最終段階の仇花が「徳山デッキ」ではないかと思う。まったく呆れてモノも云えない。いい加減、旧熊毛町民は目を醒まして、分立独立運動に立ち上がらなければこの地域も衰亡して鹿野町の二の舞になるだろう。
村上 ;さて、時間も経過しました。今日は「熊毛町を取戻す会」の例会で貴重な意見を有難うございます。益々「分立特例法」の制定を求める声が全国の町や村から澎湃として湧き上がる日が来ることを夢見ながら、一歩一歩前進するように力を尽くして行きましょう。
周南市行政研究会
〒753-0072 山口県山口市大手町9−11
山口県自治会館 内
(顔写真左から村上、沖田、龍泉、松並)
「熊毛町を取戻そう会」役員による座談会(5月4日ジョイフル小周防店にて)
村上 皆様おはようございます。会を始める前に先日ご他界された有田司さんのご冥福をお祈りいたしたいと思います。ーー黙祷ーー
それでは早速ですが、「熊毛町を取戻そう会」役員による例会を開催いたします。今回の討議して頂く議題は5月2日朝日新聞の山口県東部版に掲載された記事に関して、皆様の忌憚のない「思い」をお聞きしたいと思いまして、集まって頂きました。
沖田 まずプリントをご覧ください。皆様にお配りしたのはchatGPTに 「自治会と行政との違いについて」質問して得た回答です。是非ご参照頂きたいと思いまして、お配りしました。
「 (質問)
自治会と行政との違いとは。
(回答)
行政と自治会の主な相違点は、以下のような点が挙げられます。
権限の有無 :行政は法的な権限を持ち、公共の福祉を実現するための政策決定や行政サービスの提供などを行います。一方、自治会は法的な権限を持たず、住民が自主的に活動する組織であり、地域のコミュニティ活動や自主的な問題解決活動を行うことが主な役割です。
組織形態 :行政は、国や地方自治体という公的な組織の下に、公務員が勤務している組織です。一方、自治会は、住民自身が自発的に結成した、非公式な組織であるため、行政とは異なる組織形態を持っています。
活動範囲 :行政は、国や地方自治体全体の行政活動を担当することがあります。一方、自治会は、地域住民に限定された範囲で活動を行うため、行政と比較して、より狭い範囲での活動に限定される傾向があります。
財源の違い :行政は、税金や国庫補助金などの公的な財源を利用して、政策やサービスを提供しています。一方、自治会は、住民からの寄付や自主的な活動による収入などを基に活動を行うため、財源の面で行政とは異なる運営方法を取ることがあります。
以上のように、行政と自治会は、目的や組織形態、活動範囲、財源などにおいて異なる特徴を持っています。しかし、地域社会においては、行政と自治会が連携して協力することで、より良い地域社会を実現することができます。」(以上chatGPTによる)
このようなAIが作成した文章をなぜお配りしたのかというと、一昨日の記事の後半に九大教授が「地域団体(熊毛町)が衰退するなか、事業を整理しつつ、これまでできなかった事業を外部と連携しながら取り組むべきだ。行政は議論の材料となる地域のデータを示し、住民に寄り添いながら、活動の段階に応じて持続的に支援していくことが必要だ」と述べていらっしゃいますが、自治会活動にはおのずと限界があって、だからこそ私たちが「熊毛町を取戻そう」と運動している主旨がご理解されてないのではないか、と残念に思ったからです。そこで新聞記事を読まれた方々が、平成の大合併によって周辺部となった「かつての町村」の危機的な衰退を目の前にして、解決策とは大合併後の行政と各地域の自治会がタイアップして活動すれば問題解決するかのごとき教授のご意見に対して異議を唱えざるを得なく、その根拠としてAIが生成した「自治会と行政の相違」を皆さんに一読して頂きたいと思いました。
つまり自治会と行政は「権限」に於いても「組織形態」に於いても「活動範囲」についても「財源」についても大きく異なる別組織だということをご理解して頂きたいと思います。
龍泉 平成の大合併に於いて取り残された地域が大部分で、大合併で喜んでいる地域は都市部の本当に中心部というごく僅かだということを知って頂きたいと思います。周辺部の人たちは諦めている人たちが殆どだと思います。沖田さんが述べられたように九大の教授が提示された「解決策」は何も解決していないのではないか。自治会がいかに頑張ろうと執行権も予算もない任意団体で何が出来るというのだろうか。九大教授が質問を聞き間違えたのか、あるいは質問した記者が聞き間違えたのか、この部分の記事は却って読者に誤解を招きかねないものではないでしょうか。
いずれにしても「熊毛町を取戻す」にはこの活動を持続させて、地域住民の理解を広げていくしかないと思います。
松並 衰退しているのは周辺地域だけではなく、中心の旧徳山地区ですら住宅街は限界集落になり、子供たちがいなくなり保育園が廃止になったりして、中山間地域丈の問題ではないような気がする。
沖田 平成の大合併となった中心市の旧徳山地区でも住宅街が衰退しているというのは周南合併後20年間で周南市の人口が12%以上も減少したことから分かります。ただ周辺部にあたる旧熊毛町の人口は13.6%もの減少を示しました。合併前は山口県下でも唯一人口増の町だったわけですから、合併後の熊毛地区の衰退は誰の目にも明らかですね。ですから見出しに「くすぶる不満」とある表現は周辺部地域の現実を的確に表しているとは思えません。むしろ「衰退に危機感を覚える」ぐらいの見出しが欲しかったですね。
例えば合併20年の間に、新しい市道が一本でも建設されましたか。かつて中心地区区画整理事業の際に策定されていた計画街路が一本でも完成しましたでしょうか。新清光台から国道二号線へ到る道の拡幅工事は、かつて豪雨の際にそこの崖が崩れて道路を半分埋める災害がありましたが、その災害復旧工事に合わせて拡幅したものです。それ以外の道路改良が何処かありましたでしょうか。
市政とは関係ありませんが、国道二号線の道路改良関係では通学路となっている危険個所の改良にやっと取り掛かった所ですね。子供の通学路の安全対策にしても、20年間なにも進展していないというのが現状ではないでしょうか。つまり市のインフラ投資が中心地に片寄っていて、周辺地域にはほとんど回されていない、というのが周辺の旧町村の衰退に拍車をかけているのではないでしょうか。
松並 5月2日付の記事を読んで一番残念に思うのは、このような記事を書いていた記者さんには失礼ですが、町の中を何日か掛けて歩いてないのでは思われることです。記事を書かれた記者さんが長く山口県に駐在していて、私たちの実情を熟知していたなら、もっと違った角度や切り口から旧熊毛町の危機的な実態が見えたのではないかと思います。
沖田 先ほど数字を出しましたように、合併後20年経って周辺部になった町こそが合併後に激しい人口減に見舞われています。それは合併後の市が周辺部にインフラ投資しなかったからではないかと思うと同時に、行政当局が市民の雇用確保のための努力、端的にいえば工場誘致をすべく工業団地の建設をして来なかった、という点が上げられるのではないでしょうか。
旧熊毛町は一般会計だけで50~60億の予算規模を持っていました。その内需用費や義務的経費を除いて、インフラ投資できる「真水」部分が一割前後あったとして、「真水」に補助金を付ければかなりの事業が出来るわけで、そうした熊毛町のままだったら「真水」部分だけで100億円前後もの事業が出来たはずが、新規事業が殆ど何もないまま20年も推移した結果として、現在があると思います。それが象徴的に表れているのが「中央区」ではないでしょうか。かつての熊毛町役場を中心として、一つの経済圏を築いていたと思いますが、現在ではかつての山陽道・呼坂本町は見事なほどシャッター街になっていますね。
龍泉 役場機能がなくなって若者もいなくなったし、例えば私は腰が悪い腎臓が悪い肺が悪いという満身創痍の身ですが、行くべき総合病院が町内にないわけですね。入院施設を持つ病院がないため、入院となれば家族への負担が大きく、どうしようかと途方に暮れるほどです。これは町として恥ずかしいことです。
沖田 山口県で合併をしなかった町として阿武町がありますが、あの給付金4630万円で全国的に有名になった町です。阿武町は人口3,000人弱の町ですが、日本海の沿岸の砂浜に「ABUキャンプフィールド」を整備して、現在のキャンプブームも相俟ってかなりの賑わいを見せているそうです。そうした町独自の施策を展開して人を呼び込めるのも独立した町だからではないでしょうか。
松並 国交省の推進するコンパクトシティーをすべきかと思います。勘違いしてもらっては困りますが、徳山駅前周辺をコンパクトシティの核とする街造りではない。熊毛町全体もコンパクトシティの一つとして整備すべきだと思います。
龍泉 自治会活動を通して少しづつ行政に働きかけるのでは、私たちの命が持ちません。熊毛地区では人口の30%が後期高齢者です。私たちは合併前の熊毛町も良く知っていて、歳月の推移と共にこの地域から活気が失われていくのを座視するのは忍びありません。
村上 それを見込んで徐々に実施して行く、ということなのかも知れませんね。 龍泉 そうかも知れませんが、早いうちに分離・独立を実現していくのが最善だと思います。周南市の一地域として自治会を通じて「要望」を出して、逐次事業を実施してもらう、という考えでは、少子化の波が津波のようにこの地区の文化や伝統までもを洗い流してしまうのではないか。せっかく朝日新聞が平成の大合併20年を機に記事を書いていただいたのは素直に感謝しますが、山口県東部版ではなく、全国紙の全国版に平成の大合併を検証する記事を掲載して頂きたいと思います。
沖田 そうですね。物事を前進させるためには計画・実行・そして反省が必要ですから、平成の大合併の検証をすべてのマスメディアが一致して実行して頂きたいと思います。かつて小泉政権が推進した平成の大合併当時には、毎日のように法定合併協議会が設立された、というニュースがテレビで報じられ紙面を賑わして「合併すべきだ」との機運を盛り上げ平成の大合併の一翼を担ったのも確かです。当時の日本国民の多くが大合併に関する大した研究も協議もなく闇雲に大合併ありきの雰囲気に乗せられた、というのが実感です。国会議員の皆さんも平成の大合併を検証する必要があるのではないかと思います。中山間地が疲弊すれば、それはやがて地方の中核都市を疲弊させ、やがて日本を疲弊させるのではないかと危惧します。
村上 長い時間ご検討いただきまして、ありがとうございます。今回の「座談会」は文字に起こしてネットに掲載したします。是非お知り合いにご一読して頂きますよう、宣伝活動もよろしくお願いいたします。
2010年までの10年ほどで全国の市町村の数が半分近くに減った「平成の大合併」。自治体の行財政基盤が合併によって強化された半面、人口減少や高齢化が加速した周辺部の旧町村では不満がくすぶる。合併から20年を迎えてなお、分離・独立を目指す動きが起きている。
周南市は4月21日、2市2町の合併で20年の節目を迎えたが、旧熊毛町の住民の一部が誌からの分離・独立運動を続けている。
住民団体「熊毛町を取戻そう会」が発足したのは21年9月。旧町民が合併からの離脱に向けた協議会の設立などを決められる「特別法」の制定を全国に呼び掛けている。
「20年近く経つのに今さらなぜ」と戸惑う旧町民もいた。だが、会長の村上秀夫さん(76)は「行政が遠い存在になった、元に戻せないかという声は強い。合併の弊害を伝えきれなかった自責の念がある」。
元々、旧熊毛町では合併への賛否が割れた。協議が進む02年秋、合併反対派の住民団体の直接請求をきっかけに議会が解散。出直し町議選が行われたが、賛成派が多数を占めた。村上さんは当選したが、合併の流れを止められなかった。
当時、町議会では「地域の足」となる循環バスの導入が合併への賛否を超えて議論されていた。路線バスが走らない集落やJRの駅を結ぶ。合併後も議論は続いたが、周南市は「導入は困難」との結論に達した。
今の市議会の定数は30人だが、旧熊毛町を地元とするのは3人だけ。合併賛成派の町議だった市議の尾崎隆則さん(70)も「地元以外の議員の賛成も得られないと施策の実現は難しい。地元のことを決めていく力が弱くなった」と話す。
市の中心部のJR徳山駅周辺では、大型公共事業が相次ぐ。駅ビルは市立図書館やカフェが入る複合施設に生まれ変わり、市庁舎は100億円以上かけて建て替えられた。
一方、瀬戸内コンビナートに通勤する住民のベッドタウンとして発展した旧熊毛町は、合併後に人口減少に転じ、高齢化が進む。会の幹事で元町議の沖田秀仁さん(75)は「声を上げなければ、周辺部は見捨てられるばかりだ」と訴える。
1999年から2010年の「平成の大合併」で九州・山口8県の市町村数は573から252になった。減少率は全国平均を上回る56.0%。全国トップの長崎県(73.4%)をはじめ、大分、山口県も上位に名を連ねる。
朝日新聞が国勢調査を独自集計したところ、市と町村の組み合わせによる合併では、208の旧町村の人口は10年から20年の10年間で11.6%減少した。4割強の87旧町村は20%以上の減少。一方、62の旧市は3.5%減にとどまった。162の町村同士が合併した場合は9.5%減だった。
九州大学大学院の嶋田暁文教授(行政学・地方自治論)は「平成の大合併は必然的に周辺部の衰退を招かざるを得ない仕組みだった」と指摘する。
地域の中心だった役場が支所になり、職員が減れば、周辺の飲食店なども成り立たない。住民の声を代弁する議員の数も少なくなった。「分離・独立運動が起きるのは当然で、まだエネルギーが残っているからとも言える。もう声を上げることさえできなくなった地域も多いのではないか」
だが、合併の解消は「現実的には難しい」とも言う。地方自治法上は可能だが、市議会だけでなく県議会の決議も必要だからだ。
では、どうするか。
嶋田教授は、人口がある程度減っても安心して住み続けられる地域を実現するため、住民が自主的に活動する地域運営組織の仕組みを構築することを方策の一つに挙げる。
嶋田教授は「地域団体が衰退するなか、事業を整理しつつ、これまでできなかった事業を外部と連携しながら取り組むべきだ。行政は議論の材料となる地域のデータを示し、住民に寄り添いながら、活動の段階に応じて持続的に支援していく事が必要だ」と話す。(武井宏之)
転載等はすべて了承いたします。
党派は関係なく、すべて「熊毛町を取戻そう会」の趣旨にご賛同して頂ける方々と連帯・連携していきたいと思います。
むしろ岡藤さんに転載して頂きたいほどです。よろしくお願い申し上げます。
そして「熊毛町を取戻そう会」のフォームメールに書き込みして頂きたいと思います、とお伝えください。
令和4年12月28日
お世話になります。山口自治研の竹尾です。さて、今日は、お願いがあります。
下関市旧豊田町の岡藤和代さん(本研究所会員、元・豊田町議会議員、共産党所属。2004年7月11日に旧豊田町で実施された住民投票のリーダー)は、
「やまぐちの自治」所収の「『分立特別法』の制定を求めて」を読まれてその趣旨に賛同されたようです。過日、岡藤さんから、
「明るい町」(発行:日本共産党豊田町支部)に転載(連載)させてほしい旨の要望が寄せられました。(この「明るい町」紙は、本日、
研究所からご自宅宛てに発送しました)。岡藤さんのご要望をかなえていただきたいと思い、メールを差し上げた次第です。
ご検討のほど、よろしお願い致します。
令和4年12月28日
日本で合計特殊出生率が2.1(人口維持出生率)を超える地方自治体があることをご存知でしょうか。2022年10月20日付けの日経新聞に以下のような記事が掲載されました。
「岡山県北東部にある人口5700人余りの奈義町に全国の自治体関係者の視察が絶えない。2019年の合計特殊出生率が2.95まで回復し、少子化対策の「奇跡のまち」として注目を集める。その具体的な施策をみると、起死回生の目玉を打ち出したわけではなく、地域のニーズを住民参加型の施策に反映し、住民意識を高めながら少しずつ支援策を拡充する取り組みに行き着く」というものでした。
奈義町が奇跡的な「人口自然増」を実現している秘密を探る前に、奈義町が「特別な町」でないことを記しておきたいと思います。まず奈義町は岡山県の北東部、鳥取県境にある人口5861人の町で、典型的な山村僻地に所在する町だということを御理解して頂きたいと思います。その奈義町がどのような歴史を辿って来たのかを記すと以下の通りとなります。
*1955年(昭和30年)2月 - 北吉野村・豊田村・豊並村の3村が合併し、奈義町となる。
* 1961年(昭和36年) - 陸上自衛隊を誘致。
*2002年(平成14年) - 津山市や他の勝田郡の町との合併が議論されたものの、いずれの市町村とも合併しないことが決定。
*平成の大合併不参加を決めたことで、子供医療費無料化や進学費用支援など子育てしやすい町づくりと移住者誘致に力を入れ、合計特殊出生率は高水準(2019年で2.95)を維持しているーーという経過を辿った町です。
次に奈義町の産業を見てみると、林業、農業が主体の町で、馬桑地区ではワサビが栽培され、その葉を醤油漬けにしてちらし寿司にのせた「葉わさび寿司」という郷土料理があります。集中豪雨でワサビ田が流失して一時途絶えたが、隣町にある岡山県立勝間田高等学校(勝央町)の協力を得て復活しました。
製造業としては三社電機製作所、ユニカス工業、エイ・ティ・シイ ミカド、湯山製作所岡山工場、大石金属工業株式会社岡山工場が立地しています。南東部には東山工業団地があり、また奈義町日本原には自衛隊日本原駐屯地があって、広さは、東西6キロ・南北5キロ・総面積約1450万㎡で中・四国地区最大の演習場です。 この演習場は主として中部方面隊管内の部隊が使用しており、年間約16万人の隊員が訓練しています。
町の公共交通網は町内を通る鉄道路線はないが、町の南側をJR西日本姫新線、町の西側と北側を因美線が走っています。津山駅や高野駅との間にバス路線があるだけだ。町内を通る高速道路もなく、最寄りのインターチェンジとしては中国自動車道津山ICか美作ICを利用することになります。
町内を走る一般国道は国道53号で、バス路線は中鉄北部バスが津山駅 - 日本原 - 行方 - 馬桑を結び、なぎバスとして「勝間田駅 - 林野高校 - 真加部 - ナギテラス」間を「さと丸乗り合い交通」が連絡しています。
こうした典型的な日本の山村で合計徒手出生率が2.95となったのは町の手厚い少子化対策が実施されているからです。その財源として、町は職員数を半減して捻出し、行政サービスを落とさないように努力しているそうです。奈義町の主な子育て支援策を以下に掲げて起きます。どんな寒村であっても、町や村が主体性を持って政策を実施すれば人口減に立ち向かえることを奈義町は示しています。平成の大合併により人口減に見舞われているかつての町や村は行政の主体を取戻して地域の再生を目指さなければなりません。
熊毛町を取戻そう会
M様
国土は均衡ある発展をしなければ国全体が良くなることは困難だと思います。
昨今、水害が多い原因の一つに山間部の耕作放棄地があるのではないかと思っています。ご存知かと思いますが、圃場はダムの役割も果たしたています。また中流域では氾濫原の役割等も果たしてきました。そうした圃場のコメ生産地としての役割外の洪水調節機能もあるのではないかと思います。耕作放棄地が広く中山間地に広がって、水害防止機能が損なわれたのも、昨今の水害が多発している原因の一つではないかと思われます。 国土を守るためにも地方の衰退を防ぎ、人が暮らすことによって国土が保全されることも考えなければならないのではないかと思います。キャンプ・ブームによって名の知れた観光地だけでなく、ごくありふれた田舎の自然が見直されつつあるのも、良い傾向ではないかと思います。
M氏の「分立法はなぜ必要なのか。何か成功例は作れないか」というご指摘は正鵠を得たものだと思います。そのためには「困っている現実」を全国で共有化することも必要ではないかと思います。そのためのホームページを作成したつもりです。今後ともよろしくお願い申し上げます。
熊毛町を取戻そう会
2022年8月14日
ご返信ありがとうございます。 いやー悩ましいですね。。 自分もいろいろ考えてるのですが、情ではなく理屈が必要ですよね。。 もう少ししたら、少子化が一番の政策の論点になる日が来ると思っています。 都市集中型はどこの国でも少子化が進んでるため、地方創生はマスト。 その中で、分立法はなぜ必要なのか。 何か成功例を作れないかと考えています。。
また意見交換させてください。 山口県を訪れた際はお声掛けいたします。
2022年8月14日
いえ、山口県出身の国会議員はすべて与党自民党に所属しているため、国策として推進した平成の大合併を否定するかのような私たちの運動に巻き着こまれることなどないと思います。ただ林芳正氏の地元秘書にだけは話しに行きましたが、その後返答は何もありません。
全国各地の同様な問題を抱えている周辺町村部の方々と連携を取って全国ネットを作り、同時にそれぞれの地域の国会議員に働きかけるしかないのかと考えています。 ただ周南市が来年で合併20周年を迎えることになり、若い人たちは合併前の熊毛町を知りません。地域から役場が失われ一般会計だけでも60億円近い経済団体が消滅した衝撃が若い人たちにとっては「当たり前の毎日」になっているのが残念です。ロングスパンで考えている私たちも寿命が尽きては仕方ないので、良い方策はないかと考えています。明暗がありましたらご教示ください。
熊毛町を繰戻そう会
2022年8月14日
ご連絡ありがとうございます!
なるほど、そういう状況だったんですね。。 現在のこの動きは、例えば、山口県の国会議員を巻き込めたりしているのでしょうか。。?
2022年8月13日
ご投稿ありがとうございます。私たちも日々限界地域から消滅地域へと寂れていくのを実感しています。
熊毛地区にとって悪いニュースとして、一月ほど前にJR西日本から「廃線」予定路線として旧熊毛町を東西に横断している岩徳線が他の山口線などと一緒に告知されました。地図をご覧になられたらお分かりのように、旧熊毛は東から高水駅、勝間駅、大河内駅と三駅がありました。岩徳線の減便対策として旧熊毛町は三駅とそれぞれの地域を結ぶ「町営バス」の運行を議会で採択していたのですが、町当局は実施しないまま周南合併に踏み切りました。
現在のバス路線は熊毛町内の幹線道路を走り、国道二号線で下松市内を抜けて徳山駅まで連絡するものが一日往復4便ほどあるだけです。それで年間1億円以上もの中山間地バス路線補助金を徳山に本社のある「防長交通」に支払っています。 さらに岩徳線の利用率を高めるため、旧熊毛町は町内三駅前に無料駐車場を整備していました。つまり駅までは自家用車等で行って頂き、駅から徳山や岩国へは岩徳線を利用して頂き、利用率を高めることにより減便や廃線を防ごうとしていました。もちろん町営住宅も駅前の便利なところに建設しました。そうした岩徳線と町の存続をかけた施策に全力を傾けていましたが、合併後の周南市にはそうした政策や努力は見られません。国が掲げる「コンパクトシティー構想」に乗って、周辺町村にかまける暇などないかのようです。 下関市と合併した豊北町もですが、菊川町も町興しに頑張っていたように思います。下関市でも合併により、それぞれに自然環境を生かした個性的な町造に邁進していた町の歴史が閉ざされている現状には寂しい思いと同時に、何とかしなければならないと焦る気持ちばかりが募ります。 何とかして「分立法」制定を求める声を全国の「喪われた町村」から上げて頂き、「分立法」の制定に向けて力を合わせることが出来ればと思います。なにとぞよろしくお願い申し上げます。
熊毛町を取戻そう会
2022年8月13日
初めまして。 ふるさと回帰総合政策研究所の玉田さんからご紹介いただき、こちらの存在を知りました。 自分の妻が、山口県豊北町出身で、下関市と合併後、こちらの熊毛町と全く同じ状況が起きており、危機感をいただいております。 自分に何ができるか分かりませんが、ご連絡差し上げました。 https://sites.google.com/view/bunruu/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0 IT×地方創生を掲げ会社を経営しております。
M氏
2022年8月13日
前略
大変貴重なご意見をありがとうございます。さっそく仲間と協議して、分立後の町村がたちまち直面する財政問題等を検証し、論理的な裏付けを以て説明ができるようにしたいと思います。
O.S氏の「宮城県小野田町(非公式)」を拝見させて頂きました。喪われた地域を住民の手に取戻すための立派なサイトを立ち上げられていて、心強い限りです。共に地域社会の未来のために手を携えて頑張っていきましょう。
熊毛町を取戻そう会
2022年02月11日
熊毛町を取戻そう会 御中
こんにちは。宮城県加美町小野田のO.Sです。お世話になっております。
投稿の件、ありがとうございました。
先日、私の友人(小野田在住大学生)と市町村分立について話したのですが、その際に出た話題についてお伝えしようと思い、今回ご連絡しました。
友人に貴団体の活動を紹介したところ、強く賛同しておりました。友人とも話したのですが、市町村の分立にあたっては、「分離独立したら財政破綻してしまうのではないか」という住民の不安を取り除く必要があると思います。地方交付税の一本算定移行などの事情を勘案すると、今後は非合併団体よりも合併団体の方が厳しい財政運営を強いられることは明白です。こういった地方財政の現状をしっかり住民に知ってもらうことが、市町村分立実現のために重要になるのではないかと思いました。
また、合併後の町しか見たことがない我々のような若者は、合併前の町の様子を知らないため、市町村の廃置分合というものを意識しにくいのではないかと思います。私も各種資料を見て初めて旧小野田町時代の様子を知りましたが、それまでは合併の功罪なんて考えたことがありませんでした。小野田町時代の資料を読んで初めて、自分が抱く行政への不満の根本的原因が合併であったのだと認識しました。
そこでまずは、行政に不満を持つ若者たちに「分立という道もある」ということを知ってもらう必要があるのではないかと思いました。実際、友人も「言われてみれば独立もアリだな」という感じで共感してくれたため、分立の可能性を示すだけでも若者の感情は大分変わると思います。幸い、我々が住むような田舎町には、町政に関心がある若者も多いです。そういった若者としては、行政への不満を持っていても、どうして良いか分からないというのが現状だと思います。若者が、行政への不満の解決策として「分立」を視野に入れることができれば、分立を目指す運動は一気に広まるような気がします。
分かりにくい文章となってしまいすみません。拙い意見ですが、少しでも参考になれば幸いです。これからさらに賛同の輪を広められるよう、私も微力ながら協力していきたいと思います。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
<追伸>
(1点目)
下記リンクは、(株)ふるさと回帰総合政策研究所の玉田樹様が書かれた論文です。以前この論文を読んで大変感銘を受けたため、是非ご紹介したいと思いました。
既に皆様もご覧になったかもしれませんが、その際はご容赦ください。
http://www.furusatosouken.com/180630bunribunkatsu.pdf
市町村の「分離・分割」について考える〜地方創生を形あるものにするために〜(試論)
(2点目)
私が管理している「宮城県小野田町(非公式)」というアカウントで、貴団体の活動を紹介させてもらいました。掲載について何らかの不都合等ございましたらご連絡ください。
Twitter:
https://twitter.com/onoda_town/status/1482341095992623110
ブログ:
https://ameblo.jp/onoda-miyagi/entry-12721498591.html
*「会」からの連絡事項。
O.S氏から寄せられた「情報」(株)ふるさと回帰総合政策研究所の玉田樹氏が書かれました論文に関して、玉田氏のご了承を得て参考資料ページに掲載させて頂いています。
さらに玉田樹氏からご紹介を受けました大東文化大教授島田恵司氏の論文「消された町村ーー平成大合併の結末」も島田教授のご了承を得て参考資料ページに掲載させて頂いています。是非参考資料にも目を通して頂きたく思います。
なお、本会活情報や、このサイトの転載等は歓迎すべきことです。様々な活動を通して「分立法」制定を求める声が。全国津々浦々から澎湃として湧き上がることを望んでいます。
2022年02月11日
o.s 様
ご投稿いただきまして大変ありがたく存じます。早速、再掲させて頂きました。
私たちの「熊毛町を取戻そう会」の活動により、平成の大合併で失われた「故郷」を取戻そうする人たちが全国の地域を超えた連帯が形成できればと考えています。そして失われた「故郷」の未来を地域住民の手に取り戻して、子々孫々にかけがえのない地域社会の文化や伝統を受け継ぎ、地域がさらに住み良くなるように地域住民が主導権を持って主体的に「決められる」社会を取戻せれば、と考えています。
山口県と宮城県と遠く離れていますが、地域を超えて今後とも連携できていければと念願致します。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
令和4年1月26日
熊毛町を取戻そう会
2022年02月11日
私は宮城県加美郡小野田町出身の大学生です。先日、貴団体の熊毛町分立に向けた活動をネットニュースで知り、大変感銘を受けたため、ご連絡しました。
小野田町は平成15年4月1日、宮城県の平成の大合併第一号として、宮崎町および中新田町と合併し、加美町となりました。現在、加美町役場は中新田地区にあり、小野田と宮崎がいわゆる「周辺部」となっています。合併は失敗だった、合併前の方が良かった、という地域住民の声は多く、私も住民皆様の意見に強く共感しております。
旧3町が合併してから出てきた代表的な弊害としては、以下のような点が挙げられます。
・除雪の頻度が低くなった(周辺部)
・健診の会場が遠くなった(周辺部)
・銀行支店が廃止された(周辺部)
・バス路線が廃止された(周辺部)
・公共施設の統廃合が進んだ(周辺部)
・商店街が寂れた(全地区)
・特色ある観光政策が無くなった(全地区)
これらは加美町に限らず、多くの合併市町村で共通してみられることです。これらの問題は合併市町村の行財政構造そのものに起因する問題であり、合併後の職員や議員の責任ではないと思います。合併市町村特有の問題は、役所がどれだけ頑張っても解決できないのが現状です。加美町職員の皆様も、より良い町民生活のために日々努力してくださっていますが、それでもなかなか解決できていません。
このような市町村合併の根本的問題を解決し、活力ある地域を取り戻すためには、市町村分立が有効だと思います。一刻も早く市町村分立が現実のものとなり、これらの問題の解決の糸口が見つかることを、切に願っております。そして職員・町民の熱意を町政に反映できる小規模行政を通して、活気ある故郷を再び作り上げていければと思います。遠く宮城の地からではありますが、応援しております。
宮城県加美郡加美町
O,S氏
2022年01月26日
関熊正文 様
メールを頂戴し、大変ありがたく存じます。
私たちのkujage2003はURLではなく、ご迷惑をかけました。URLとしては、その後に.(ドット)がついてcomとなりますが、昨今はface bookなどでURLを送信すると削除される可能性があるため、.(ドット)以下を省略したものを合言葉にしています。
まだ「分立法」制定運動は始まったばかりで、全国の平成の大合併で限界地域から消滅地域になりつつある周辺旧町村の方々と全国ネットを形成して、党派を超えてすべての国会議員諸氏に働きかけていきたいと思います。
森ゆうこ氏には国会議員の魁となられてご助力を賜れれば幸甚に存じます。なにとぞ、今後の弊会の活躍にご理解とご協力を賜れれば、これほど有難いことはありません。どうぞよろしくお願い申し上げます。
熊毛町を取戻そう会
幹事 沖田秀仁
2022年01月18日
沖田 秀仁さま
お世話になります。
平素からのご活動に敬意を表します。
またご連絡頂きありがとうございます。
ご連絡が遅くなり申し訳ございませんでした。
私共でお力になれることありましたらお手伝いさせて頂きます。
今後ともどうかよろしくお願い申し上げます。
なお、そちらのサイトURLが間違っており、閲覧することができませんでした。
引き続き、よろしくお願いいたします。
参議院議員森ゆうこ事務所・YMF経済研究会 関熊正文
2022年01月18日
「熊毛町を取戻そう会」の活動を知って頂く一助にしたいと、以下の「投稿」文を全国の郷土紙にメール送信しました。
<投稿文>
平成の大合併から20年近くも経ち、「合併はしたものの」と合併で思い描いていた理想と、合併後の現実の違いを実感している地域もあるのではないでしょうか。私たちの町も2003年4月に合併するまでは面積64㎢の行政域に人口1万6千人を擁する周南工業地帯のベッドタウンとして発展していました。町を横断する形で国道二号線とJR岩徳線が通り、旧・山陽道の宿場町もそれなりの面影を宿していました。
しかし平成の大合併で人口15万人弱の市の一部となり、かつての町としての賑わいは一気に薄れてしまいました。なによりも町最大の事業体だった町役場がなくなり、一般会計だけで60億円規模の支出を行う経済団体が地域から消えた影響は決して小さいものではあのません。そして、町として目的を持って実施していた各種事業が推進されなくなり「コンパクト・シティ構想」の名の下に、町は一周辺山間部として限界集落が消滅集落と化し、文字通り消滅しようとしています。
そこで私たちは「熊毛町を取戻そう会」を結成して。全国の同じような平成の大合併により喪われた地域を再び取り戻そうと志す人々とネットを構築して、「分立法」の制定を国会議員に働きかける全国的な運動を展開していきたいと願っています。
なぜ「分立法」の制定を目指すのかというと、現行の地方自治法では「住民の直接請求権」を利用して、「○○地区の××市からの分立を求める住民投票条例の制定」を求める住民投票の実施を全住民有権者の1/50の署名を以て市議会に提出するしかありません。しかも、たとえ議会が直接請求を承諾して住民投票を実施して、「○○地区の××市からの分立を求める住民投票」で過半数の賛成を得たとしても、「分立を承認する」市議会での採決を拘束するものではありません。
つまり現行法で「分立」をもとめることは高いハードルだということです。そこで平成の大合併を推進した「合併特例法」に相当する「分立特例法」を国で制定して頂いて、旧町村の住民の発議と旧町村住民の過半数の賛成で「法定分立協議会」の設置が出来るようにして頂きたいと思います。
そうした連帯を全国の合併により市に呑み込まれた旧町村に呼び掛けるために「kumage2003」というサイトを立ち上げました。
令和3年11月16日
熊毛町を取戻そう会 会長 村上秀夫
2021年11月16日
[投書]旧熊毛町の「分立」を! 格差広げる平成の大合併政治周南市
このほど「kumage2003」と題するサイトを立ち上げました。その目的は平成の大合併を促進した「合併特例法」の裏返しとなる「分立特例法」の制定を国に求めるた...
2021年10月16日
「周南市から旧・熊毛町がなくなったのと同じ」
周南市の住民基本台帳に登録されている人数を示す住民基本台帳の人口が9月末現在で13万9,896人と14万人を切った。2003年4月に2市2町の合併で同市が誕生した時の人口は15万8,179人。この18年間で1万8,283人の減少で、平均して年間千人ずつ減り、旧熊毛町がそっくりなくなった以上の人口減となった。
5年に一度の国勢調査では昨年10月1日に実施した調査で同市の人口はその5年前より7,235人減って13万7,607人と14万人を下回っていた。住基人口は進学などで同市を離れても住所を移していない学生などを含み、実態を調査する国勢調査より多めになるが、今回、こちらも14万人を下回ることになった。
昨年9月に同市が策定した「人口ビジョン」によると、同市の人口は1985年の約16万7千人という国勢調査人口をピークに減少が続く。15歳未満の年少人口が大きく減り、15〜65歳の生産年齢人口も減少し、65歳以上の高齢者人口だけが増加する傾向にある。
減少の要因の一つは出生数が少なくなっていること。その原因は母となる女性の減少、晩婚・非婚化、晩産化。それに就学・就職の時期にあたる15〜19歳の年齢層の転出超過。特に女性の転出超過が大きくなっている。
同市では人口減少は同市の最大の課題としてとらえ、人口減など克服するため、昨年9月に2020年度から24年度を計画期間とする第2期まち・ひと・しごと創生総合戦略を策定し、不妊治療、不育治療の支援など子育て環境の充実、関係人口の創出・拡大、徳山大学の公立化と新学部・学科開設などに取り組んでい る。
(周南市の地元紙「日刊新周南」より引用)
2021年10月14日
「ばら色の合併構想は破綻」旧熊毛町の住民、分離独立運動 周南市
2021/10/14 17:40
「平成の大合併」で地域が衰退したとして、周南市の一部になった旧山口県熊毛町の住民が、市から分離独立を目指す運動を始めた。合併によって周辺部となった全国の旧町村の住民に連携を呼び掛ける。合併を促した合併特例法とは逆の分立特例法の制定を国会に訴える方針だ。
【地図】旧熊毛町はどこにある
元町議たち4人が「熊毛町を取り戻そう会」を9月に結成した。開設したホームページでは、地方自治法に基づく直接請求で少数派の旧町民が市議会に独立を認めさせるのは「ハードルが高すぎる」と指摘する。旧町民だけで独立に向けた協議会の設置を決められる新たな特例措置を国会に求める。
▽中心部への集中にくすぶる不満…
周南市は2市2町による合併で2003年に誕生した。山口県内で最初の「平成の大合併」だった。市の人口(9月末時点)は13万9896人、うち旧熊毛町は1万4664人。市は国負担7割の合併特例債を活用し、市役所を建て替えた。JR徳山駅ビルも新しくなり中心市街地に集中する「ハコモノ」への不満がくすぶる。
当時から合併に反対していた同会の村上秀夫会長(74)は「新市計画にあった公園整備は実現せず、無料だった公民館の使用料など負担ばかり増えた」と憤る。地域を通るJR岩徳線は減便され、公共事業が柱だった地元の建設業者も減った。「ばら色の合併構想が破綻した今、分離独立を選べるようにしてほしい」と主張する。
全国各地で同じ思いを抱く人たちとネットワークを築き、国会に法整備を働き掛ける運動へ発展させたい考えだ。同会の沖田秀仁幹事(73)は「遠く離れた市役所に住民の声は届かず、ますます地域は不便になっている。住民主体のまちづくりへの願いを結集させたい」と力を込める。(川上裕)
全国の心ならずも平成の大合併により市部に呑み込まれ、周辺部に成り果て衰退する町や村を取り戻そうとしている人々の交流広場です。平成の大合併は「合併促進法」という合併ありきの一方通行の法律で合併したものの、合併促進法は文字通り合併を促進するための法律でしかなく、その反対の分流・独立に関する法的手段は何等用意されていません。地方自治法に定める住民直接請求による町や村の分立や分離を求めるなら、広大な市全域を対象とした住民運動を展開するしかなく、到底全市域住民の理解を得られるとは思えません。中央に位置する「市部」に見捨てられ、周辺町・村だった地域は衰退の一途を辿るしかありません。限界集落は消滅集落となり、耕作放棄された山麓の田畑はイノシシに掘り返され、樹木が茂って原野へ帰っています。こうした事態に嘆くのは古老たちだけではありません。せめて地域住民の手で町や村の未来を決めたいと思います。
再び町や村を地域住民の手に取り戻すためには「分立法」を国会で制定して頂き、旧町や村の住民の1/50の署名で「分立協議会」設立の是非を旧町や村の有権者による住民投票の過半数の同意により設置できるようにしなければ不可能です。まさしく「合併促進法」はそうした法律の構成で成り立っていました。それなら「分立、分離」に関しても同様の法律が用意されて然るべきだと思います。そうしたお考えに賛同して頂ける方々の力を結集して「分立」法制を制定すべく、国に働き掛ける一助にでもなればと願っています。活発なご提言やご意見が寄せられることを期待いたします。
2021年09月07日