人類が宇宙に移民して1000年余り経った。地球の周りには厚さ100kmのリングが地球の赤道付近を覆い隠すように自転しており、その遠心力により1Gの擬似重力を生み出している。こうして人工の大地では全人口のおよそ半数である500億人の生活が営まれ、ガラス越しに地球や宇宙を見下ろすことができるこの大地は人類にとって第2の故郷でもあった。
31世紀初頭、腐敗した国家権力をよそに宇宙に進出した大企業は宇宙の富を独占し、世界の趨勢を握った。2945年に国連において国家間の統合が進められ、体裁として地球は“総政府”として統一されたがそれはすでに形骸であり国家の機能は失っていたといえるだろう。国はさらにリングの民間への払い下げを行い、全部で64の管区に分けられていたリングとその民は100年も経つ頃にはすべて利益主義である企業に支配されることになった。かつて中継貿易で栄え、大衆の憧れであったリングはいつしか貧困と抑圧、そして暴力の象徴となった。しかしこうした中でも特に虐げられていた13軍管区(通称ソリドゥス)の一部の民衆は暴力を用いて立ち上がろうとしていた…
ノン・リブス
「13時00分シンガポール発スペースリフト第3発着場行きの便が上昇します。本日のフライトは快晴のため予定通りに出発します。」
ゴツゴツとした駆動音が天まで届く直径50mもある円柱状のエレベーター中に伝わった。初めて飛行機に乗った感覚は覚えていないけどそれに近い感覚だと思う。加速していくにつれギュッと体が下方向に押しつけられているような感覚になり、鼓膜も圧迫されているような感覚になる。しばらくするとその感覚からも解放され眼前の景色に集中することができる。海、大地、町、その他の地球を構成するすべては静かになったエレベーターの駆動音を伴奏として壮大なオーケストラを奏でている。
「メメ、母さん飲み物買ってくるからそこで待っててね。」
そう見入っているとお母さんの声が聞こえてきた。僕はその声に返事をすると景色が一望できるカウンターに腰を下ろした。今いるラウンジは下の階に比べると落ち着いたムードで、景色も圧巻だ。
そうして館内アナウンスを聞き流しているとやがてエレベーターは厚い大気の層を抜け、地球のその丸さがくっきりとわかるくらいまで上昇した。景色にしていたため気づかなかったが少し体が軽くなってきたような気がする。重力の異変も相まってこのエレベーターに乗れば人類はどこまでも羽ばたいていける、そう僕に思わせるほどのものだった。
―DAY1―
「おい!待て!止まらんか!」
ミスった。てかなんでバレたの…!?つけられないように気は配っていた。でも連中は明らかに腰のポーチの中にある“物”を狙ってきている。…とすると取引相手のヘマか…?まあそんなことはどうでもいい。とにかくどうにかしてこいつらをまかないと。後ろに男の警官が二人、結構走ったがよくついてくる。単純に走って引き離すのは無理がある。時間をかければ応援も来るだろうし少し小細工を使うか…。
「よおし、ようやく追い詰めた…おとなしく縄につけ!」
行き止まりに行き止まりに追い詰められてしまった。警官たちはテーザー銃を向けてきて勝ったと言わんばかりだ。
もちろん行き止まりに来たのはわざと。警官は私を小遣いに目がくらんだガキとしか思ってないだろうから油断を突くのが一番だ。私は刹那のうちに腕に括り付けてあるスモークスプレーガンを起動し、周囲は瞬く間に濃霧に包まれる。
「うっくそ…!前が見えない…!」
まずサクッと一人目の警官にショックガンを浴びせ、気絶させる。そしてショックガンのクールタイムの間に二人目の警官の背後に回り込む。
「お、おいっ!大丈夫か…!?」
二人目の警官は状況がつかめず、しかも一人目の警官の安否も掴めないからかパニックを起こしているようだ。そして霧が消える頃にはショックガンは二人目の警官の首元にあった。
「大丈夫。ちょっとビリビリするだけだから。」
すました顔でそう言うと二人目の警官は膝から崩れ落ちた。こうやって真っ向と警官と対峙するのは久しいが意外とあっけなかったな。一息ついた後、ふと時間のことを思い出した私はすぐに時計を見た。
「ヤバっ……。」
時間を気にする理由は今が平日の午前8時前後だからだ。そう登校時間が迫っている。まさかこんなことで時間を食うとは思ってなかったから朝礼までに間に合うかギリギリなところだ。
そそくさと犯行現場から立ち去った私は人一人通れるくらいの薄暗い路地裏に入り込みさっさと着替えを始める。今までの格好は身バレ防止のために他校の制服を着て、バイクに乗る人が被るようなヘルメットを被っているためうちの学校の制服に着替えなければいけない。 サッと着替えた私は元々着ていた服を簡易バックに押し込みヘルメットを適当に投げ捨てた後、急ぎ足で学校に向かった。
都心のど真ん中にそびえ立つ摩天楼の中でも一際輝きを放つこの学校は総生徒数10万人を誇り、ソリドゥス随一の規模を誇るマンモス校だ。故に校舎もバカ広い…。
「やばい、のんびりしすぎた…!」
そしてくそ高いビルにもかかわらず生徒が使っていいのは階段だけ。私はまだ体力はある方だからマシだけどそれでも35階をダッシュで駆け抜けるのはさすがに堪える。声を荒げながらようやく教室の階に着いた私に見知らぬ少年の姿が目に入る。服装的に下級生だろうがそうであればもう少し上の階のはずだ。故にこの階でウロウロしているのは不審極まりなかった。
そう思い、さらに時間もヤバかったため気づかなかったフリをして通り過ぎようとしたが思惑叶わず話しかけられてしまった。
「あ、あの…!Gの2025号教室ってどこかわかりますか…?今日転校してきたばっかりで何もわからなくて…。」
なるほど、そういうことだったのね。こんな学校だから転校生へのサポートも期待できないだろうし初めてであれば迷って当然だ。
「あー、なんとなくわかるから教えてあげられるけど一人で行ける…?」
「…無理かもです…。」
オドオドしている彼に寄り添うように柔らかく尋ねると彼は引きつった顔でそう答えた。
「私が道案内しようか…?」
「えっ、いやそんな申し訳ないですよ!先輩だって授業あるだろうし…。」
私がそう提案すると彼はそう謙遜した。確かに今から他学年の棟に向かうとするならば1限の授業には間に合わないだろう。だがここで道案内をすることで警察に追われて遅れてしまったことのアリバイを作ることができると考えれば割とwin winな提案だと思う。
「私のことは気にしなくていいから!それとも…一緒に行くのは嫌…?」
「いえっ!とても嬉しいです!…じゃあお願いしてもいいですか?」
首をかしげてそう尋ねると少年は暗かった顔を晴らしそう言った。やっぱり後輩は素直なのが一番だね。
道中、お互いコミュ障だからか会話はまばらであまり彼のことを知ることはできなかったが話によると昨日、父親の転勤で地球から引っ越してきたばかりで家の片付けも十分に済んでいないのに学校に来たらしい。学校に来たって毎日同じことの繰り返しなんだから今日くらい休めばいいのにとも思ったがそれは彼の性分が許さないのだろう。 ある程度近くまで案内するとさすがにこれ以上は申し訳ないと思ったのか私からその先の道順を聞き出して別れることになった。
「あ、そういえば聞いてなかった。君、名前は?」
名前を聞くことを失念していたため別れ際に私は彼に名前を尋ねた。
「えっ、あ、河内メメです!」
「私は美作キキ。学年が違うから会うことは少ないかもだけど何か困ったことがあったらいつでも相談しに来てね!」
「あ、ありがとうございます…!…で、では失礼します。」
彼は少し照れてしまったのか顔を合わせず、お礼だけを言ってそそくさと去って行ってしまった。
今日は特別な日だ。なんと言ってもお母さんが帰ってくる日だからだ。お母さんは今地球での仕事を任されており1ヶ月に1回くらいしか家に帰ってこない。まさかママが恋しくて嘆く年齢でもないし、むしろ親の小言に悩まされず家を独占できる点では年頃の私にとっては結構いいものかもしれない。
で、今日はお母さんが帰ってきて、久しぶりに自然食(植物や動物の肉etc...)を食べようという話になっている。ちなみに普段は人工食品を食べている。味もいろいろで噛みごたえもあって美味しいがさすがに毎日あれは飽きる。だから私含め大体の庶民階級の人々は特別な日に自然食を食べる。それが今日という訳だ。それで今日は私が料理をすることになっているから買い物に行かないといけない。“物”を届けるのはどうやら明日になりそうだ。私は授業が終わると適当にクラスメイトに別れを告げ、学校を後にした。
買い物を済ませ、帰路についたはいいものの想定外のことが起こった。
誰かにつけられてる……
まさか“今朝のこと”と関連が…?とも思ったが明らかに雰囲気は私と同年代くらいの男だ。おそらく学校からつけられたと推測するのが一番自然だが人畜無害に学校生活を過ごしてきた私にとってつけられるような身に覚えはない。まあ、取っ捕まえて事情を聞くほかないか…。
人気のない路地におびき寄せ、適当なところで角待ちすることにした。男は罠にはまっているとも知らずにのこのことついてくる。そして角を曲がったと見せかけ、不意打ちを仕掛けた。まさか反撃を食らうとは思っていなかったのだろうか、いとも簡単に押し倒すことができ、手の動きを封じ、一瞬で制圧に成功した。
「まさかこんな貧弱そうな女に取り押さえられるとは思わなかった?なんでストーカーしたの?てか君誰?」
飄々とそう男に聞くと聞き覚えのある声が帰ってきた。
「先輩…!」
「君、今日朝道案内してあげた…」
まさか後をつけてきたのが河内くんだったとは…。とりあえず情報を整理したかったため適当に近くの空き地に彼を連れ込んで洗いざらい聞き出すことにした。
「で、改めて聞くけどどういうこと?なんで後をつけてきたの?」
少し動揺が隠せず、不服にも語気が強くなってしまったが仕方ないだろう。
「帰ろうとして廊下を歩いていたとき先輩がたまたま見えて…それで気づいたら後をつけてしまったんです…。やってはいけないことだとわかっています…!本当にごめんなさい…!」
「要は無意識だったっていうこと?」
彼は正座をしていて、それを私が見下ろしている状況だし、彼自身も細身なためここまで聞いても特に恐怖は感じなかったがそれにしても意味がわからない。というか普通にキモい。天性のストーカーの才能というべきなのだろうか。悪気はなさそうだし若気の至りで片づけることはできるが今後同じことを他の人にしたりしないだろうか。
「はあ、もうわかったから…。大事にするつもりはないけど事案で通報されてもおかしくないことだからね。私だったからよかったけど他の人にしちゃ絶対だめだよ。あ、もちろん私にも二度としないでね。」
「ありがとうございます…。」
あきれた声色で彼に言い放つと彼はドンドンと肩をすぼめていくばかりだ。まあある程度灸を据えることはできたか。
少し寛大すぎるかもしれないがかわいそうになってきたからそろそろ帰してあげよう。そう思い帰宅の許可を出し、私も改めて帰路につこうとしたときスマートバンドのメールの通知が鳴った。
「えっ…」
私は思わず声を出してしまい、それは帰えりかけていた彼にも届いてしまっていたようで振り返って顔を伺ってきた。
「…どうしたんですか…?」
「あー、いやね…母さんが今日地球から帰ってくる予定だったんだけど仕事が終わらなくて帰れなくなっちゃって…久しぶりに自然食を食べようって言って食材買ってきたんだけどね…。」
一応事情は話したがさあどうしようか…。絶対に一人じゃ食べきれないし、だからと言ってうちには冷蔵庫なんていう高価なものはないから保存もできない。お母さんが3日家にいるっていうからこんなに買ってきたのにこれじゃあ…。……あっ
「…食べてく…?」
「いやまあお母さんはスペースリフトの予約は2週間先まで埋まっていて、しばらく帰ってこれないだろうし…。かと言って一人で食べきれる量じゃないからさ。」
ろくに脳内で吟味せずに声に出してしまった。いくらライブ感で生きているとはいえさすがに……。
「え、…いいんですか…?」
さっき痛い目を見たから懲りて遠慮してくると思ったが意外にもノリノリで驚いた。まあ、私から提案したしね。せっかく知り合ったのにこのまま溝が埋まらず疎遠になってしまうのもなんだか悲しいしまあいいか。
「ささ、入って入って。」
「お、お邪魔します…。」
友達の家に上がることすら初めてなのに女の子の家に上がることになるとは思わなかった。先輩の家は郊外にある2階建てのアパートで想像していたのとは少し違かったけどリングだったらこういう家が普通なのかな?中はいわゆる2LKで床には荷物が通り道を避けるように置かれているのもあって、二人で住む分には少し狭いかなって感じ。でも所々小物であったりインテリアが飾られていて狭さも相まって非日常なわくわくを感じる。
「適当に座っててー。まだちょっと時間かかると思うから。」
部屋の端っこでソワソワする僕を尻目に先輩は一足先にキッチンへ行き料理の準備を始めているようだ。
「ごめんね、だいぶ散らかってるよね…。ほら、うち母子家庭だからさ。しかも母さんも全然帰ってこなくて、かと言って友達とかをあげたりすることもないから気が緩んじゃうんだよね。」
「そ、そんなことは…ないと思います…。」
「そう?ありがと。」
僕が恐る恐る慣れないフォローを挟むと先輩は声色を変えずそう言った。
「いつまで立ってるの~?どこでもいいから座っていいよ~。」
僕のいたたまれない振る舞いを察してか浮ついた声で先輩がそう催促したので僕はキョロキョロしながら慎重に腰を下ろした。
僕は手持ち無沙汰を紛らわすために先輩に手伝いを申し出たり、スマートバンドを適当に眺めたりしながら時間を潰した。緊張は終始解けなかったがまあそれなりにチルな時間だったと思う。 そうして中々胸の高鳴りが収まらないでいるとスパイスの香ばしい香りが香ってきた。
久しぶりにこんな豪華な食卓を見た気がする。唯一の問題と言えば2人で食べきれるかどうかだ。でも前提として美味しそうな料理なのは言うまでもない。先輩が言うにはドライカレーという料理らしく、スパイスのいい匂いが香ってくる。それ以外にもサラダやスープ、デザートまでバラエティ豊かだ。
「じゃあ食べよっか。」
僕が並べられた料理に見入っていると先輩が料理を終え、キッチンからリビングに戻ってきた。そしてエプロンを脱ぐと腰を下ろし、静かに何かを唱え始めた。
「今日も隣人を思いやり、我を愛すことができました。ああ、慈悲深い青天よ。再び我らに光を照らしたまえ。」
僕は先輩が急に始めたこの詠唱に理解が追いつかず硬直してしまう。
「あ、急にごめんね。びっくりしちゃったかな?」
しばらく言葉を返すことができなかった僕を見かねて先輩はそう言った。
「これはね、私のおばさんから教えてもらったの。数年前に亡くなったんだけどおばさんはちょっとした宗教をやっててさ。お母さんにはあの教団には関わるなって言われてたし、私も特別それを信仰していたわけじゃないけどこの言葉だけはどうしても忘れられなくて…。」
さらに先輩はあの言葉のことを話してくれた。数年前に死んだ先輩のおばさん、青き天……もしかして最近物騒な噂がある“あのカルト教団”のことなのかな…?そう思って一瞬ちょっぴり怖くなる。でもどこか幸せを得た様子で語っている先輩を見て、勝手にネガティブなイメージを持っていたけど意外とそんなことはないのかもしれないとも思えた。時々見せる裏表のないような澄んだ笑顔、そんな彼女に魅せられているのは事実だった。
―DAY2―
―学校―
昨日は久しぶりの来客に高揚したか寝付きが悪かった。基本晩ご飯は一人で食べるのが普通だと思っていたけどたまにはこういうのもいいかなとも思えた。彼も楽しんでくれていたならいいのだけど…。
今日は昨日手に入れた“物”もとい電子チップを加賀さんのいるアジトに届けに行く。本当は昨日のうちに渡しに行きたかったけど晩ご飯の準備もあったししょうがないよね。にしても何で警察は取引の情報を掴めたのだろうか…。これも加賀さんに伝えておかなくちゃ。
ふと周りを見渡すと5分前と比べてだいぶ人が増えたみたいだ。ザワザワがさっきよりも格段に大きくなっている。そうやって適当に自分の机でぼーっとしていると先生が入ってきた。
「席につけー。朝のHR始めるぞー。」
出席や連絡等をするいつも通りのHRだったがここで思いもよらない一言が放たれる。
「解散、と言いたいところだが一つお前らにしてもらわないといけないことがある。」
そう言って先生は教壇から退き、ガタイのいい男が入ってきた。
「我々は保安局の者だ。これより全国一斉所有物検査を行う。私が各自の席を回るから全員、その場を動かず、両手を机に置き、何も触るな。スマートバンドもチェックするため腕から外し、机に置け。」
えっ、何それ……そんなの聞いてないんだけど…。しかもスマートバンドまで見られるなんて…。と、とりあえず見つかったらマズいものは二つ、昨日の電子チップとスマートバンドの連絡履歴だ。
電子チップは民間人の所有は禁止されているものだから言うまでもなくヤバいが、言ってもチップは紙切れサイズ。機を見て床に放り捨てて後から回収すれば問題ない。ひとまず私はチップをしれっと床に捨てた。
次はスマートバンドの履歴だ。保安局のおっさんの目を盗んでコソッと履歴を…
「おい、そこ。スマートバンドを触るな。」
しかしおっさんは甘くなかった。履歴を消す前に名指しで警告されてしまった。マズい……スマートバンドには加賀さんなどとの連絡の履歴がわんさか残っている。あんだけ言われていたのに何で事前に消しておかなかったの…。もし反政府活動をしている組織とつるんでいることがバレたら生きては帰れないだろう。……本当にヤバい、でもどうすれば……ひたすらに震えと脂汗が止まらない。
そうこうしているうちに私の番が来てしまった。おっさんはまず私の体や鞄、机の中をスキャンし、遂に机に置かれたスマートバンドに手を伸ばした。
「スマートバンドをよこせ。」
咄嗟にスマートバンドを掴んでしまった。中を見られてしまったらすべてが終わる、そう私の本能が最後の抵抗を試みたがおっさんは容赦するはずがなかった。
「スマートバンドをよこせ、三度は言わんぞ。」
私は気圧されてしまい、遂にスマートバンドを手放した。全身に鳥肌が立ち、私は発せられるであろう人生終了の知らせをただ俯いて待つことしかできなかった。 しかしその結末は予想外のものであった。
「よし、問題ない。次だ。」
おっさんは何事もなかったかのように次の席へと移った。助かった……のか…?でも…何が起こったの…?
私は乱れ狂う状況の変化に理解が追いつかず1限の授業は全く集中できなかった。
錯乱も時間が経てば落ち着き、昼休みになる頃には正気を取り戻していた。改めて履歴を確認してみるとなんと履歴がきれいさっぱりなくなっていた。覚えていないだけでどこかで消していたのかもしれない。まあひとまず九死に一生を得たといえるだろう。
昼休みになるといつも私は一人屋上の隅っこで昼飯を食べている。入り口に近いところは結構混んでるから奥の方の場所を選ぶのがポイントだ。
そうして虚しいことを考えていると何かしらの気配を感じた。
「せーんぱい!」
唐突に現れ、心なしか声も大きいため心臓がビックとした。その声はもはや聞き慣れた声だった。
「か、河内くん、どうしたの…?」
「いや、これを渡したくて先輩を探していたんですよ!」
差し出してきたものを見るとなにやら高そうな袋に入ったお菓子に見えた。
「もう、先輩の教室にも行ったりして探し回ったんですから。」
「これは…自然食のお菓子?」
「はい。昨日晩ご飯を食べさせてもらったお礼としてお母さんに持たされて。」
自然食の菓子って、こんな庶民じゃ絶対に買えないものをサラッと…もしかして親がめちゃめちゃ太いんじゃ……それだったら昨日ドヤ顔で自然食を振る舞ったの死ぬほど恥ずかしいじゃん…。
「先輩はいつもここで昼ご飯を食べているんですか?」
勝手に一人で恥をかいていると彼はまたもいたたまれなくなるような疑問を投げかけてきた。
「あはは、まあそうだね。教室は何かと息苦しいから。」
引きつった笑いをしながら適当に答えた。もう泣いていいかな…?
「え、じゃあ明日からよければここで一緒に昼ご飯を食べてもいいですか!?」
まさかの返しでたじろいでしまう。
「え、ああまあ、別にいいけど河内くんはいいの…?転校してきたばっかりだしクラスの子達と一緒に食べたりとかは…?」
「ん~まあいいじゃないですか…!とりあえず明日からよろしくお願いしますね!」
少し回答を濁された気がするけどまあいいだろう。誰かと食べることなんてないだろうし別にいいけど距離の詰め方バグってるな…、まあ私も人のこと言えないか…。
今日の授業が終わった。今日は昨日と違って放課後に用事はない。かと言ってすることもないからこういう日は決まって教室に残って自習をする。こうすることで下校ラッシュを避けることできるし学力の向上にもつながる。時々クラスメイトから「いつも勉強頑張っててすごいねー!」などの声を通りすがりでかけられたりしながらまた一人、また一人と人の気配がなくなっていく。 そして長い時を経て今日も教室は静寂に包まれた。窓からはまるで私の気持ちを形容しているかのように夕日が差し込み、私で影を作る。私は重い足取りで教室を後にした。
いたたまれない学校生活と違いアジトの居心地はよいものだ。子供である私がノコノコとやってくることが気に入らない人もいるみたいだけど加賀さんとか優しくしてくれる人いるからそんなに気にならない。あまり絡むべきではないのはわかるけどここだけが私の居場所のような気がしてならなかった。
今日学校であった嫌なことをアジトで吹き飛ばそうと足取りを軽くするとポケットから着信音が鳴った。これは加賀さんから緊急用と言って渡された携帯電話だ。私は軽快に携帯を取り出し、電話に出た。
「言葉を発するな。」
もしもしすら言う暇を与えないように電話の向こう側の相手がそう命令する。
「スマートバンドを外して置き、そこから最低5m離れろ。」
電話の相手はいつも加賀さんの隣にいる富田さんだった。唐突かつ理解不能な指示に困惑しつつも黙って従う。そうして私が5m離れたことを察するとようやく事情を話し始めた。
「いろいろ聞きたいことはあろうが黙って聞け。まずお前のスマートバンドには保安局の連中によって追跡装置がつけられている。しかもそれはバンドのミラーリングや盗聴もできる代物だ。装置は薄いシール状のものだからすぐに外して捨てろ。それと今日はアジトには来るな。まだマークされているかもしれない、今日はまっすぐ家に帰っておとなしくしていろ。」
私は絶句した。電話は無慈悲に切られ、残ったのは教室で感じたあの静寂だけだった。
家に帰ったが何もやる気が起きず、富田さんが言っていた追跡装置をゴミ箱に捨てるとソファにぐったりともたれかかる。
「私ってほんと、つまらない…」
昨日からは想像できないような寂しさと虚しさで支配される。部屋には夕焼けが差し込んでいた。
―河内司令座乗艦、ルーサンー
「こちら第2護衛艦群旗艦、巡洋航空母艦、ルーサン。ミッドベイへの入港を願う。」
「こちら第13軍管区中央行政府、ミッドベイ。貴艦らの入港を許可する。なおルーサンについては中央ドックではなく手前のサブドックに入られたし。」
「承知した。」
やりとりの後、閉ざされたベイのゲートが開かれる。護衛艦群は10数隻の艦艇で構成されておりあのゲートの大きさであればすべての艦艇が入港するまでにはしばらく時間がかかるだろう。
普段辺境の警備しかしていない我々が中央に招集されたのは近々行われるTSOTの警護が理由だ。 しかし自分がどうしても解せないことは一線を退いていた河内司令が突然艦隊司令に復帰したことだ。自分が配属される前に退役したと聞いたので直接的な面識はないがかつては名将と謳われたすごい人物らしい。今でも軍内での人望の高さが伺える。でもそんな司令を復帰させなければいけないほどこの警護の任務が重大なものなのだろうか。 私は艦長席に座る司令の後ろ姿を見て、訝しみを隠せないでいた。
―総督執務室―
コツコツと靴音が鳴り響く。天井は無駄に高く、モノクロ調で固められた空間を私はずっしりとした足取りで歩く。そして最奥に座る狸のような老人を元へたどりついた。何を隠そうこの老人こそがこのソリドゥスで最も偉い人物である。
「ただいま到着いたしました。総督、ご無沙汰いたしております。」
「いやいや、よくぞ参られた!いやー、ダメ元でも復帰の打診をしてみるものだな!」
大げさともとれるリアクションだ。久しく会っていなかったので新鮮でもあるが。
「退役したとはいえ、かつてお世話になった身。恩を仇で返すようなことはしたくはありませんし、なによりかつての同僚と再び仕事ができるのは嬉しい限りです。」
「はっはっは、そうか。家族と地球で過ごしたいと言って軍を去って行ったからてっきり断られるかと…、まあまた会えて嬉しいよ、河内くん。そういえば奥様は息災かね?」
「はい。今頃はソリドゥスの新居に着いているかと。」
「おお!奥様がこちらに!ということはご子息も?」
「ええ。私はついてくるなと言ったのですが妻が息子にも宇宙を見せたいと聞かなくて。」
「はは、やはり子供に仕事姿を見られるのはいたたまれないのか?」
「もちろんそれもありますが…」
息子の話になったことで言葉に詰まってしまった。長官は不思議そうに私を見つめている。
「……あまり愚息の話はしたくありません。」
そうして捻り出した言葉は遠慮でも建前でもなく拒絶を示したものだった。そしてそんな私の様子を察したのか総督はこれまでの陽気さを陰らせ神妙な面持ちでこう言った。
「……そうか…。……私は子供が赤子のころに妻に見捨てられ、子供が成長するところを見ることができなかった。だから………。…す、すまなかった。よその人間が首を突っ込むべきではないな。よし、話を変えよう。」
総督は私の様子を見てこれ以上の詮索はよくないと思ったのか出そうになった言葉を飲み込んだ。総督が言いたかったことも理解できるが……子供が嫌いなどという次元の話ではない。今回復帰を承諾したのも息子から離れたかったというのが理由でもあった。そしてそんな気まずさを隠すように話題を移した。
「一つ聞いてもよろしいでしょうか。」
「ん、なんだね?」
「今回の任務の詳細は把握したつもりですが第1護衛艦群だけでなく第2まで動員するとは…その意図が読み切れません。」
核兵器をも超越する抑止力になりうる戦略兵器であるバビロン回転型加速器を、64の管区を束ねる中央管区と共同開発、運用を目的としたバベル計画。その最終段階がTSOT(極秘運用試験)であるがここまで艦隊を大胆に動かすとかえって目立つような気もするが…。そう思っているとすぐに総督が答え合わせをしてくれた。
「……イスカンダル教団は覚えているか?」
「ええ。マリア・イスカンダルを教祖としたカルト教団ですよね。」
「ああ、それなんだが数年前に政府が一斉弾圧をしたが残党が地下で息を吹き返したらしい。」
「まさか…。し、しかしそれと今回のこととどんな関係が…?」
「内通者からの情報では秘密裏に武装し、何かを企んでいるらしい。」
元々過激な活動が目立っていた教団であったが暴力や反社に傾いてはいなかった。どちらかというと政府側が一方的な言い分で実力行使をしたので復讐に燃えることは十分に考えられる。
「内通者とは…?」
「今の組織に不満を持っているみたいだがかと言って我々に身を預ける気はないみたいだ。まあやつは利口だよ。我々と組めば最期どうなるかをよく理解している。」
状況は理解したがここで当然の疑問が湧き出てくる。
「……事情は理解しました。しかしならばTSOTの前にその不安を取り除いておくべきでは…?」
総督はこの疑問に一息ついたあと答え始めた。
「河内くん、……我々にもメンツというものある。内輪に不安分子を抱えているため延期するとなれば我々の威信は傷つく。この計画は我が一族の悲願…。かつての栄光を取り戻すため、中央管区の小娘に主導権を握られるわけにはいかん…!」
要はエゴとエゴのぶつかり合いというわけか…。
TSOTは迫っている。何事もなく無事に終えられるか…、不吉な予感が悶々と漂っていた。
―DAY3―
教団のアジトは地下水道の最奥にある。アジトといっても実態は一つの集落とも呼べる規模で柄の悪い輩や身寄りのない老人や孤児達などがたむろしている。前を横切るとたまにジロジロ見られることがあって少し怖い。
時々教団からは“仕事”をもらう。要は小遣い稼ぎみたいなものだ。その仕事は空虚な日常生活に彩りを与え、人との接点が少ない私にとって良い人生経験にもなっていると思う。アジトに帰れば私を受け入れてくれる…私がのびのび居られる、唯一の居場所のように感じられた。
そうして集落を進んでいくと一際目立つ建物がある。ここに今日も用事がある。
「お前…!自分が何したかわかってんのか!?危うく俺たちの首諸共飛ぶところだったんだぞ!?運良く事前にガサ入れを察知してこちら側からスマホの履歴を消すことができたからよかったものの…、こまめに履歴は消せってあれほど言っただろ!?」
「ごめんなさい…!!」
開口一番富田さんから叱責を受けた。富田さんは私が気に入らないのか悪態をいつもついてくるが今日は一際だ。確かに私の怠慢が招いたことではあるがそこまで言わなくても…。
「まあまあこれくらいにしておいてあげようじゃないか。無事だった訳だし一応任務は達成した。なぜ取引が事前に察知されたのかという疑問は残るがな。」
憤怒を隠せない越前さんをなだめるのは加賀さん。加賀さんは越前さんとは対称的ですごく紳士的でいつもよくしてくれている。一応加賀さんがこの教団をまとめていて、おばさん亡き後のイスカンダル教の信仰を守り続けているすごい人だ。私も将来こんな人と……なんて思ったり。
「今日来てもらった理由はほかにある。君に新しい仕事を任せたいんだ。学校には当然政府関係者の子供も通っているだろう。それらから情報を収集してきてほしい。どんな情報でも構わない。…受けてくれるかな?」
それくらいできるだろう。…けど、君にはこれくらいの仕事が妥当だと軽くあしらわれているような気がして気分が乗らない。新しい仕事があると言ったから期待したのに…。しかも何やらコソコソと隠し事をしている様子がある。こうものけ者にされると流石に頭が来る。
「どうして嘘なんかつくんですか…?私ってそんな…。」
どこか上の空な加賀さんに今の感情を押し出した。彼は意外そうな顔をすると私の目線に合わせてきた。
「すまなかった…。君はもう子供ではないのだったな。わかった、隠し事はなしだ。」
私の小さい頃を知っているからか感慨深そうにそう言う。
「おい、加賀…!」
そして横やりを入れてくる富田さんをなだめ、彼は語り始めた。
「外部からの情報提供によると政府は近々新兵器の起動テストを行うらしい。この前のガサ入れや翌日の外縁艦隊のソリドゥス寄港もその一環だな。それでだ、我々はこの機に乗じてこの新型兵器と政府機能の奪取を考えている。」
え…?何を言っているの…?確かに今の政府に不満はあるけどさすがにそれはやりすぎなんじゃ…?
「急な告白だ。困惑するのはわかるがよく聞いていてほしい。我々は後援勢力の助力を得ているがそれでも一つ大きな課題がある。それは中央行政府にある政府機能の中枢であり、そしてこのソリドゥスすべての管理を司っているマザーコンピュータの存在だ。これは外部からのあらゆる干渉を拒絶するものであるためこれを突破する必要がある。よってマザコンへ干渉するにはシステムへの物理的干渉しかない。要は中央行政府に潜り込み、そこのコンソールにこのUSBを差し込む必要があるということだ。」
そう言って加賀さんはUSBを見せびらかす。スパイ映画じゃあるまいし、泣く子も黙るあの中央行政府に侵入するなんて…。軽い気持ちで首を突っ込んでしまったが想像するよりヤバいかもしれない。判断しかねて頭の中が右往左往しているとふと一つの記憶が降ってきた。
……あっ…
口に出してしまいそうになったがすんでの所で思いとどまった。これを言ってしまえばもう元に戻れなくなってしまうような気がして本能的に躊躇する。しかし先ほどから漂う鬱屈とした空気に耐えきれず私は口に出してしまった。
「あの……最近地球から引っ越してきた下級生の子がいて、その子が近く父親の職場見学で中央行政府のミッドベイに行くみたいで丁度この前誘われて……。でも……」
それを聞くと二人(加賀さんと富田さん)の私を見る目がスッと変わった。
「やっぱりこれやめた方がいいって…。」
「これは青天からのお告げだ。これを逃せば天罰が下るやも知れん。」
私を蚊帳の外にして二人は話し合っていた。二人にしても予想外の提案に情報を整理する必要があったのだろう。
「どちらにしろあいつにやる気があるかだろ…。」
そう富田さんが言うと二人は私の方を向いた。
「やはり決めきれないか…?」
加賀さんがもう一度尋ねてきた。この提案が実現可能かどうか以前にまず私にやる気があるか、やる勇気があるかに懸かっている。そして私は自分で提案したはいいものの決断しかねていた。こんなこと初めてだし、うまくやれるかなんてわからない…。
「……よし、ついてきなさい。」
釈然としない私を見かねた加賀さんはそう言ってついてくるように促した。
加賀さんに連れてこられたのは前々から「入るな」と富田さんから口うるさく言われていた場所だった。初めて入るけどムシムシしていてオイルのような匂いが充満していてあまり気分がよろしくない。わかりやすく形容すれば工場とかの雰囲気に近いかも知れない。こんなところに連れてきて一体加賀さんは何をしたいのだろう。そう思いながら加賀さんの後を追っていると急に強烈な向かい風が吹いてきた。普段リングで生活していて絶対に体験することがないほどの風だ。あまりの風に顔をしかめる。そのうち風が収まっていき、視界が回復した私の眼前にあったのは想像を絶するものだった。
そこにはこの世のすべてが収まってしまいそうに錯覚するような広いホールの中に戦艦が窮屈に鎮座していた。私は別に戦艦とかには詳しくないけど目の前にあるものはまるで教科書に載っていそうな戦艦にも見劣りしない立派すぎるものだった。まさかこんなものを作っていたのだなんて…。
「これも後援の賜物であり、多方からの我々の正当性を示すものでもある。……これで私たちが本気であることはわかってくれたかな…?」
徐々に鼓動と呼吸が激しくなっていっている。
ここにいる人たちはみんな本気だ…。…でも、私だって生緩い気持ちでこんなアングラな仕事を受けていた訳じゃない。私だってみんなみたいに誰かの役に立てることを証明したかった。与えられてばかりの子供じゃないって…。もうこんなウジウジして何もできない子供から抜け出したい。
ここで決めないと私、何にもならない……!
さっきまでの胸の高鳴りや過呼吸を止める。そして言葉を産み落とした。
「さっきの話……受けます…。」
この時私は心の整理に腐心して加賀さんの口角が不気味に上がったことを気づくことができなかった。
―DAY13―
遂にこの日が来た。朝霧が覚めやまぬ中、私は河内君との合流場所に向かっていた。寝不足だが興奮しているためか頭はよく回る。坂を上ると河内君の姿が見えた。彼は憧れの先輩と出かけることができるのがよほど嬉しいのだろうか、こちらに気づいたかと思えば満面の笑みで手を振っている。その様子を見て私は罪悪感とも呼べるような複雑な感情に見舞われる。決して悪意があってだます訳じゃない…、そう言い聞かせて何食わぬ顔で彼と合流した。
憂慮していたミッドベイのゲートも河内君の特権階級パスですんなり通れてしまった。そうして終始私は河内君に先導され、展示を見たり様々な施設を回ったりもしたがもちろん頭は“あのこと”でいっぱいだった。
今回加賀さん達から託されたこのUSBはただのUSBじゃない。メインのコンピュータウイルスのほかにメインのウイルスがマザコンに浸透するまでの囮であるダミーシステム、USBの差し込み場所を特定されるのを防ぐフォグシステムの3つが詰まっている。下準備はばっちりしてくれた、だから後は私がうまくやるだけ…
まず前提として河内君の目を欺き、一人にならなければいけない。そして単独での行動が禁止されている見学において唯一1人になれる時は…トイレの時間だ。見学の帰り際、私は彼にトイレに行きたいから少し待っていてほしいと伝え、一人になることに成功した。
次にUSBを差し込むところを見つけなければいけない。加賀さんによると「どこに差し込んでも大丈夫だが見つからないように」とのことだ。あまり時間をかけすぎると河内君に怪しまれてしまうから手短に済ませないと。そうして時々人とすれ違いそうになりながらもなんとか誰にも見つからずにコンソールにたどり着いた。
キョロキョロと周りを見渡し、誰もいないことを確認するとUSBを差し込み口に挿す。 うまく入った。一応今のところ異常はない。だが厄介なのは中身のダウンロードを少し待たなければいけないことだ。「早く終われ」と心の中で叫び、周りに注意を払いながら終わるのを待つ。
そうしながらも「ピピッ」という音が鳴り、ダウンロードが完了した。 後はこのまま帰るだけ。そう思いまずは急ぎ足で河内君の所へ…と思ったがそううまくは行かなかった。
「貴様…、テロリストだな。」
十字路に差し掛かり、周囲の安全を確認するため顔を出した途端、右側頭部に銃口がその声とともに突きつけられた。
ヤバい見つかった…!しかもテロリストって…もしかしてもうUSBのことがバレてる…?そんな…何も異常はなかったのに…。荷物検査でもされればもう言い逃れはできない…そうした焦りが私の判断をさらに狂わせる。
私は衝動的にスモークスプレーガンを起動させてしまった。
<こんな派手なことをすれば取り返しがつかないのに…!>
私は愚かにも自分がした行為でさらにパニックを引き起こしてしまい、その場から逃げ去ってしまった。もうこうなればまともな判断ができるはずがない。焦点も定まらず一心不乱に走る。しかし無情にも軍の連中は私の退路を着実に塞いでいく。そして私がこぼした一瞬の隙を逃さず一人の軍人が私を押し倒した。
「ッ離して!!!」
しかし私の懇願も虚しく暴れる私を押さえるために次々と軍人が群がり、私の自由を奪っていく。
「いやだ…、やめて……。」
胸が圧迫され、酸欠に陥る。私の意識と反抗心は徐々に薄れていった。
―ミッドベイ、尋問室―
最初に聞いたとき、何もかも信じられなかった。刑事班での仕事は長いが女子学生がマザコンをハッキング、それだけでも驚天動地なのに戸籍を照合すればあのイスカンダル教団の創始者であるマリアの姪…、こんな話聞いたことがない…。
少しつついてみたがおそらく指示役はもはやテロリストに成り下がったイスカンダル教団の連中だろう。しかも彼女が挿したUSBには差し込んだ場所を示すデバイスが取り付けられていた。彼女が嘘をついている様子もないし、状況を鑑みても彼女が指示役に嵌められたようにしか見えない。全くもって道理が読めない…
そしてさらにかわいそうなのは同行者である少年だ。一応尋問は行い、特に問題はなかったが「先輩は何もしてない!」「先輩に会わせて!」などと自分のことはいざ知らずずっと彼女のことを考えているため相当彼女に思い入れがあると思われる。まんまとその気持ちを利用されたということだろう。しかも調べればあの河内司令の息子であるというのだ。自分の子供がハニートラップに引っかかったと聞いて司令はどう思ったのだろうか…、同情してしまう。
マザコンの制圧は阻止できたからよかったものの彼女から情報を取り出して早く連中のアジトの場所を突き止めなければ…。尋問の前に軽く“修正”を行ってだいぶ口は緩くなったが……どうせ最後は“処分”するだけだしもう少し緩めても問題ないか…。
そう尋問を別室で眺めていると勢いよく部屋のドアが開けられた。
「刑事!緊急の事態です…!!」
「どうしたそんな慌てて。」
「容疑者の供述によるとUSBにはメインのウイルスを隠すためのダミーウイルスが仕組まれていたとのこと…!」
司令部にこのことが伝わったときにはもう手遅れだった。瞬く間にマザコンのシステムが制圧され、テロリストの手に委ねられた。 しかし、本当の地獄はこれからだった。手始めに始まったのは政府施設の掃討だった。どこからともなく現れた反乱分子が各政府施設を襲撃し、中央の統制がなくなったことで次々と陥落していった。そして極めつけになされたのは中央行政府への毒ガス攻撃だった。これにより中央行政府に勤務していた政府職員、軍人ほか数万人規模の犠牲者が出た。こうして事実上政府システムは崩壊した。
次に連中はミッドベイに入港している艦群の無力化に乗り出した。乗っ取ったマザコンを連中はいとも簡単に操り、ミッドベイをも掌握した。そしてミッドベイと接続していた艦艇は軒並みジャックされ、ミッドベイ港内で同士討ちが行われるように仕向けられた。そうしてミッドベイは一瞬で火の海と化した。
さらに被害を大きくさせたのはミッドベイの構造だった。ミッドベイは入り江のような形をしており外とは複数の細い連絡路でつながっている。そのため一度外に出て態勢を立て直そうにも連絡路の部分で渋滞して同士討ちの餌食になってしまった。
こうしてソリドゥスの顔である艦隊戦力も露と消えた。
―ルーサン、ブリッジー
事態は最悪を極めた。テロリストによる一連の反乱行為により政府施設は全滅。艦隊戦力もたまたま連絡路に近いサブベイに停泊していたことで間一髪難を逃れることができた我が艦以外は全て失われてしまった。おまけに隣接する12、14管区は今回の事態には沈黙を決め込んでおり頼りにならない。我が艦も少なくない損害を受けており、今は修理のためデブリ帯に隠れているような有様だ。
「中央管区との通信が回復しました。」
オペレーターの声がする。背に腹はかえられない、中央管区と連携して何とかして取り戻さなくては…。
-中央管区総司令部―
「状況を知らせい。」
「残存艦艇からの報告によりますと政府機能、艦隊戦力とも完全に喪失。我々の派兵を求めています。」
言われなくてもそうするつもりだよ。ようやく目障りなソリドゥスの狸を排除できた。元は中央アジアの軍産企業として国家企業にまで成り上がり、我が物顔でリングにのさばるようになったがそれも今日で終わりだ。……連中もただのカルト教団だと思っていたが意外と使えるじゃないか…、駒として。
「ふっ、急ぎ軍勢を整えい!ただ指示があるまで動くなよ…!」
―DAY14―
もう何が何だかわからない。緊急事態が起きたか何かで独房へ移されたはいいものの、独房の小さな窓からのぞいてみると異形に変わり果てた人の死体が転がっているのが見える。よく見れば外は黄色いモヤに包まれていて不気味だ。私は暗い独房の隅っこでおびえてうずくまることしかできない。
「ガチャッ……」
現実から逃避していた私の元に光が差し込む。顔を上げるとそこには加賀さん達の姿があった。
「かっ、加賀さん……」
私は残された力を振り絞り加賀さんにすり寄る。しかし加賀さんから示されたのは“拒絶”だった。
「…裏切ったな…。」
「……そんなことは………」
あまりにも冷たい声。私の顔は崩れ、みるみるうちに青くなる。
「我が身かわいさで仲間を売るようなやつはいらない。」
え……いやだ……そんなの……
「…なんで……こんなに頑張ったのに…もう元の日常にも戻れない……、地位も名誉も平穏も失って、尊厳まで奪われて…、なのに最後の…私の唯一の居場所まで奪わないでよ…!…だ、誰か私に優しくしてよ…!私をもっと見てよ…!!お願いだから…私を見捨てないで……置いてかないで……」
心の声がダダ漏れる。床を這いずりながら去ろうとする加賀さんの足にしがみついく。もうここなんかが私の居場所はここにないことなんてわかってる……でもしがみつく、竿にかかった獲物のように。
「大丈夫。どこかに行ったりはしないさ…。」
加賀さんは振り向き、いつもの加賀さんの口調でそう言って私を抱きしめた。人から抱きしめられたのは久しぶりな気がする。心地いい、でもその胸の中は冷たかった。
―ルーサン、ブリッジー
「中央管区司令部からの伝令では“艦隊出動まで現宙域にて待機”だそうです。」
「その艦隊出動がいつなのかを聞いているんだ…!」
副官が声を荒げる。極限状態の中でこんな扱いではそうもなろう。 すると通信機器から聞き慣れない音がする。
「どうした?」
「中央管区との通信途絶。おそらく通信妨害かと思われますがここまで届く通信妨害など規格外すぎます…!」
「おそらく政府が管理していたWCFS(広範囲通信障害システム)を起動させたのだろう。」
しかしそうは言ったが運用には専門の技師も必要であり、連中が運用できるとはとても思わない。そしてこれでソリドゥスは外界から完全に隔離されることになる。これは何か嫌な予感がするな…。
―DAY17―
薄々感づいてはいたから何も思わない。昨日と変わらない独房、人が来るのは飯の配給と食器の回収だけ。泣き腫らして虚ろな目、私の居場所は結局この暗い独房だった。
でももうここでいいかなとも思い始めてきた。むしろ私に独房一部屋分の価値を見出してくれている加賀さんに感謝の念すら沸いてきた。
ははっ……空耳かわからないけど銃声が聞こえる気がする。まあ私には関係ないや。
そう無視を決め込んでいると扉が乱暴に蹴り開けられた。
「おい!早くこっちに来い!」
声の主は富田さんだった。何があったんだろう。命令通りに彼の元へそろそろと向かうと肩をロックされ、強引に連れ出される。体を圧迫されたことで私の目は覚めた。
「何!?急にどういうこと…!?」
しかし富田さんは私などお構いなしで私をかばいながら銃撃をかいくぐっていく。
そして周囲の安全を確認し、落ち着いたかと思うと彼はおもむろに話し始めた。
「お前だってこのままでいいのか…!?俺は嫌だね、加賀の使いぱしりなんて。そもそもマリア様を死なせたのだってあいつのせいだ。俺はあいつのことがどうしても許せない…!」
どうやら話によると現状の教団の体制に不満を持つマリア原理主義者らが一斉に決起したらしい。
「……でもなんで私を…?」
「お前はあいつの切り札だ。渡させるわけにはいかん。」
「…?じゃあ殺せばいいじゃん。」
「……ふっ、ここまで落ちるとガキも達観するようになるんだな。……元々はそのつもりだったんだよ。だがとことんうまくいかなかった。」
「今だったら殺せるよ?」
「……俺だって人間だ。殺したいほど憎い相手でもあんなに無様な姿を見たら同情の一つや二つ、したっていいだろう。」
何それ…
「…そんなに居場所がほしいなら、ついてくるか……?」
殺したいほど憎い相手じゃなかったのか…。でもこの提案を意外といいかもしれないと思う自分もいた。どうせ失うものなんて何もない。だったら…
「バンッ!バンッ!バンッ!バンッ!」
銃声が鳴り響いた。恐る恐る目を開けると富田さんは私の目の前で血を流して倒れていた。そしてその先には拳銃を持った加賀さんが立っていた。
「残念だったな…。」
「…何もかも、お前のせいだ…。マリアが死んだのも…!」
富田さんは息が絶え絶えになりながらも声を荒げる。もう長くは持たないだろう。
「それは違う。マリアは偶像と人間の間に挟まれて死んだ。そう、お前がマリアに間違った愛を示し、それをマリアが受け取ってしまったからであり、貴様がマリアを殺したのだ。実際お前の愛にマリアは困っていた。」
「…そ、そんなの…う、うそにきまってっっ………」
絶叫を遮るようにこめかみへ銃弾が撃ち込まれた。私は腰を抜かし、その様子を眺めていることしかできない。このショックが目の前で人が死んだためなのか、それとも喪失感なのかわからない。
加賀さんが手を伸ばしてくるが私はそれを拒絶する。
「みんな私のことなんか見てないんでしょ…。昔からそうだった、誰も私に興味なんか示してくれない。私はただみんなに馴染みたかった、普通になりたかっただけなのに…!普通に友達と遊びに行って、他愛のない会話をして、そんな普通の“日常”に憧れてた。でも私には無理だと悟った。だから私は特別になろうとした…!でも…結局、全てを失った、何にもなれなかった。じゃあ私は何なの……教えてよ…ねえ…!!?」
口が乾燥してもなお私はまくし立てる。しかしそんな私を包み込むように加賀さんはそっと言葉を添え、手を差し伸べる。
「君は世界一、特別だよ。」
―DAY19―
ようやく中央管区が重い腰を上げた。偵察機の情報によれば第1艦隊が派遣されたとのことだ。戦力でいえば申し分ないだろう。奪還してもおそらくソリドゥスは中央管区の保護下に置かれることにはなるだろう。無念だがテロリストに占拠されている今の状況を鑑みれば断然マシだ。
あとは艦隊と合流してソリドゥスを奪還するだけ。しかし事はそううまく運ばなかった。
「ソリドゥスにて莫大なエネルギー反応を検知。」
「…なに?」
「…ッ!ソリドゥスの拡張区画にて回転運動を確認…!加速器が作動した模様です!」
「加速器をモニターに回せ…!」
そんなバカな…!我々ですら試運転段階の代物を何でテロリスト程度が動かせる…!?
「モニターに最大望遠で回します。」
モニターに映ったのは青い光を放ちながらうねりをあげているバビロン回転型加速器だった。そして認めたくない事実がオペレーターから告げられる。
「照準は…、中央管区第1艦隊です…!!」
まずい…発射すればかするだけで艦隊は一瞬のうちに薙ぎ払われるぞ…。艦隊のやつらは狙われているとも知らず呑気に進軍している。だが通信障害で報告しようにもできない…。
「早急に偵察機を出して事態を伝えよ…!艦隊が落ちれば終わるぞ…!!」
私を取り巻く環境ががらりと変わった。自由がないのには変わりないが一人じゃ広すぎるほどのスイートルームに住まわされ、食事も豪華。欲しいものも頼めば大人の人が取り寄せてくれる。それはまるで寓話に出てきるお姫様のような生活だった。
そして今日、加賀さんに聞かされていた“大事な日”を迎える。
まず私は宮殿のような場所に連れてこられ、次に貴族が着るようなドレスやピアス、そして仕上げとしてティアラをまとわされた。小さい頃、こういう服装に憧れていたこともあったが実際に着てみるとジャンプができないくらい重い。そうして想像とのギャップを噛みしめていると加賀さんが現れた。
「よくお似合いです、陛下。」
陛下…?
「さあ、準備は整いました。どうぞこちらに…。」
まるで加賀さんは紳士のようにドレスを着慣れていない私をエスコートしてくれた。そして加賀さんに誘われるまま私はとある場所に連れてこられた。
歓声、歓声、歓声。広場にひしめく観衆が歓喜の声を上げている。そしてその対象は間違いなく宮殿2階のバルコニーにいる私だった。
私が状況に唖然としている中、加賀さんはお立ち台に立ち、演説を始めた。
「リングの民たちよ!青天は再び微笑みなされた!マリアは再び地上界に降臨し、我々に静謐と青き天をもたらすのだ!……さあ民達よ、宇宙(そら)を見上げよ!今まさに青き閃光が放たれる!その降臨の瞬間を刮目するのだ!!!」
みなが一斉に宇宙を見上げる。するとあたりが暗くなり、宇宙から青い光が漏れ差し込む。
……歓声が静まり返る。
次の瞬間、聞いたことのない轟音とともに宇宙に一筋の閃光が放たれた。
私含めこの場にいる全員が息を飲むことしかできなかった。
…やがて閃光が消え散るといつの間にかお立ち台を降りた加賀さんが私にそっと耳打ちをした。
「さあ、陛下。民におことばを。」
そう促され、私はお立ち台に上った。
え、ちょっと待って…、何か言えってこと…?……無理だよ……なんて言えば…。
そう必死に頭を回転させ、ふと思いついたのはかつておばさんが私に話してくれたことだった。
もうこれを言うしかない…
「……聡明で崇高なる民達よ…。世間は科学と論理主義にとりつかれ、長い間人を見ようとはしませんでした。だがそんな時代はもう終わります。万人が慈愛に包まれ、共栄を育む…そう、世界は生まれ変わるのです…!」
無我夢中だった。まるで演説をしているときは無重力帯にいるような感覚で不思議と幸福感に包まれていた。自分でも説明できない神聖な気分になれた気がする。そして我に還ると……
「うおおおおお!!!」
「マリア様万歳!!!」
今日一番の熱狂が私を包んだ。拍手喝采、こんな多くの人たちに見られたのは初めてだ。脳汁が溢れ出るのを全身で感じる。
そして加賀さんは観衆を静まらせて宣言する。
「…降臨は果たされた!あの閃光は我ら正義の証であるのだ!!迷える羊たちよ、我が信仰に加われっ…!!!」
~~~
「余興は済んだ。急ぎ総政府との外交交渉を進めよ。」
「ははっ…!」
幕裏では加賀さんによる計画が進められていたとも知らず私は呑気に余韻に浸っていた。
この日、マリア・イスカンダル2世を元首とするイスカンダル教国の建国が宣言された。
こんなことがあっていいのか…!?
混乱の中何とか中央行政府から抜け出すことには成功したが町中では戒厳令が敷かれ、市街地での戦闘も散発し、1日経たずしてソリドゥスは地獄と化した。そして町中をさまよっている時に見つけた人だかりの方へ向かってみると宮殿の広場に群衆が集まり、熱狂していた。そこで群衆は青い閃光に心を奪われていたが僕にとっては些細なことだ。何だって彼らの目線の先にあったのは口調や雰囲気さえ違えども明らかに先輩だったのだから…。
先輩は軍に捕まったはずなのに…。何があったのかはわからないが絶対に何かおかしい。そもそもカルト宗教なんて最初からおかしいと思ったんだ…!先輩を助けないと…。
僕は中央行政府の施設に忍び込んだ。連中はまだ隅から隅まで警備を回す余裕ないのかあっさりと侵入することができた。後は先輩を探すだけ。そして僕は監視をかいくぐり遂に廊下を移動する先輩を見つけた。しかし屈強そうな取り巻きも数人いる。ここまで来たのならしっかりと策を練って助けるべきなのだろうが僕はこの時度重なるインシデントのせいでハイになっていた。そのためこの溢れ出る感情を押さえることは不可能だった。
「誰だ貴様!?」
僕は気づけば我を忘れ、イノシシのように突進していた。僕は小柄だったため時には取り巻きの股下を通り抜けたりして突破していった。連中もまさか子供が一人で突っ込んでくるとは思わなかったのだろう。そして遂に先輩の姿を捉えることができた。
「ウグッ……!」
「大人しくしろ…!」
しかしすんでの所で僕は取り巻きに床に押さえつけられてしまった。何とか脱出を試みるが力で大人に勝てるはずがなかった。だが僕もこんなところで終わるつもりはない。
「先輩…!こんなところで何してるんですか!?おかしいですよ!!目の前で人が死んで、あの青い光を見てもなにも思わないんですか!?お願いだから…目を覚ましてください…!!」
最後の抵抗で僕は先輩に必死に問いかけた。多分マインドコントロールか何かを受けてるんだ。そう思い僕は必死に言葉を紡ぐ。しかし先輩はまるで全てを包み込むような顔でこう言った。
「河内君…ごめんね。私、君にひどいことしちゃった。」
「そんなこと気にしてません…。…もうこんな所からは逃げましょ…?誰からも邪魔されない所へ…。」
「……私にそんな資格はないよ…。もう私の居場所はここだけだから…。」
「そんなこと…!……僕にだってわかりますよ。ここにいる奴らは先輩のことを人形としか思ってないんですよ…!先輩だってわかっているんでしょ!?」
先輩の瞳からはすでに涙がホロホロと流れていた。
「私に愛や人並みの幸せを享受する事はできない。そういう星の下に生まれてきたんだ。偽物の愛だってことはわかっているけどここにいる人たちは私を見てくれる…。それだけで私はもう十分なんだよ…。私の居場所は虚空の玉座しかないの…。」
先輩は微笑みながら涙を流していた。その様子はまさに悲哀そのものだった。
「加賀さん、この子をゲストルームに。丁重に扱って、絶対に危害を加えないでください。私の精神安定のためにも。」
先輩はそばにいる男に向かってそう言うと私に背を向け、去って行った。
<先輩…、待って……!>
だがそんな心の声が先輩に届くことはなかった。
―DAY20―
―ルーサン、ブリッジー
「状況を報告するんだ!」
「磁場の乱れでなにも掴めない…!」
「だったら小型機でも何でもいいから出せ!」
ソリドゥスから一筋の青い閃光が放たれた。光速の100倍で放たれた質量球は宇宙を切り裂き、それは時空の歪みを感じさせるほどだった。これでは中央管区も立て直しにしばらく時間を要するだろう。しかし立て直したとしても連中が加速器を握っている限り誰も奴らを止めることはできない。取り返しがつかなくなりつつあった。
そしてここで追い打ちをかけるように事態が起きる。
「……っ!回転運動を再度確認、加速器が再起動しました…!」
「照準は…?」
「……中央管区総司令部です…!」
連中は我々の想像のはるか上をいっていた。リングの対角線上にあるとはいえリングに大きな綻びが生じればリングは自らの遠心力に耐えきれず自壊してしまう。そうなれば500億の命はパアだ。ハッタリだと信じたいが連中ならやりかねない。どちらにせよ世界の趨勢はテロリストどもに握られた。故郷の惨状に艦内の雰囲気もお通夜だ。もはやこれまでなのか…
いや……私はそれ以前に軍人だ…。軍人であれば国家の安全に身命を尽くすべきではないのか…?
「諸君、今後の方針を示す。心して聞いて欲しい。」
私の覚悟の決まった様子にブリッジクルー全員が向き直る。
「我々は単艦で加速器に突撃する。」
「し、正気ですか…!?艦隊を二度もなぎ倒した奴らに単艦で挑もうなんて自殺行為です!」
ブリッジにいたクルーからは困惑と非難の声が集まる。当たり前だ、多勢に無勢すぎる。クルーの言葉が飛び交う中、クルーの一人が私の待ち望んだ問いを投げかけてきた。
「もし加速器までたどり着いたとしてどう発射を阻止するんですか?加速器の制御もマザコンに握られているはずですが…。」
「以前総督からあることをお聞きした。」
「とあること…?」
「ああ、万が一のことを考慮して加速器にはマザコン管理外の緊急時起動可能コンソールが設置されているということだ。要はコンソールまでたどり着くことができれば発射は阻止できると言うことだ。」
理論上は問題ない。だが並の戦術家であればこんな作戦を通しはしないだろう。
「しかしこの作戦には当然多くの犠牲が伴うだろう。作戦参加は自由だ。だが人類の存亡が懸かっていることだけは忘れないでくれ…。」
皆考え込むように深刻な顔をしている。だがここにいる全員は同じ志を持った軍人だ。それは私もよくわかっている。だったら結論は自ずと一つにまとまるはずだ。
「無念に散っていった同僚のため…ここで逃げるわけにはいかないでしょ。」
「どうやらやるしかないみたいですね。」
「一刹那の希望があるのならそれに賭けるしかないでしょ…。」
「勿論お供します。だって司令ですから。」
一人、また一人と賛同の声が上がっていく。安心した…、数年のブランクは伊達ではなかったみたいだ。皆、覚悟の決まった晴れ晴れしい顔をしている。久しぶりにブリッジの息が一つにまとまった気がした。私は少し笑みをこぼした後、気分を切り替えた。
「オペレーター、加速器の発射まで後どれくらいだ。」
「はい、コンピュータの回転運動の予測によれば約23時間後と思われます!」
「よし、諸々の整備は後3時間で終わらせろ。終了次第出発する…!」
―DAY21―
―中央管区総司令部―
イスカンダル教団。二人の若手起業家とある一人の女性によって設立されたこの組織は元はビジネス的側面が強い組織で非科学主義と非論理主義、共産主義的思想を掲げた教義は政府から人生を搾取されていた当時のソリドゥスの惨状とマッチし、急激に信仰が拡大。共同生活などが問題視されていた一方でどんな信者に対しても良心的であり、クリーンな実態から「世界一優しいカルト宗教」と呼ばれていた。しかしソリドゥスは自らの権益が侵害されることを恐れ、強制弾圧を行った。これにより幹部のほとんどが逮捕、処刑され、歴史の表舞台から降りたと思われた。
ふふふっ…、しかしそんな死に絶えだったはずの教団がこうもしてくるとは…!我々の最高機密だったはずの第1艦隊を粉砕し、間髪入れず今度は中央管区に照準を合わせ、挙げ句の果てに総政府と不可侵協定の交渉が目の前に迫っている…。
ふははは!!!面白くなってきたではないか!!だがな我々が邪道に進まないとでも思ったのか…?貴様らがその気ならば我々も悪魔になる準備はできている。我々の邪魔をするのであれば排除するまで…、例え10億の命が失われようとも…。
「雷砲、出力正常。これより発射シークエンスに入ります。」
「総員、第2戦闘配置をとれ!」
―ソリドゥス拡張区画―
の第1段階である拡張区画への強襲揚陸は想定していたよりも敵の防空戦力が貧弱だったためにこちら側に大した被害を出すことなく成功した。しかしここからが問題であった。連中は加速器付近を中心に鉄壁の守りを固めており、戦線は膠着。特に加速器へとつながる幹線通路での戦闘は苛烈さを増し、それは同僚と敵の血が混じり合うほどだった。
―シュバッテンー
これまで一寸の狂いのなかった私の計画に初めて綻びが生じた。全滅したと思われていた第2護衛艦群の巡洋艦一隻が単艦で加速器発射阻止に動いたのだ。これは完全に想定外だった。すでに防空網は突破され、区画内への侵入を許してしまったらしい。幸い地上部隊が浸透を食い止めており、趨勢は決していないようだ。もちろん我々も一刻も早く救援に向かいたいところだがそういうわけにはいかない。なぜなら総政府からの特使が乗った外交船を出迎え、交渉の席につかなければならないからだ。絶頂期と比べて威信は地に落ちたが腐っても母なる地球を支配する巨大帝国、そしてこれが屈すれば地球圏での覇権は我々のものとなる。だからこそこの交渉に失敗する訳にはいかない。
「外交船の識別番号を確認。これより誘導を開始します。」
少しずつ船のシルエットが明らかになっていく。ようやくここまで来たと感傷に浸りたくなる気持ちを抑え、グッと時が過ぎるのを待つ。粛々と、かつつつがなく段取りは進行していく。
が、なぜだか胸騒ぎがする……
「……っ、き、強力なエネルギー反応を確認…!」
その瞬間、宇宙がフラッシュした。
「衝撃に備えてください……!」
突如シュバッテンと外交船との狭間に加速器が引き起こす閃光と見間違えてしまいそうなほどの稲妻が走った。
そしてこの稲妻は外交船に直撃し、シュバッテンをかすめ、そのままソリドゥスへと伸びていった。
「何事だ…!?」
「おそらく中央管区の雷砲によるものかと思われます!」
雷砲、その名の通り電気の束を稲妻のように打ち出す兵器だがリングに向けて撃つなんて正気の沙汰ではない。訳は簡単、もしこの稲妻が機械に当たると電気回路が過電圧に耐えきれず焼き切れてしまうからだ。そうすることでマザコンを強制的にシャットダウンさせることができ、加速器はマザコンからの信号を失うと自動で機能停止するようにプログラムされているから目的である加速器発射阻止は達成される。
非情に理にはかなっているがしかしながら悪魔的すぎる。あの威力のものがソリドゥスに直撃すればマザコンはもちろん生命維持装置なども軒並み機能停止し、さらに復旧に要する期間は2,3日じゃ済まないだろう。そうなればソリドゥスに住まう10億の命は……散る…。
ふっ……我々も大概狂っているが連中はさらに狂っている…。しかしまだ終わったわけではない。
「急速反転…!現宙域から撤退する…!」
―ソリドゥス拡張区画―
戦線が膠着し、劣勢の中、何の前振りもなく激しい衝撃が我々を襲った。そして次の瞬間には区画内の照明が落ち、瞬く間に戦場は暗闇に包まれた。この立っているのもやっとな衝撃はすでに血にまみれた戦場をさらにカオスにさせる。
「何があったんだ…?」
「無線も使えず、ルーサンとの通信もできないため何があったのかはわかりません。しかし敵もどうやら予想外の事態で混乱しているようです。電気系統が軒並みショートしているため敵の防衛戦術も破綻している可能性が高いかと。戦線を押し上げるなら今です…。」
冷徹な見方かもしれないがこれまでの犠牲を無駄にするわけにはいかない。悪いがこの機会を利用させてもらう。
「大事でないことを祈り、前に進むしかないという訳か…。わかった、α隊は戦線の維持、b隊は私に続け…!」
停電が起きたと思ったら私の部屋にかけられていたロックが外れた。敵が侵入して大事な施設を破壊しようとしているから出るなと言われていたため少し躊躇したが我慢できず部屋を飛び出した。外に出てみると人っ子一人いなかった。さっきまであんなにいたのに…。廊下は非常電灯で薄暗い。おそらく何かあったのだろう。ひとまず人に会えないことにはわからないし、探し回るしかない。徐々に息が苦しくなってきている気もする。早く人を見つけないと…。
その後二手に軍勢を分ける作戦は功を奏し、敵の防衛戦は崩壊していった。しかし敵の猛攻から見てもあのハプニングがなければ今頃加速器を拝むことすらできなかっただろう。我が方も多数の死傷者をだし、これ以上の戦闘は困難とも言えたが散っていった同僚の命は無駄にならなかった。
目の前にそびえ立つバビロン回転型加速器はまるでホルンのような形をして超兵器とは思えないほど美しい外見をしている。そうして緊急時の操作盤を見つけ出したが衝撃だったのは我々が操作するまでもなく加速器の機能は停止していたことだ。まだ回転が収まっていないためそう遠くない時間に停止したと考えられるが一体なぜそんなことが…。まあどちらにせよ止まっていたのであれば何も言うことはない。それに我々にはここでまだやるべきことが残っている。
「本当によろしいんですか…?」
「こんなもの…最初から作ったのが間違いだったのだ。だからこれ以上間違いを犯す前に亡き者にする。」
「承知しました。早急にソリドゥスからの拡張区画分離シークエンスを開始させます。」
これで我々の仕事は終わった。誰もがそう思ったそのときだった。
「うわっ…!なんだ!?」
あたりが濃い煙幕に包まれた。シューッと煙が広がる音しか聞こえず何も見えない。そんな中“バチッ”という音が不規則に聞こえてくる。おそらくスタンガンの音だろう。
「おい…!大丈夫か…!?」
突然の敵襲に対応できず、錯乱に陥る隊員たち。
しかし私は違う。この音からして相手は一人、であればこちらが落ち着いて相手の気配を察知すれば…。私は心を安定させ、ジッと忍び寄る相手の気配を探す。そして相手もこの人数を相手では完全に気配を消しきることは難しかったのだろう、私は相手のわずかな気配を察知すると遂に尻尾を掴んだ。
「うぎゃっ…!!」
釣り上げたのはなんと息子と同い年ほどの少女だった。まさかの正体に動揺しつつも取り押さえようと試みる。
「大人しくしろ…!」
少女は私に組み伏せられてなお暴れ、抵抗してくる。だが所詮は女、力で男に勝てるはずはない。しかし少女も一歩も譲らない。こうして堪忍袋の緒が切れた私は遂に少女の首を圧迫し始めた。まるで悪魔にでもとりつかれたのではないかと言わんばかりの奇声を上げる少女。
「調子に…乗るな……!!」
私はさらに首の圧迫を強めていく。子供相手にひどいとは言わせない……人類の存亡が懸かっているのだ…!
しかしここで思わぬ横槍が入る。
「お父さん!!やめてよ!!!先輩を殺さないで…!」
なんとその子の主は息子だった。息子は私の体を掴み、少女から私を引き離そうとしてくる。しかも先輩…?…もしかしてこいつが息子をたぶらかして、マザコンをハッキングした女か…!?そうだ、そうに違いない。ただの子供がこんなところにいるなんてどう考えてもおかしい。
「貴様か…!?マザコンをハッキングしたのは、全ての歯車を狂わせたのは…!!?」
これまでの人生で体験したことのないような怒りの感情に襲われる。こいつが…こいつがいなければ散っていった同僚も何の罪もない人が死なずに済んだのに!!!
「お父さん!!もうやめて!!!」
「うるさい…!!!邪魔をするな…!!!」
私は怒りに身を任せ、息子を薙ぎ払った。そしてこれまで感じたことのない殺意に身を任せて女の首を絞める。
「バンッ…!」
長いこと首を絞められ、息ができなくて意識も朦朧としてきたとき、そんな私ですらはっきり聞こえるほど発砲音が聞こえた。そして徐々に首の圧迫が解かれ、意識がはっきりとしてくると全体像がはっきりしてくる。目の前には血をポタポタと垂らし、唖然と立ち尽くす男。私の首を絞めてきたやつだ。しかしもっと衝撃なのは覚悟ある表情で拳銃をその男に向けている“少年”の姿だった。
「お前…。」
「バンッ!バンッ!バンッ!バンッ!バンッ…!」
困惑する男に彼はさらに容赦なく銃弾を浴びせた。男は体中を撃ち抜かれ、それに耐えきれず背中から倒れてしまった。呆然と眺めていると徐々に深紅のカーペットに包まれていく。一方少年は力が抜けたかのようにポロッと拳銃を落とした。
「せ…先輩…、大丈夫ですか…?」
「ごめん…、ごめんね…。私のせいで…。」
「先輩のせいなんかじゃ……。」
気まずい沈黙が流れる。
「先輩…、やっぱり二人で地球に行きませんか…?…全部捨てて、一から。……僕はもっと先輩と一緒にいたいです…!…ね?…いいでしょ?」
「……君は優しくて、私には釣り合わないくらい強いね。私なんかにこだわってちゃ、人生がもったいないよ。君なら絶対にもっといい人が見つかると思う。だから…、ごめんね。」
「じ、じゃあせめて地球まで一緒に…!」
「ううん、私にはまだやらないといけないことがある。だから君は先に逃げて。道なりに進めば救命ボートがあるはず。」
彼の顔がドンドン俯いていく。
「またどこかで会えるよ。」
<分離シークエンスを開始します>
区画一帯にそう機械音声が響く。私は彼の肩をポンと叩いて彼を送り出すと加速器の制御盤に向き合った。止め方なんてわからないけど…何とかしないとこれまでのみんなの努力が無駄になってしまう。
「バンッ…!」
左膝に強烈な痛みを感じる。見てみると膝を銃弾が貫通しており、血が滴り落ちていた。
私は膝に力が入らず膝から崩れ落ちた。そしてその張本人が拳銃を私に向けたまま近づいてくる。
「河内君……?」
「僕はずっと我慢してきたんだ…。僕はみんなと仲良くなりたかった。だけどみんな僕を拒絶した。だから僕は自分を偽ってまで周りに合わせる努力をした。それでやっと僕のことを受け入れてくれる人が現れたと思ったのに…っ!!!
ねえ…、自分を捨てて、父を殺して、それでもまだ足りないって言うの…?それとも…、これまでのは全部遊びだった…?僕への優しさも全部嘘だったってこと…?だったら……、僕の気持ちはどうなるんだよ!?」
「触らないで…!」
私は体に触れようとしてきた彼を反射的に振り払ってしまう。すると彼の顔が一気に冷めた。
「…やっぱり先輩も“そっち側”だったんだね。まあいいや、どちらにしろもう手遅れだし。」
そう言って彼が取り出したのは手榴弾だった。私は腰が抜け、言葉という言葉を発することができない。
そして躊躇なくそのロックを外すと彼は私を押し倒し、ヌルッと、まとわりつくように抱きついてくる。
私は上半身をひねり、必死にもがくが彼は掴んで離さない。
「……これでもう苦しみも悲しみも感じることはない。先輩……ずっと一緒だよ…。」
「やっ…、やめてっ……いやぁ……!!!」
カチッ_____
―シュバッテンー
「敵巡洋艦の撃沈を確認しました…!」
「あの光は何だ…?明らかにおかしいぞ…。」
「予定通り拡張区画の再制圧を進めよ。」
我が艦は反転し、最優先事項である敵強襲上陸の撃退に乗り出した。そして奇襲が功を奏し、何とか敵戦力も殲滅は叶いそうだ。しかしもうそんなことに構っている暇はない。機能が停止させられたはずの加速器が謎の光を放ち、計器では異常なエネルギー反応を検知していた。オペレーターの観測によると加速器付近で謎の爆発を確認したとの報告だったがもしや加速器が損傷したというのか…。
―中央管区総司令部―
「加速器、謎の発光とともに異常なエネルギー反応を検知しています…!」
「加速器が臨界点を突破…!暴走を確認しました…!!」
ああ、なんと言うことだ。もうこうなってしまえば人類にこれを止める術はない。加速度的にエネルギーは肥大化を続け、ついに宇宙は耐えきれず引き裂かれてしまうだろう。
これが神をも超える力なのか…。
青い閃光は地球の裏側、果てはオールトの雲からも観測された。
人々は宇宙を見上げ、自らの破滅を悟った。
ここはどこ…ピカピカしてフワフワする……
……何も感じない……いや…全てを感じる………私は誰…私は…私………何かが迫ってくる……
……時が……破れる
THE END
Thank you for reading!! Stay tuned for next time!