「ケビン・ローズさん、お待たせしました。こちらが滞在証明書になります」
「どうも、ありがとうございます」
役人の男性に感謝を告げ、差し出された証明書を受け取る。それを今一度確認し、不備や不明な点がないことを証明してから懐にしまい込んだ。
「っと、そうだ。近々この町で闘技大会があるって聞いてきたんですけど、受付ってどこでされているか分かりますか? なんでも上位に入れば結構な額の賞金がもらえるんだとか。ちょっと出てやろうと思って来たもんで」
「おや、あれを観戦ではなく、参加されるんですね。それなら闘技場に向かってください。ここを出て右の通りをしばらく進めば着きますよ。一本道ですし、何より立派な建築ですからね、まず迷うことはないでしょう」
そう言って男性は朗らかな笑みを浮かべた。俺はそんな彼にもう一度礼を言い、役所を後にする。進む方向は当然、右だ。
道幅の広いこの通りには、どうやら宿泊施設が集まっているらしい。目につく看板などから推測しつつ、奥に見える円形の建物を目指して歩く。まだそれなりに距離はある筈だが、ここからでもその存在感が伝わってくる。ましてや、近付けば尚更だ。無意識に感嘆の息がこぼれた。
「さぁて、受付はどこだ、っと……」
闘技場から視線を前に戻し、辺りを見回す。すると、入口付近にて武器を携えた、いかにも、といった風貌の男と、笑顔の女性が話をしている様子が目に入った。やがて話が終わると、男は女性と別れて闘技場の入口へと消えていく。そんな男の背中に、女性は「頑張ってくださいね」と声をかけていた。
当たりだ。小さく呟き、俺もまたその女性へと歩を進める。
「すみません、闘技大会について聞きたいんですが」
「あら、こんにちは。闘技大会についてですね? 参加するのは初めてですか?」
「えぇ。前にいた町で耳にして、可能なら出てやろうと思ったんですよ」
「分かりました。それでは、私から簡単に説明させていただきます」
人当たりのいい笑みと共に、女性は闘技大会について語り始めた。
「まず初めに、闘技大会は予選と本選の二部構成となっています。方式は予選、本選と共に勝ち抜き制です。例年、数百人は希望者が集まりますから、予選からでも熾烈な争いが繰り広げられます。その予選を勝ち抜いた上位三二名の実力者が、本選へと駒を進めることができるのです」
「なるほど。ここに来るまでに宿泊施設が多く建っていたのは、それだけの人数が集まるからという訳ですか」
「はい。でも、参加希望者だけじゃありませんよ? この闘技大会のために、わざわざ遠くから来られる人もいますから、そういった方のためにも宿泊施設はたくさん必要なんです」
女性の言葉に俺は納得し、深く頷く。
実際、宿泊施設が整っているというのは、遠路より来たこの身には実にありがたいことだ。清潔で落ち着いた環境で休むのとそうでないのとでは、疲労の抜け方がまるで違ってくる。ましてや、選手として闘技大会に出るともなれば、その辺りはいつも以上に気を遣っておくべきだろう。本来の力が発揮できず負けたとなれば、笑い話にもなりはしない。
「話を戻しますね。ここからは注意事項なのですが、闘技大会の名の通り、武器を使用した真剣勝負が行われます。怪我をしても、そして万が一に死亡したとしても、すべて自己責任になることをご了承してください。これについては誓約書も書いていただきます」
怪我も死亡も自己責任とは、なかなかに厳しい決まりだ。とはいえ、それも当然か。負傷者全ての面倒を一から十まで見ていては、時間も金も足りたものではない。ここで文句を垂れるような奴がいれば、そいつはただの甘ったれな馬鹿野郎だ。
「他に何か質問はありますか?」
「いえ、今のところ特には。ありがとうございます」
「詳しい説明や参加の手続きは闘技場の中で行えますので、何かあればそちらの方でお願いします。健闘をお祈りしますね」
返答の代わりに軽く手を振り、俺は闘技場の入口をくぐった。
それから俺は闘技場の中にて、大会に出場する諸々の手続きを行った。外の女性に教えてもらった以上に細かい概要や規定の説明から始まり、出場者登録、参加費の支払い、誓約書の記入、などなど。それら全てを済ませる頃には、高かった日は沈み、辺りはすっかり暗くなってしまっていた。
案内された出場者用の大宿は、ここだけで百人以上もの出場者が宿泊できるというだけあって、かなりの規模を誇っていた。与えられた個室も小さいながら綺麗に保たれており、手入れがろくにされていなかったら、という懸念は杞憂に終わった。おかげで俺は予選が始まるまでの数日を、この宿でゆっくり休むことができた。
そして、いよいよ予選が始まる。
人数の多い予選を円滑に進行させるため、出場者はまず初めに四つの組に分けられた。本選に残ることができるのは勝ち残った三二名、つまりそれぞれの組における上位八名だ。まずはここに入らなければ話にならない。
俺は自分の順番がやってくるのを待ちながら、目の前で行われている試合をぼんやりと観戦する。
現在は体格のいい男同士が、力任せに手にした獲物を振るっている。やがて大剣を持った方の男が、対する斧の男を武器ごと斬り裂いた。
肩口から脇腹にかけて傷を負い、少なくない量の血を流す男は、審判に勝負ありと判断されて敗北。間もなくやってきた担架に乗せられて退場していった。
「……まぁ、こんなもんか」
口からこぼれたのは、そんな感想とため息。
誰も彼もがあまりに凡庸で、面白味の欠片もない。話にならない連中ばかりだ。
それでも、まだ一回戦だから仕方がない、と自分に言い聞かせ、際限なく下がっていくやる気をどうにか引き留める。
「二五二番、ケビン・ローズ!」
「さて、ようやくか」
軽く肩を回しつつ、選手たちをかき分けて前に出る。間もなく反対側から現れたのは、顎髭を蓄えた坊主頭の壮年の男だ。手にしているのは突起のある金属製の打撃武器、すなわち鎚矛《メイス》だ。男自身も大柄で筋肉質な肉体をしているため、その破壊力は押して知るべし、といったところだろう。
「おいおい、こんなひょろい奴が俺の相手か? 随分と舐められたもんだなぁ。ここはお前みたいな餓鬼が来る場所じゃねぇんだぜ?」
こちらを見るなり、男はそんな言葉と共に嗤った。どうせ細身の俺ごとき、楽に勝てるとでも思っているに違いない。
俺からすれば先の台詞、そっくりそのまま返してやってもいいくらいだというのに。
「それでは両者、位置について。……始めっ!」
「おぉおおおおおおおぉおおおおおおおおおおおっ!!」
開始の合図と同時に男が吼え、勢いよく地面を蹴った。そして、その巨躯に見合わぬ速さで距離を詰めてくる。身構えた俺の視線の先で高く振りかざされた鎚矛、渾身の力の込められた必殺の一撃が放たれる。
「おりゃあああああぁあああああああああ!!」
ドォォン、と。
回避のために横へ跳んだ直後、衝撃に地面が爆ぜる。
たいした馬鹿力だ。砂を払いつつ小さく感嘆の息をついた。
「ちっ、避けやがったか」
「そんな単純な攻撃、大人しく当たってやるかよ。この脳筋野郎」
苛立つ男を鼻で笑うと、みるみるうちにその顔が憤怒に染まった。血走った目で俺を睨む男は、「ぶっ殺してやる!」と息を巻き、再び鎚矛を掲げて襲いかかってくる。
──そういうところが脳筋だと言っているのだ。
込み上げてくる嗤いを噛み殺し、力任せに振るわれる単調な連撃を淡々と躱していく。俺を容易く殺すことのできる力も、当たらなければ無力も同然である。
「……さて、いい加減に底は見えたかな」
ふっと短く嘆息し、大振りの鎚矛を紙一重で避ける。そのまますかさず腰から下げていた鉈剣《ファルシオン》を抜刀、獲物を振り下ろした体勢の男の首筋目掛けて振りかぶった。
切っ先のある鉈とでもいうべき、湾曲した厚い刀身を持つ剣は、首筋の薄皮一枚を切り裂き、しかしそれ以上食い込むことなく、男の首を落とす寸前で止まる。つぅ、と真っ赤な一筋の雫が、艶のある鉈剣の刃を濡らした。
「……え?」
そんな声が漏れたのは、果たして誰からか。首筋に剣を当てられた男かもしれないし、あるいは審判か、はたまた周りで今の始終を見ていた選手たちという線もある。
だが、そんなことはどうだっていい。重要なのは俺が王手をかけたという事実だけだ。今の状態からなら、男がどんな行動を起こそうとも、その首を刎ねる方が確実に早い。
「て、てめぇ……!?」
「動くなよ。今はちょいと血が出てる程度だが、あんまり動かれちゃ大変なことになるぜ?」
目を見開いて声を喉から絞り出した男を黙らせ、俺は審判の方を一瞥する。
勝負有りだ、そう言外に伝えると、審判は固い表情のままこくりと頷いた。
「勝者、ケビン・ローズ」
「ふ、ふざけんな! 俺はまだ、負けちゃいねぇぞ!?」
「諦めが悪い奴だな。だったら──」
首筋に鉈剣を添えられた状態のまま叫び散らす男は、見苦しいことこの上ない。俺はそんな男から鉈剣を離すと、今度は男の持つ鎚矛へと振り下ろした。キン、と甲高い音が響き、鎚矛を鎚矛たらしめていた柄頭の部分が地面に転がった。
「お、俺の武器が……!?」
「これでもまだやる気か? 拳でも十分、なんて言うつもりなら、今度はその腕を斬らなきゃいけなくなる訳だが……」
「くっ、くぅうううう……!」
精一杯の抵抗とばかりに、男は凄まじい形相で俺のことを睨めつけた。が、俺が軽く鉈剣を構えてみせると、すぐさま青い顔をして、「ま、参った……!」と負けを認めた。
それを見届け、ふっと脱力して息をつく。
「はっ、情けねぇ。このくらいで怖じ気づいてくれるなよ」
独り言を小さく残し、次の試合が始まるためにこの場から退く。周囲から向けられる視線に込められているのは、揃いも揃って驚愕や畏怖ばかりだ。
全くもって、つまらない。
俺の目的はあくまで賞金だ。当然、それは上位に入れば入るほど額が大きくなる。そういう意味では、楽に勝ち上がれるのは歓迎すべきことである。
だが、せっかく闘技大会なのだ。強者と刃を交え、鎬を削り合い、闘争を愉しんでこその舞台ではなかろうか。雑魚ばかりを蹴散らして優勝したとしても、素直に満足できるとは到底思えない。
──どうか別の組には骨のある者がいますように。
それから俺は次に名前が呼ばれるそのときまで、まだ見ぬ強者へと期待を膨らませ続けた。
「ケビン・ローズさん、間もなく決勝戦が始まります。移動をお願いします」
闘技場の控え室、そこにある長椅子にて横になっていた俺は、係の女性の声に体を起こした。
疲れや痛みは綺麗になくなっている、これなら実力を遺憾なく発揮することができるだろう。調子を確かめるように一通り体を動かしてから、先導する女性に連れられて控え室を後にする。
この決勝戦に至るまで、数々の相手と戦った。だが、その中の一人たりとも俺を満足させるには至らなかった。さすがに勝ち残ってきただけあって、準決勝で当たった長剣使いは悪くなかったが、それでも俺を倒すにはまだ力及ばず、結果として俺がこの決勝の舞台に立つこととなったのである。
果たしてどんな奴が出てくるのか。本選に入ってから、あえて他の試合を見ないようにしていた俺には、決勝戦で当たる相手は分からない。だが、仮にも決勝戦なのだ、それ相応の実力の持ち主であることだろう。そう考えると、まるで子どものように胸が踊った。
「到着です。どうか、健闘を祈ります」
「えぇ。どうも」
そんな女性の言葉に見送られ、俺は闘技場に足を踏み入れる。
まだ試合の開始前だというのに、客席は凄まじい熱気に満ちていた。客席のあちこちからは声援が響き、時折そこに物騒な叫び声が混じる。最初はこの狂騒が喧しくて仕方がなかったが、決勝まで来れば最早そこに何も感じることはない。慣れとは恐ろしいものだ。
それから程なくして、反対側の入り口から一つの人影が現れた。選手入場に観客が一気に沸き立つ中、その人物はゆっくりとこちらに向かって歩を進めてくる。
若い女だ。
年齢は二十歳くらいだろうか。女性にしてはなかなかの長身で、全身を軽装の鎧に包んでいる。青みがかった銀髪は背中の真ん中辺りまで伸びており、その顔立ちはこんな見せ物の場には不似合いなほどに整っている。
だが、深い海のような蒼の瞳を、その奥に灯る静かな闘気を見た瞬間、直感的に理解した。
──この女は、強い。
「それではこれより決勝戦、ケビン・ローズとリリウム・オレットとの試合を始める」
その声に鉈剣を抜刀し、オレットもまた手にしていた斧槍《ハルバード》を構えた。騒がしかった客席もいつの間にか静まり返っており、闘技場に静寂がこだまする。
「──始めっ!」
瞬間、俺の右肩目掛けて斧槍が振り下ろされた。
「……流された、か。少し驚いたぞ」
「その割には驚いたって感じじゃないな。口角が上がってるぜ?」
ぼつりと、斧槍を振り下ろした姿勢のまま、オレットが呟く。獲物を握る右手を軽くほぐしつつ指摘すると、彼女はふっと息をつき、あらためてその笑みを深くした。
開幕と同時に一撃。予想はしていたし、故に反応もできた。
刃と右肩の間に鉈剣を割り込ませ、衝撃を受け流しつつ後退する。やったことはただそれだけだ。小細工のない正直な一撃だっただけに、対処することもまた容易だった。
ただ恐ろしく速い程度の攻撃だけでは、俺を捉えることなどできない。
「いや、驚いているさ。私の初撃を受けてまともに立っていたのは、この大会で貴公が初めてだ」
「そうかい。まぁ、それは俺も同じだよ。不完全燃焼のまま優勝したりでもしたらどうするかと思ってたが……」
俺は鉈剣を構えた。そしてにぃと頬をつり上げる。
「お楽しみは最後に残ってたってことだ。簡単に負けてくれるなよ?」
「ふっ、それはこちらの台詞だ」
言い終わるや否や、オレットは勢いよく地面を蹴って矢のように突っ込んできた。突き出される斧槍の穂先、それを紙一重で回避し、すれ違いざまに鉈剣を振るう。避けられた、その事実を振るった際の感覚で理解しながら、すぐさま身を翻して背後から迫る斧槍を迎え撃つ。
やはりというべきか、オレットは斧槍の長さを存分に生かし、こちらの間合いの外から一方的に攻めてくる。斬撃、刺突、薙ぎ払い、殴打。様々な種類の攻撃が嵐のように襲いくるのだ。これらをくぐり抜け、オレットの懐にもぐり込むのは至難の技だ。
とはいえ、至難なだけで不可能ではない。
オレットの呼吸、視線、全身の僅かな挙動といった要素から動きを予測、怒濤の連撃をすんでのところでやり過ごし、一気に距離を詰める。
当たれば致命傷の一撃も、どこ目掛けて、どの軌道で、どの瞬間に来るかが分かっていれば、躱すことなど造作もない。
大きく踏み込み、首筋への一閃。急所狙いの必殺は流石に外したが、オレットの注意は否が応にも鉈剣に向けられた。その隙にがら空きの腹部を右脚で蹴り飛ばす。
しかしその感触は、直撃したというにはあまりにも軽かった。
「っ……強いな」
「いや、お前も大したもんだ。まさかあの状態から反応されるとは思わなかった」
そう、オレットは俺に蹴られた瞬間、その向きに跳ぶことで衝撃を逃がしたのだ。それ自体は訓練すれば誰でもできることなので、別に驚くような技ではないのだが、先の一撃は明らかに不意をついていた。普通に考えれば反応などできる筈がない。
しかしオレットはそれをやってみせた。
恐らく蹴りを食らった瞬間、頭ではなく体が反射的に動いたのだろう。その領域に至るまで、一体どれだけの研鑽を重ねたというのか。
──実に興味深く、面白い。
願わくは後で話の一つでもしたいところだ。ただ、今はそのときではない。
「さて、話はもういいだろ。試合再開と行こうぜ」
「あぁ、是非もない」
短く答えたオレットは再び俺の視界から姿を消した。大した速さだと内心で彼女を賞賛し、左斜め後方から振り下ろされた斧槍を、鉈剣で撫でるようにいなす。
死角をつくという戦法が通じるのは、眼ばかりに頼る未熟者のみ。音で、匂いで、肌で識ることができる相手には通用しない。
獲物を今一度強く握り締め、お返しとばかりに攻勢に転じる。
取り回しに優れる鉈剣は、手数の多さが最大の武器となる。一撃一撃の軽さを補うように放たれる無数の斬撃が、オレットの防御を削り、向こう側にある鎧と肌に少しずつ、だが確実に傷を残していく。ここにきてようやく、オレットの表情に焦燥の念が垣間見えた。
とはいえ、このまま一方的に嬲れる訳もない。まだ僅かに言葉と獲物を交わしただけだが、リリウム・オレットという人物がこの程度で終わる器でないことは分かっている。
故に、彼女が俺の動きを読み返してきたことにも動揺はなかった。
「ふむ、なかなかどうして難しいものだな。敵を視るというのは」
「そりゃそうだ。というか、この短時間で極められちゃ、馬鹿みたいな時間をかけて覚えた俺の立つ瀬がねぇよ」
「くくっ、そうさな。だが見よう見真似とはいえ、コツは掴んだぞ」
つばぜり合いの最中、オレットはにやりと獰猛な笑みを浮かべた。直後、拮抗していた鉈剣が強引に押し返され、斧槍が風切り音を伴いながら銀の軌跡を描く。その一撃は先ほどよりも鋭く、速い。反撃に移ろうとしても読まれているのか、先手を打たれて芽を摘まれる。
仮にも俺が膨大な時間を費やして身につけた戦闘術だ、見よう見真似で再現できるようなものではない。しかし、まだまだ出来は拙いながらも、オレットは目の前でやってのけている。彼女の腕前からするに、膨大な戦闘経験という名の下地はすでに完成していたのだろう。そこに俺という手本が現れたことで、一気に芽吹いたというわけだ。
──あぁ、本当に面白い。
込み上げてくる笑いをこらえつつ、オレットと斬撃の応酬を重ねる。お互いに先の先を読み、攻撃される前に手を潰し合う。甲高い金属音が絶え間なく鳴り響き、その度に火花が散った。
甘美な時間だ。強者と刃を交えることの歓びに、命を懸けた極限の駆け引きに心が踊る。今この瞬間にも、オレットは俺との攻防を糧に成長し続けている。その事実がまた堪らなく俺を昂らせた。
果たして彼女はどこまで俺に食い下がるのか。強くなるのか。
その先が気になって仕方がない。
「貴公、頼みがある」
「あ?」
不意にオレットから放たれた言葉に、俺は首をかしげた。その間にも斧槍の切っ先が迫ってくるため、鉈剣を持つ手は休めない。
「本気を出してくれないか? 一瞬でも構わない、貴公の至った高みを、どうかこの私に見せてほしい」
「……ははっ、正気かよ」
頭がイカれているとしか思えない要求に、思わず失笑がこぼれる。
「死ぬかもしれないぜ?」
「無論、承知の上だ」
「俺を捉えることもできないかもな」
「捉えてみせるさ。この目で必ず」
「狂ってるよ、お前」
「それで強くなれるのなら、いくらでも狂ってやるとも」
澄んだ蒼い瞳は真っ直ぐに俺を捉えている。その言葉はまさしく狂っていたが、嘘である筈がなかった。
──全く、この女は本当に、
「最高だよ」
獲物同士がぶつかった衝撃を利用し、後方へと大きく跳躍。軽く手首をほぐし、深呼吸をしながら鉈剣を中段に構え直す。全身から余計な力を排除し、目を閉じる。
本気。すなわち、全力の解放。
自らの力を無意識のうちに制限している鎖を引き千切ることを意味する。
それをするのは、果たしていつぶりとなるのか。すぐに思い出せないことからするに、最後に本気を出したのが随分と前であることだけは間違いない。
「さて、覚悟はいいか?」
「あぁ。いつでも来るといい」
「んじゃ……見逃すなよ」
深く息を吐き──疾駆。オレット目掛けて一直線に、音さえも置き去りにして突っ込む。全身にかかる過剰なまでの負荷に、肉体のあちこちから絶叫が上がった。
赤く滲む視界の中、オレットの表情が驚愕、そして歓喜の順に変わっていく様が見えた。全力で駆ける今の俺を、あの蒼眼は捉えている。
だが、それだけでは足りない。如何に秀でた眼を有していようとも、体の反応が追いついていない。
振り下ろした鉈剣は辛うじて割り込んできた斧槍と激突し、それを両断。生じた圧が、斧槍の向こう側にあったオレットの体を鎧ごと斬り裂き、大きく吹き飛ばした。真っ赤な鮮血がぱっと咲き乱れ、返り血となって宙を舞う。
見事、と。
吹き飛ばされる寸前、オレットがそう言ったような気がした。
「しょ、勝者! ケビン・ローズ!」
そう審判が告げた一拍後、闘技場全体が一斉に沸き上がった。
「よぉ、案外元気そうだな」
「あぁ、貴公か。見ての通りだよ。むしろ退屈で死んでしまいそうだ」
横になっていた状態から体を起こしたオレットは、部屋に入ってきた俺にひらひらと手を振って微笑む。仮にも重傷を負った身であろうに。なんとも元気なことだ。
闘技大会から数日。多額の賞金を勝ち取り、ついでにこの町の観光も一通り終えた俺だったが、未だに旅に戻らず、こうしてこの町に留まり続けている。ここでの目的は路銀稼ぎ、金さえ手に入ればすぐにでも出発しようと考えていたのだが、俺はここで旅の再開より大事なものを見つけてしまったのである。
俺はオレットに、オレットの中に眠る可能性に魅せられたのだ。
「その怪我、いつになったら完治するんだ?」
「詳しくは分からん。ただ、医者の話ではまだ長引くらしい。武器を振るうとなると、またさらに先だな」
「そりゃ、またなんとも長くなりそうだな」
そうこぼしつつ、用意されていた椅子に腰を下ろす。
俺がオレットに負わせた傷は、そう浅くない。これは負わせた張本人だからこそ分かることだ。直接、鉈剣に斬られた訳ではないとはいえ、発生した剣圧は自分で思っていた以上に高い威力を孕んでいた。それを至近距離で受けたのだ、完治にはまだまだ時間がかかることだろう。
しかし、そのことについて俺は気を病んでいないし、オレットもまた同様に気にしていない。己の鍛えてきた力が真っ向からぶつかり合う場所、それがあの闘技大会だった。そこで怪我を負ったとしても、それは己の未熟故であり、全ての責任は敗れた自分自身にあるのだから。
「オレット、実はお前に言いたいことがあるんだが」
「おや、奇遇だな。私も貴公に言いたいことがあるんだ」
にやりと、オレットはその蒼い瞳を細めて笑った。きっと彼女からすれば、俺も同じような顔をしていることだろう。
「くくっ、やっぱり俺の目に狂いはなかった。最高だよ、お前」
「あぁ、全くだ。私は本当に運がいい」
そう言ってオレットは、不意に右の拳を差し出してきた。それが何を意味するのか、分からない俺ではない。
「これからよろしくな」
「応とも」
こつん、と。お互いに当て合った拳が小さく音を立てた。