imitation music
なぜこのようなアルバムタイトルにしたのか?と思う方もいるかもしれない。
このアルバムの方向性が決まっていったのが、「何かに妙に似ている(けれど微妙に違う)音ができた」というのが続いたからだと思っている。フルート、波、琴、あと定番であるがエレピ、ストリングス、ビートの類など。
どれもシンセサイズだし実際の音色とはどこか違う、でもそれが面白いなと思った。
それらを基本的には自動演奏パッチ、これもまたランダムベースだがスケーリングされた、「フレーズっぽい」フレーズ(+それに付随する和音)を生成するパッチによって鳴らしている。
どれもこれもがはっきりした何かでなくて、"それっぽい"で成り立っている、それは模造品みたいだな、イミテーション・ミュージックだな、と。そんなわけでこのアルバムタイトルを付けた。今回は制作からマスターまで100% PureDataで完結させた。本当にPure Pd。
G minor
1ショットのキックとスネア音を、ランダムに連続的に鳴らしてみるとグリッチになった、というのをベースにしてできた曲。たぶん2~20msのタイミングで発音してるのだが、整数値の間隔でウェーブテーブル(にあたるもの)を打つとなぜかいつもメロディックマイナースケールに近い感じになるので、このタイトル。他にディレイ足して、うわものでフィードバックFMの非シーケンスな音をのっけて終わりにした。
winter_daylight 冬の日差し
聴けばわかるのだが、この曲と次の past days は使ってる音色がかなりそのまま被っている。この2曲は並行的に出来上がっていったので自分の感覚としては二つで1セットの曲。片方はノンビートで、もう片方はビートで、その対比を味わってもらいたい。ノンビートのこちらは物悲しくて、映画かゲームのBGMみたいに思える。古城の中庭みたいな。タイトルはいわゆる天使のはしごのことを指しているのだが、ネーミングを間違えたかもしれない。
past_days 遠い日々
もう片方のビートのほう。明瞭で、誰が聞いてもきれいな、整った音色で曲を作りたい、というのは薄っすら念頭にあったので、前曲よりもこちらのほうがちょっと先に生まれた存在かもしれない。結果としてIDM然としたものになったが、これはリチャードDジェイムスじゃなくてTortoiseだなと思う。トータスみたいな、メジャースケールでビートの手数の多いクリアなIDM。
これと以降の2曲は同じビートパターンランダマイザーを用いている。元となるシーケンスがあって、頻度を指定した上でシーケンスを打ち込んだデータアレイからランダムなインデックス上のデータをたまにトリガーしてくれる。こうすることでアレイ上にある音色(例えばスネアの強打、弱音、フラム)だけが、その配置密度によってランダム再生率が決まるので、元シーケンスパターンが崩れない程度にパターンバリエーションを増やしてくれる。
braindance
ビートとブリープベースだけなのでドラムンベースと言えないことはないはずなのだが、明らかに違う。ブリープテクノ。
このbleep bassが変なのは、表現が専門的なのですが、オシレーションにvline~オブジェクトしか使っていないことですね。
つまりサイン波とかノコギリ波とか、そういう元となる波形を加工して…ということを一切してないことです。
vline~は例えば「1から0に何ミリ秒で連続値を出す」というものであって、基本それ自体で音を出すものではないのですが、何かの加減でブリープが出てしまったんですよね。それを自動生成シーケンスからトリガーを取り出してやると、妙にファンキーなベースになって、一曲上がってしまったという。明らかに機械的なんだけどこの妙なファンキーさはリフレックスのイメージ、ブレインダンスだなと思いこのタイトル。
Koto 琴
曲名そのまま、琴っぽい音を土台にして曲ができた。サンプルではなくシンセサイズなのでパラメータを変えると全然違う音、塩ビパイプをスリッパで打つあれ、みたいな音になるので面白い。エスニックな音色からノイジーな音色までシームレスに変わっていくので、それに合わせて都度グリッチを入れた。グリッチは減衰の長い(0.99倍)ディレイのタイムを変調させたもの、第一回のノイズ相撲の際にここだけ抜き出して演奏したものでもある。
実はこのビートあり3曲は全部BPMが同じ。
kokoro / sea 海
この2曲はbandcampに上げる際にデータサイズ制限に引っかかってしまったので都合分割したが、元は本当に一曲だった曲。
複雑な音に思えるが、実際は音を重ねるということを一切していない。使ったのはポリフォニックのフィードバックFMパッチのみ。パラメータを変えることであれだけの音色幅が出る。
このフィードバックだが、LとRでモジュレーションの計算を変えてたり、フィードバック信号を1サンプル時間遅らせたりしてステレオでの音色幅を強く出している。それが特にseaでの立体感に繋がっている。
自分はアルバムの中ではこの曲が一番気に入っている。シンプルなのに複雑で、リアルにも人工的にも感じる。音楽的だともノイズとも思える、その相反性と、何よりエモーションの深さが出せたことが誇らしい。
でも自分で作っておいて、あまりに感情的にくるものがあって危険だ、思ったりもする。
・終わりに
全体として、このアルバムはなんだったのだろう?結果として自分は何を目指していたのか?
それは明瞭さであり、楽曲一つ一つがはっきりと識別できるキャッチャーさであり、崩壊しないが変化し続けるランダムさであり、その上で何かを感じられる、電子音楽(IDMとかエレクトロニカとか括れたらもっとわかりやすいのだけど、それだとどうしても狭くてもっと広義なこの言葉で指すしかないと思う)、或いは自分が一番しっくりくる言い方をするなら「コーディング・ミュージック coding music」だったのかなと振り返って思う。それは不明瞭な何かではなかった、その点ははっきりとしている。
今見ると至らないところ、反省点は山のようにある(だから現時点ライブ用にパッチを見直ししてる)。でも一度どこかで区切りをつけないと気持ちが耐えられなかったろうし、そうやって提出したものが無事リリースまで至ったのは今思えば本当にありがたいことであった…。(そのあと年が明けるくらいまで燃え尽き症候群みたいだった、ずっとゲームばっかやってた(AC6とデススト))
よく思う、「世の中ソフト開発側のようなめちゃコードを書ける人間がザラにいるというのに、おれみたくPd一つ覚えるのに苦戦の連続をしてる人間がコーディングミュージックだなんてものをやろうとするなんて、他を犠牲にして多くの時間を注ぐなんて、叶わない努力ではないか、時間を捨てているようなものじゃないか?」と。その通りなのだろうが、でもまだしばらくはPdでの制作を続ける気がする。(まだ完パケにしてないパッチもいくつかあるし、bytebeat的な面白さを知ってしまったし、たまにはライブもある)
願わくばこのアルバムが長く聞かれることを、そしてもう少し制作に余裕をもってあたれる時間と金銭的余裕が得られんことを…。