ある日の夜半のことである。一人の娼婦が、羅生門の下で雨やみを待っていた。
広い門の下には、この女のほかに二人もの男がいた。羅生門が、朱雀大路にある以上は、この女のほかにも、雨やみをする者がいることは当然のことである。この二三年、京都は平和そのものである。地震とか辻風とか火事とか飢饉とか云う災とは一切無縁のいとみやびかなる都。その玄関たる羅生門はさも当たり前のように潔癖の乙女であった。鴉からすの糞一つ見当たらない、洛中のゆとりを示す象徴である。昼日中には市女笠や揉烏帽子がそのお花畑な脳みそを前面に押し出して逢引する恋のたまり場であった。
童貞の作者にはまったく腹立たしいことである。合挽肉にしてやろうか。娼婦は七段ある一番上の段に尻を据えて、手の甲にできた大きな黒子を気にしながら、ぼんやり雨の降るのを眺めていた。その褶が汚れるのもお構いなしである。
作者はさっき、「この女のほかに二人もの男がいた」と書いた。この男たちには雨がやんでも、格別どうしようと云う当てはない。何故かと云うと、彼らは未来人だからである。
この男らの名を高野、田中といった。高野が田中から冷紅茶を受け取ろうとしたそのときに、二人仲良く羅生門の目の前に飛ばされてしまった次第である。だから「二人もの男がいた」と云うよりも「雨にふりこめられた二人の未来人が、行き所がなくて、途方にくれていた」と云う方が、適当である。その上、今日の空模様も少なからず、この未来人たちのセンチメンタルに影響した。亥の刻下がりから続く大雨はいまだに上るけしきがない。
そこで彼らは、何をおいても差当り明日の暮しをどうにかしようとして―― いわばどうにもならない事を、どうにかしようとして、とりとめもない考えをたどりながら、さっきから朱雀大路にふる雨の音を、聞くともなく聞いていたのである。田中はここまでついてきた睡眠薬入りの袋で手遊びをしていた。
雨は、羅生門をつつんで、遠くから、ざあっと云う音をあつめて来る。未来から共に来た携帯電話の明かりだけが彼らを暗闇から警護していた。これが無ければとうの昔に黒に包まれ自らの座標も喪失してさまよっていたに違いない。娼婦もまたその光にご同伴にあずかっていた。未来人らが頸をちぢめながら、ポリエステル製の襖の肩を高くして門のまわりを見まわすと、その誘人灯が動き回る度につられてぐるぐる首を動かした。未来人たちは雨風の憂いのない、人目にかかる虞のない、一晩楽に寝られそうな所があれば、そこで夜を明かそうと思っていた。幸い門の上の楼へ上る、幅の広い、丹を塗った梯子はしごが眼についた。上なら、人がいたとしてもどうせごく少数の放浪人のみである。
それから、何分かの後である。羅生門の楼の上で未来人たちが家主のごとくふるまっていた。ここには人ひとりいなかったからである。当然、死体のような臭気を放つモノも存在せず、ここは快適空間そのものであった。一方で、猫のように身をちぢめて、息を殺しながら、梯子の中断で上の容子を窺っていたのが、誘人灯に誘われてホイホイついてきてしまった娼婦である。けれども仮の家主らはそれに一切気づかずに無警戒のまま仲睦まじげに、横並びに背を壁に預けて語らっていた。
それからひと時が経ち、高野は田中を信頼したのか、彼の肩にその顔を乗せて寝息を立て始めた。後輩のあまりにもその無防備な姿に、田中の心はざわめきだした。実は、ここに来る前に田中が高野に冷紅茶を渡したのは、ちょうど今のようなシチュエーションを用意するためであった。睡眠薬を混ぜることで目的を遂行しようとしたのである。つまり、一度は頓挫した計画が、この羅生門で実行できるようになったということである。
田中と高野は三国ケ丘工科大学、水泳部の先輩と後輩の関係にあった。田中は百メートル自由形でプロクラスの記録を残す強者であり、高野はそんな先輩のことを慕っていた。人懐っこい後輩の姿勢は、そのストイックさから敬遠されがちだった田中の心にひどく突き刺さった。きっかけは不明である。しかしながらいつしか後輩の背中と尻を目で追いかけるようになっていた。その尻を覆う布切れがぱっつんぱっつんであるのを見るたびに、田中の中の野獣が膨れ上がっていったわけである。
もう我慢できない。
野獣と化した先輩は高野のシャツのボタンに手をかけた。ひとつ、またひとつと彼を守る防具がはだけていく度に、田中の気分は跳ね上がるように高揚した。もう今すぐにでも胸に住む妖精さんにご挨拶申し上げたかった。しかしながら、少しでも妖精さんをいじめれば、高野の意識は覚醒するであろうことは容易に想像ができる。メインディッシュを確実に仕留めるためには、耐えがたきを耐え、忍び難きを忍ばざるを得ないのである。大胸筋を目に焼き付けた田中は下に住まう観音様を拝むべく、観音様を守護するトラウザーに手をかけようとした。けれども、ここで冷紅茶を飲ませていないことが大いに影響した。はぎとるためには高野の腰を浮かせる必要があるが、彼の意識を落としたまま行う方法が思いつかなかったのである。
悩む時間を経て、結局、彼はその問題を無視することでこの膠着状態を解決することを選択した。つまり、暴れる後輩をレイプする決心を固めたのである。もとより強行する勇気は持っていたが、それとは順方向の、より悪化した心構えであった。もはや表情すらもその感情を反映し、迫真さを感じる有り様である。高野の腰を無理やり浮かせてパンツを奪い取る。たった布切れ一枚のみが高野を守る状態で、彼の認識する世界がこの羅生門になった。
「え?」
もう手遅れである。
一人の好青年は野獣にその唇を貪られた。勇気を持った野獣の、あまりにも力強い決意を打ち破るには、生半可な抵抗ではどうにもこうにもならないのである。彼は今、野獣にマウントを取られ、肉体は床に預けられている。ただでさえ、見覚えのない羅生門で雨やみを待つという非現実的な現状に、さらに非現実な事象が重ね掛けである。彼はこの現実を夢の世界と混濁し、逆転するほどの力を出すことができなかった。結局、弱弱しくバタバタと動いただけである。
他方で、目の前の光景に驚くのが上の様子をうかがっていた娼婦である。突然目の前に現れた真夏の夜の淫夢に口を押えるのみであった。彼女にとってこの景色は新世界である。男が女を買うのが当たり前な空間にいたことで、これまで男と男が絡みあうという発想に至ることは無かった。このカルチャーショックはただ無心で男に身体を預けるだけだった彼女に、初めて前向きな好奇心を与えたのである。
しばらく唇を重ねていた水泳部二人であったが、田中はとうとうピンクの妖精を手でフニフニと触り始めた。高野の嬌声が、轟轟とした雨の音に打ち消され、娼婦の耳には届かない。けれども少なくともその表情は彼女の仕事中の演技以上であった。触る、舐める、触る、舐める…… 。観音様はすでにご機嫌よく、誰の目にも見間違いようなくその元気さを主張していた。
「先輩……、どうしてこんなことを……。」
さんざんその身に住まう二体の妖精を汚された高野は息を切らしていた。ぜぇぜぇはぁはぁ言いながらも、その瞳はしっかりと野獣のことを映していた。睨みあうこと数分後。
野獣の咆哮は空気を貫き、雨音響く中でも娼婦の鼓膜を震わした。
「お前のことが好きだったんだよ!」
そしてその告白に鼓膜どころか心を震わせたのは当事者の高野である。血流が加速したのか、あるいは照れからなのか、彼の頬はほんのり淡紅色に染まっていた。先輩が再び唇を奪おうとも、観音様を守る最後の社に手をかけようとも、彼はじっとしたまま抵抗一つすることなく、目を潤ませて先輩の顔を見つめるばかりであった。
あれほどまでにうるさかった雨は止み、空は黒く澄み渡る。雲の代わりに星が姿を現してきらきらと光り輝く。祝福は二人を照らし、娼婦は二人が心を交わすさまを見届けた。
奥深くに住まう精霊が、愛おしき先輩の子種を受け止める。高野はただぐったりとしながら、精霊の住処から逆流した愛液を吐き出すのみであった。
人を好きになることいいこと
愛の表現はいろいろあるけど
愛のカタチはいろいろあるけど
決められたものじゃない
誰を愛そうがそれはいいこと
常識に縛られたものはいらない
自由に生きよう恥じることじゃない
カタチに囚われるな
常識に縛られるな
人目気にするな
自由に恋しよう
「先輩今度は僕が、先輩のこと気持ちよくしたいです」
「高野……。……いいよこいよ!」
男と女誰が決めたの
何を好きになるかわからない
性別や歳イヌやネコなんでもいいんじゃないか
この夜空を見ようよ
小さなことに思えてくるよ
何が大切なのかもう一度振り返って
恋をしよう
幅広く恋をしよう。自由に
下を向かなくていい間違いじゃないから
カタチに囚われるな
常識に縛られるな
人目気にするな
自由に恋をしよう
太陽が地平線の向こう側から姿を現し、朝の到来を示す。白濁でべとべとになりながら、彼らは抱きしめあっていた。互いに隠しあっていたその想いが、先輩の暴走という形で成就し、天は彼らを祝福したのである。
二人の行く末を見守っていた娼婦は梯子を下りた。雨が止んだらここを去るはずが、気づいたら夜明けになっていたのである。彼女は人が往来し始めた朱雀大路を歩みながら、昨晩のカルチャーショックを振り返っていた。昨晩のアレを見るまでは、彼女の認識では男が竿役を担い、女は受けに回るのが当たり前であった。しかしそれは過ちであった。竿役も受け役もどちらも男が担うことだってあるのだ!ならば!女同士で戯れたって許されるのではないだろうか!
そうこう考え事をして朱雀大路をうろうろしている間に太陽はさんさんと彼女を照り付ける。幾ばくかぶりの太陽は彼女の心を明るく照らし、彼女にある決意をさせた。それは起業の決意である。女性の女性による女性のための行為を文化として根付かせる覚悟を決めたのである。
彼女は京の都から飛び出した。淀川沿いを走りぬけた。そこらの馬車よりも速く飛田新地まで駆け抜けた。彼女の心のうちは、レズビアン風俗の開業でいっぱいいっぱいだった。
「おばちゃん! 女性同士で行為できる店を作ろう!」
「穴しかないようなその身で何を言うてるねん。棒生やしてから出直せ」
そうであった。この世界では花魁のような上級娼婦以外に本番行為をしないという発想はなかったのである。使い捨てされるほどの下級娼婦ではなくとも、本番無しに金を落としてもらえるほどこの世界は甘くない。さらに言えば、そもそもここは女性客がいるような場所ではなかった。いるのはインスタントセックスを求める、性獣と化した野郎ばかりであった。前途多難である。
それからというものの彼女はいかにして自分が同性を攻めるための棒を得るかばかりを考えていた。男性客を相手にしている時でさえそのことを考えていた。何が何でも彼女は女性同士でやりたかった。これはもはや性欲だとかそういう低俗なものではなく、むしろ思想や信念といった言葉で表されるような、高尚な強い感情であった。
おちんちん、おちんちん。
ある日の暮方のことである。一人の男が彼女を訪れた。男は彼女に一つの注文をつけた。
「私のことをこれで責めてはくれないか」
男が懐から取り出したのは男のソレによく似た形をした、けれども弾力のある黒光りした何かであった。男が言うには、彼はもともとそれを一人で自らの身体に突き立て、精霊様を刺激するつもりであった。しかし、厳重に閉められたその扉を一人で開けることは叶わず、なんとか嬢の力を借りてその扉をこじ開けようとしているのである。
「これを貴方のその尻に刺せばよいのですか?」
「そのとおりです。私はそれで確定されたいのです」
大多数の娼婦には叶えられなかったであろうその願いも、彼女には成功への筋道が見えていた。彼女はどう考えても尻に入るはずのない田中の観音様が高野の精霊様を何度もノックしている様子を見ている。彼女はひとまず彼に、潤滑油を吐き出させることにした。
娼婦は、己の指が男の潤滑油にまみれ、さらには彼の洞窟に行ったり来たりしているのを、虚無の表情で眺めていた。なんというのか、この世にはとんでもない欲求を胸に秘めた輩がいるものだと、新世界を体験している真っ最中である。幸いなのは彼の洞窟がソレとは思えないほどに清潔だったことである。この白い潤滑油が茶色く染まる覚悟もあったが、そのようなことはなく、ずっと白いままであった。
窟が己の指にしっくりと馴染んでくれば、次はさらなる負荷をかける時間である。男が持って来たその黒光り弾性棒を、彼の洞窟にお返し申す時間である。客は羅生門で見たあの男と同じような嬌声を上げた。自分のせいでこの目の前の男がこのような姿をさらけ出していると考えると、妙な高揚感があった。相手はこの男だが、今、確かに棒で穴を犯しているのである。あとは相手が女でさえあれば。夢見た同性ックスは目前であった。
「これを腰に巻けるようにはできませんか?」
事が終わった後のことである。娼婦は男にこの道具のさらなる工夫を要求した。今はまだ手に持って使うのみである。しかし、もしこれが腰の動きと連動するようになれば、彼女が望んだおちんちんそのものであった。
「それはよい発想ですね。設計しましょう」
「できたらぜひそれとともにここにお越しになってください。貴方の身体でお試ししましょう」
それから二人は意気投合した。男の方は娼婦を「同志」と呼ぶほどであった。実態は、一人は同性愛の道を志し、一人は女王様の覚醒を願う同床異夢極まった状態である。さりとて、二人のすることは変わらない。男は新しく作っては娼婦のもとに足繁く通い、四つん這いになる。娼婦は男の洞窟を掘り進める。ただそれだけであった。
はじめ、娼婦の世話をする婆は彼女の思想に否定的であった。しかし、男と会う回数が増えるにつれその態度は融解し、肯定するまでには至らなくとも強い反対をすることは無くなっていた。娼婦の情熱は婆さえも引かせるほどであった。
大坂初のレズビアン風俗が開業されたのは、娼婦が羅生門を訪れたそのずっと後のことである。はじめは閑古鳥が鳴いていた彼女の店も、時が経つにつれ、客の数は増え、それに従事する者も増えていった。
「貴方には感謝している」
「見事に利用されてしまいましたね」
「謝罪はしない。むしろこれからも私に貢いでほしい」
「ハハハ。構いませんよ。貴女のおかげで貴族にも認知される性玩具商人になれましたからね」
このとき、娼婦は二十八歳、男は三十歳であった。娼婦は無論娼婦であるからして独身であるし、商人もまた、尻遊びに夢中で未婚のままであった。
両者の行く末は誰も知らない。
未完
〈引用文献〉
⚫ 芥川龍之介、羅生門
⚫ 山崎まさゆき、愛のカタチ
〈参考文献〉
⚫ 株式会社コートコーポレーション、真夏の夜の淫夢第四章