少子高齢化や経済格差、地球温暖化等の全ての社会問題が科学技術の進歩により呆気なく解決した後、人間は人生をいかに充実させ、楽に過ごせるかを追求した。そして、平均寿命が百二十歳を超え、便利至上主義や効率化重視の考えが世間に浸透し始めたのが今から五年前のことだ。
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僕は自他共に認めるニートだ。高校を卒業して二年間働いてない。その理由を分かりやすく言うと○×クイズの×の方ばかり選んできた人生だったからだろう。でも僕は意外と幸せだ。そんな僕が、今日は三日ぶりに外に出ることにした。
午前十時、パジャマtoパジャマの不規則で怠惰な生活を送る僕にとって、この時間は早起きにあたる。
ジリリリリ!
さっきからずっとだ。いい加減僕がそれくらいの音量では起きないことをこの目覚まし時計は学習しないのか。まったく。しかし近所迷惑になるので、そろそろ起きてやろう。眠い目を擦りながら玄関のドアを開けそこに置いてあるビニール袋を抱えてドアを閉める。ベッドに座ってその袋から目玉焼きとカップコーヒーを取り出し、無言で食べる。優雅な朝食を過ごした後、服を着替え、戸締りをして、マンションの外に出る。最初に行く場所は決まっている。
何しろ三日ぶりだから、僕のギャンブル欲は破裂寸前だ。ほんの三十メートル先の消灯しているネオンの看板が輝いて見えるのは気のせいだろうか。気がつくと早足で、五分程で目的の店に着き、中に入る。まだ午前中にも関わらず入口付近の台は既に埋まっていた。聞き慣れたBGMに乗りながら早速空いている台を探して、座る。ハンドルを回して、台の中にサイドから大量の玉を流し込む。その瞬間僕の頭の中にもアドレナリンがドバドバと流れ込む。だが、まだ油断は出来ない。一つのポイですくえる玉は限度があるからだ。破れないように水面となるべく平行にポイを入水させ、縁で引っ掛けるようにすくう。この技術は一朝一夕では身に付かない。だが、今日は運が良かったみたいだ。流れに乗った僕は一時間半で約二二〇個すくえた。最高記録だ。満足した僕は帰り際に
「明日も来ようかな……」
と「スーパーボールすくい」の看板を見ながら思わずつぶやいた。
朝食が少なかったので、少し早いが昼食にするためトイレットペーパー専門店の向かいの国立レストランに入り、日当たりの良い窓際の席に着いた。ここでは世界中の料理が食べられる。後ろの席の客は棒棒鶏と油淋鶏を食べているが、奥の座敷では、カプレーゼやカルボナーラを食べている客がいる。
何を血迷ったか僕はフィッシュ&チップスと豚汁とガパオライスとエクレアを食べた。寒気を覚える程の食べ合わせの悪さだが、空腹であるが故に三十分で平らげた。値段は総額百七十円だ。悪くない。味は中の上だ。
国立レストランを出た僕は、下り坂を四十分程歩き、コンビニと左利き用ハサミ専門店の隣にある芥川龍之介専門店に到着した。そこでは、芥川龍之介の著書はもちろん、芥川カレンダーや芥川スニーカー等が売られている。僕はそれらには目もくれず「羅生門」を購入した。言うまでもなく趣味の小説音読のためだ。このままカラオケに行って大声で音読したい衝動に駆られたが、喉の調子が良くないので諦めた。
店を出た後、隣のコンビニに入った。
このコンビニの広さはテニスコートの半分くらいの一般的なコンビニだ。まず僕はエレベーターで地下四階まで降りてトイレットペーパーやティッシュ等の日用品を一階ずつ上がりながら揃えた。地下二階では観賞用の寿司を買った。マグロ、イクラ、サーモン一貫ずつで計六十円だ。少し高いが、腐るまでの二週間インテリアとして飾れると考えるとコスパは良い。レジに並び、会計を済ませた時には両手にゴミ袋程の大きさのレジ袋を持っていた。
「少し買いすぎたな……」
と指に食い込む痛みを感じながら、分かりきったことを口にする。いつもはお世話になっているが、この時ばかりは重力を恨めしく感じる。日頃の運動不足がこんな時に効いてくるとは……。流石に坂は登れそうにないので、A駅まで歩いて、電車で帰ることにする。
午後五時、さっきより自分の影が長くなっている。
ティッシュ専門店、ホチキスの替え芯専門店、歩行者信号専門店の前を通り、夏目漱石専門店の角を左に曲がり、まち針専門店の突き当たりを右に曲がると、すぐそこはA駅だ。
やっと一息つけると思いながらA駅の階段を上る。するとパキッペチャという音が聞こえてくる。不思議に思いながらホームに着くと、その謎が解けた。
鶏の卵がホーム一面に散乱しており、不思議な音の正体は電車の利用客が卵を踏みつぶす音だ。おそらく、誰かが廃棄処分となった消費期限切れの卵をばら撒いたんだろう。ホームに食べ物を捨てるのは良くあることだが、卵は初めて見る。駅員と利用客はまるで卵なんてないかのように、歩いている。彼らのパジャマのズボンの裾が汚れているのに気づかないのだろうか。かく言う僕も急いで帰りたいのでパジャマが汚れるのを気にも止めずに電車に乗り込んだ。
A駅から僕の家の最寄り駅であるB駅までの路線は環状線である。また、そこを走る電車は先頭と後方車両が連結しており、全車両が数珠のように繋がって一つの輪になっている。隣り合う駅のホームも全て繋がっており、駅は便宜的なものに過ぎない。どこからでも乗り降りできるので、とても効率的だ。
さらに、電車の構造上飛び込み自殺がしにくいという利点もある。だがこんな恵まれた、幸せな世界で死を選ぶ人なんているのだろうか。確かに、生きている意味はないかもしれないが、死を選ぶ理由も見当たらない。
電車の中で、小声で「羅生門」を音読しながら、そんなことを考える。この生ぬるい幸せの匂いが充満する電車の中で、僕の前に座っているグレーのパジャマの学校帰りの女子高校生や青いパジャマのサラリーマンは今何を考えているのか想像してしまう。
B駅に着き、扉が開くと目に飛び込んできたのは、ホーム一面の寿司だ。冗談だろう、観賞用の寿司を買わずにここで拾えば良かった。僕はひどく後悔した。踏まれすぎてネギトロのようになったマグロの寿司とスクランブルエッグと化した卵の寿司を尻目に、ホームから出る。
今頃、マンションが行っている朝夕食無料提供サービスの天津飯と海鮮丼が玄関前に届いているだろう。幸せだ。今日も平和な一日だった。