僕は、六畳一間の空間を一定の速度で落下し続けている。誰にも気づかれることのない秘密裏の墜落は意図的で、僕はこの現象が堪らなく心地よかった。僕は墜落する毎に力を増し、今では地球上で最も優れたヒーローになった。君は、僕とは違い多くの友人を持っている。君は人の欺瞞を疑うことを知らない純粋な人だ。それ故に、想念の渦で揉みくちゃにされても抵抗などする事はなく、墜落する飛行機の中でもスヤスヤと眠っていた。人知の及ばないジャングルの中でも僕が君を見つけることが出来たのはやはり、僕が地球上で最も優れたヒーローだからだろう。君は、スヤスヤと眠っていて、それはまるで機械のように均一な働きで、この行為こそ本質で、もう二度と起き上がらないんじゃないかという危惧さえ呼び起こさせた。ただ、それでも僕は君が傍にいるという事実だけで幸せだったし、そうじゃなくなってしまう事は何よりも許せなかった。ジャングルは人知が及ばないどころではなく拒絶していて、辺りには言語感覚を失った(奪われたのか、自身で放棄したのかもしれない)死体もどきがうろついている。彼らは助けを乞うように呻いていて、ヒーローの僕なら助ける事ができるかもしれない。しかし僕は、腕の中で眠る君がいれば他には何一つとして必要ではなかったし、放っておくことにした。
僕は家に帰ろうと考えた。僕は、大学以外はいつも家の中で暮らしているはずだし、そこが僕にとって最も心地の良い場所だと思っていたからだ。しかし、僕は、自分がどこで暮らしていたのか、そもそも自分とは一体何のか、その全てを知らないことに気づいた。でも、そんなことは大した問題ではない。僕は君のことが大切で、僕は君を救うヒーローであるはずなんだから。この幸福感の中ではそんな事は大した問題ではないのだ。そう、「大きな喜劇の一幕の一部始終に君と生きていられた」という事実さえあれば、他のことはどうなろうと知ったことではなかった。
僕はジャングルの中を放浪し続けた。帰る場所を知らないが、「死体もどきの溜まり場に留まり続けるのは君にとってよくないだろうし立ち去ろう」とボンヤリ考えていたからだ。しかし、君の顔をふと見ると、もうスヤスヤとも言わず、甘い腐臭を放っていた。深いジャングルの中では君は起きることも叶わず、地球上で最も純粋で神聖な死体になってしまった。けれど、僕はどうにも君が死んでいるという事実が受け止められなかった。君を地面に横たえて君の体を揺すってみた。でも、君は一つも顔色を変えずに、死体である事を受け入れ、腐臭を放つことに一生懸命になるだけだった。心(何か君の核心をなす物体)がどこかに残ってるんじゃないかとハラワタを引きずり出してみたりもしたが、君は死体以上の何かにはならなかった。僕にとっての幸せが律儀な勢いで崩壊する。僕の中にはもう何も残っていなかった。一切の記憶はなくなり、僕そのものが希薄になっていった。ただ、僕は僕のことよりも、君がどうしようもなく愛しく、ハラワタを虫に喰われる死体でしかなくなった事が可哀想に思えてきて、君に生きていて欲しくてたまらない気持ちが浮かんでやまなくなった。
僕はゆっくりと君のハラワタを焼いた。純粋で神聖な君は香ばしいカオリを出して、口に含むと吐きそうになったが、飲み込めば僕の中に君を感じることが出来た。僕が君という存在を包み込み、君を、あらゆる悪しき社会圏から守るヒーローへと再び昇華させてくれるのを感じた。これから僕達は、ずっと一緒。そのことが嬉しくって、僕は泣きながら空に飛び立った。ジャングルは僕を捉えきる事ができなくて、僕は、世界に忘れ去られて六畳一間の空間を君と一緒に落下する。僕は君の全てを見た。全てを含んだ。僕の中の愛が成熟して本物になる。この時からか、僕はとても満たされた。