初代玄融和尚と檀信徒の方々 大正13年(1924)頃か?
当山は、霧島山麓を臨むえびの市八幡山の頂上に大正12(1923)年10月21日、高野山恵光院 近藤本玄前官の表敬開山を機に玄融和尚により飯野布教所として興りました。
大正15(1926)年に現在地へと移転し、昭和24(1949)年、宗教法人となり、高野山真言宗弘泉寺と改称し現在に到ります。
また本尊の大日如来さまは牛の上に座すという非常に珍しいお姿でお祀りされております。
開基 玄融和尚より法灯が脈々と受け継がれ、先祖供養・水子供養など各種追善供養、開運厄除・交通安全など所願成就加持祈祷の寺であります。
弘泉寺の本尊は牛に乗るという珍しい姿の大日如来です。
西日本では、古くから大日如来を牛の守護仏として崇める信仰が広く根付いていました。大日如来の縁日には、農家の人々が牛を連れて参拝し、境内の草木や枝を持ち帰って牛小屋に供えたり、護符を貼ったりして、牛の健康や農耕の安全、五穀豊穣を祈願する風習が見られました。
また、農民たちは「大日講」や「万人講」と呼ばれる講を組織し、互いに資金を出し合うことで、講員が順番に農耕用の牛を購入できる仕組みを築いていました。これは、農家同士が支え合う相互扶助の知恵でもありました。
さらに、山間部と平野部のように農作業の時期が異なる地域では、牛馬を貸し借りし、その対価を支払う「牛馬小作」という慣行も行われていました。
農業の機械化が進む以前、牛馬は田畑を耕し、人々の暮らしを支える大切な存在でした。そのため、牛馬の健康や安全を願う祈りは、農家の人々にとって切実なものであり、大日如来への信仰は日々の暮らしと深く結びついていたのです。
弘泉寺にお祀りする牛に乗った大日如来のお姿にも、こうした牛と人々の暮らしに寄り添う信仰の歴史を重ねて見ることができます。
本尊 金剛界大日如来 御真言 オン ア ビ ラ ウン ケン バ ザラ ダ ト バン