今回の編集後記は未来の読者を想定して書いてみようと思う。おそらくそんな奇特な方は少ないだろうけれど、このパンデミック下でどのように文芸部文学パートが活動していたのか知る手がかりになれば幸いだ。
まず本誌がどのような状況のもと製作されたのか、簡易的にだが背景を時系列順に追ってみよう。
2020年度春学期、緊急事態宣言の発令を受け、関西大学は全ての授業を遠隔で実施することとした。授業形態は「オンデマンド型」「同期型」「教材提示型」のいずれか。必ずしも授業内容に合った形態が採用されているわけではなかったり、遠隔授業は単位の取得が割合容易であったりと問題(?)はいくつかあったが、授業自体は概ね無事に遂行されたと言えるだろう。秋学期になると対面授業が再開されたものの、「授業受講に関する配慮申請」(基礎疾患や特段の事情を持つ学生のための救済制度)の審査基準はまだ緩く(僕の経験上、そのように思われたというだけだが)、オンデマンド型の授業も多数開講されたために、完全対面というよりは対面・遠隔併用の授業が展開された。そして今2021年度4月。大学当局は「完全対面再開」を目指していたようだが、授業が開始してから二週間も経たないうちに緊急事態宣言が三度発令され、遠隔授業へと逆戻りすることとなった。ちなみに昨年度と同様に救済制度は設けられたが、審査基準と申請にあたっての心理的ハードルはかなり上がっていた。担当者に直接電話で説明を受けた僕は、まったく情けない話だが、すごすご引き下がった。課外活動への参加は一切禁止。申請が通れば情勢に関わらず(つまりたとえ状況が好転しても)通年で遠隔授業を受けることになる、と言われてしまえば仕方あるまい。一応説明を付しておくと、僕には基礎疾患があるわけではない。
2020年度、文学パートは突然部室が使用不可能になったこともあり、実質的な休部状態だったのだが(幹部の不甲斐なさも大いに関係しているにせよ)、今学期からは精力的に活動していこうと気持ちを新たにしていた。四月の三度目の緊急事態宣言発令はそんな矢先の出来事だったのである。しかし、もともと部室は自由に利用できる状態とは言い難かったし、何より去年の二の舞を演じるわけにはいかない。四月下旬、例年通り「春の澪標」の作品募集を始めた。それが本誌である。
さて、「編集後記」というからには編集の話をしなければならない。調べたところ、どうやらそういうわけでもないらしいが、ここではとにかく編集業務の話をしようと思う。
「一人でやるか、皆でやるか問題」というものがある。いま勝手に名付けたのだが、要は「仕事は一人でやった方が効率的なのか、複数人でやった方が効率的なのか」という問題だ。今回に限って言えば、複数人で作業することで却って効率が落ちたことが何度もあった。こんな情勢下とはいえ、皆多忙の身である。スケジューリングがうまくいかない。意思疎通が図れない。あとはまあ怠惰なんかもあったかもしれないが、明らかに一人でやった方が楽だという場面には何度も遭遇した。特に規模の小さいプロジェクトにおいて共同作業とは得てしてそういうものだ。ゲーム理論なんてものを持ち出すまでもなく、そういうケースが存在するのは厳然たる事実である。だが、収録作のクオリティは僕が一人でやるよりも向上したと思っている。これは断言してもいいだろう。共同作業の利点は、(時と場合によるが)効率にあらず質にあり。編集作業を通してそんな教訓を得た。
僕としては納得いくものが出来上がったと思っているのだが、心残りがあるとすれば収録作が若干少ないことだ。皆多忙と述べたばかりだが、どれほど忙しいのだろう。無理はしてほしくない。が、次の部誌ではもう少し作品数が増えることを期待したい。なにしろ約30人も部員がいるのだから。隠居を決め込むのも結構だが、たまには参加してほしいというのが本音だ。
最後に謝辞を。
今回は関西大学文化会書道部の山田さんに題字を書いていただきました。急なお願いだったにも関わらず快く引き受けてくださり、素敵な文字を提供していただきました。本当にありがとうございました。
編集を手伝ってくれた浅井くんと岡本さん、ありがとう。おかげさまでいいものが出来ました。作品を寄稿してくれた部員にも感謝しています。本誌が刊行できたのはひとえに皆さんのおかげです。
そして読者の皆さまへ。創作活動はキャッチボールです。読者の存在があって初めて作品は成立するといっても過言ではないのです。皆さまの心に少しでも何かを残すことができていれば、それに勝る喜びはありません。
それでは、また。
2021年6月12日
山本哲朗