避難計画問題:講演記事(2015年)その2

前回の記事で、津波や地震の際の最速避難計画問題について述べたが、9月中旬の鬼怒川の氾濫による災害の記憶が生々しく残っている。もう少し迅速に避難できなかったのであろうかという思いを持っておられる方々も多いことであろう。河川の氾濫にともなう避難も重要な課題である。洪水に限らず、大規模災害発生が予測される時点で、いろいろな情報を迅速、的確に把握して、被害予測を迅速におこない、住民に適切な情報提供と指示をおこなう、ということが求められている。

避難計画は対象とする規模によって取り組み方が異なる。個々の建築物レベルでは想定される災害は主に火災であり, 安全な場所に人々が移動することができるように避難階段・避難設備・避難通路・排煙設備等の総合的な配置計画、またシミュレーション等を用いてそれら計画のための指標設定を行う。これに対して、複数の建築物や道路を含む地域レベルでの広域避難計画は、地震・大火災・火山噴火・洪水・津波・原発事故など大規模災害から人々が安全な場所に避難するための方策で、主に地方自治体が策定する。前回から述べている避難計画は、後者の広域避難である。

今回は、南海トラフ地震に伴う津波浸水が予想される徳島市の沿岸地域、大阪市西部、和歌山県みなべ町に対しておこなった最速避難の計算実験の結果を中心にお話をする。まず、はじめに、モデル作成について述べる。徳島市の沿岸地域、大阪市西部の計算実験は文献[1]で、和歌山県みなべ町の計算実験は文献[2]で詳述されている。

モデル作成

まずはじめに、計算実験で作成したネットワークのモデル化について、説明する。

ネットワークフローを用いた避難計画では、交差点や大きな曲がり角を点、それをつなぐ道路や歩道を辺として道路をネットワーク(グラフ)化する。道路ネットワークのデータは拡張版全国デジタル道路地図データベースから作成した。道幅は、2m, 5m, 10m, 15m の4種類に規格化した。歩行者の速度は1m/sとし、道幅1mのところを一秒当たり1.5人が通過可能とした。避難所情報は、徳島県(資料[1])、大阪市(文献[5])、みなべ町 (資料[2]) が公表しているものを使用した。避難所容量については、公表されている場合と、そうでない場合があり、公表されていない場合は、航空写真からの目視や実地調査から避難可能面積を概算し、2人/㎡として算出した。避難人数は、徳島市や大阪市の場合、国勢調査(http://www.stat.go.jp/data/kokusei/2005/index.htm) の夜間人口に基づいている。 和歌山県の場合、平成22年国勢調査(http://e-stat.go.jp/SG2/eStatGIS/page/download.html) の夜間人工に基づいている。また建物情報に関しては MapTownⅡ2008/09 年度(Shape版)を使用した。 全国デジタル道路地図データベース, ZMapTowmⅡは東京大学空間情報科学研究センターの研究用空間データを伴う共同研究により提供いただいた。

各頂点の避難者数の算定は、各頂点を母点とするボロノイ分割を求め、各頂点のボロノイ領域と重なる小地域の面積にその小地域の人口密度を乗じることによっておこなった。

対象地域ごとの計算実験の詳細は以下のとおりである。

計算実験の結果

1.徳島市沖洲地区

平成17年の国勢調査に基づくこの地域の夜間人口のうち、3階以下の建物に居住する住民のみを避難者として考えた。その結果、避難者数は7,445人とした。平成22年の時点で避難所数は11、総収容者人数は1,674人であった(上述のように、5年後の現在、津波避難ビルの指定が進み、2015年4月時点では70施設総収容可能人数34,601と大幅に増加している)。道路ネットワークの点数は860、辺数は2,212である。ネットワークモデル作成時点において、沖洲地区の避難所だけでは、地域の住民を収容しきれないので、対象地域から西に延びる3つの道路が地域外との境界と交差する部分に3つの仮想的な避難所(避難者容量を無限大と設定)を用意した。

徳島県が公表している南海トラフ地震による津波予測では、沖洲地区は地震発生後20分で津波の影響で水位が20cmほど下降し, その後地震発生後53分の時点で高さ5mの第一波が東端に到着するとしている。

われわれの計算実験によると、最速避難完了時間は20分強であった。地震発生直後、直ちに避難を開始することはできないので、この時間は避難完了時間の下限とみなし、避難計画上最低限必要な時間と見るのが良い。したがって、津波到達までに、十分余裕があるように感じるかもしれないが、そういうわけではない。そこで、どこの地域の人たちの避難完了時間が大きいのかなど、実験結果の詳細な分析をおこない、最速避難に基づく避難行動の可視化をおこない、避難所の追加が必要な地域を明らかにし、併せて、現地調査もおこなった。「指定津波避難ビル」の表示が見にくい、街灯が無いなど、改善が必要な具体的事項を指摘した(文献[1])。文献[3]でも同じ地区を対象に、津波避難に関する研究をおこなった。

徳島市における避難シミュレーション動画

2.大阪市の津波浸水予想地域

対象地域は、大阪府防災会議による南海トラフ地震の津波到達予測範囲[4]における大阪市の部分である。 行政区としては淀川区,西淀川区,北区,此花区,福島区,港区,大正区,浪速区,住之江区,西成区となる。 北区の阪急梅田駅、JR大阪駅周辺の地域も含まれるため、避難時間計算の必要性は高い。大阪市のWebサイトで公開されている避難所 197箇所(文献[5])に加え、津波到達予測範囲の外へとつながる点 389点も収容可能人数が無限大の仮想的な避難所と定めた。避難者数189,498人、ネットワークサイズは点数 13,085、 辺数 40,514と大きい。前回に説明したように、最速避難の計算で用いるデータサイズは、これに単位時間のステップ数を掛けたものなので、1億規模となり非常に大きい。さすがに、この規模の線形計画問題を線形計画ソルバーを用いて、通常のPC上で数十秒で解くのは困難である。

前回に、避難完了時間最小化問題は最大フロー問題を繰り返し解くことができ、最大フロー問題は線形計画問題の特殊な場合なので、線形計画問題のソルバーを適用できるとして定式化できることを述べた。しかし、やはり、最大フロー問題専用のアルゴリズムを用いる方が、効率よく解ける。 しかしながら、それでも大阪市を対象とする問題では、計算時間は膨大となり、試算では100日くらい掛かると推定された。そのため、単位時間を1秒から5秒に変更した。その結果、計算時間は9時間弱となった。得られた避難完了時間は27分であった。それでも、計算時間は長いので、文献[1]では、高速な近似アルゴリズムを構築した。その計算時間は、アルゴリズムで用いるパラメータにも依存するが、10分から1時間程度と大幅に短縮できた。ただ、近似解法なので、得られた避難完了時間は27分より長くなっている。

計算結果の詳細について、少し触れておく。避難に要する時間が大きい地域は、港区、西淀川区の一部であった。この地域では、近くの避難所が満員になってしまって、東、または北に位置する津波浸水予想地域外に到達するのに時間が掛かっていると思われる。西淀川区は全体的に避難所が少ないということが明らかになった。この地域は、準工業地域も多く、昼間人口は夜間人口よりかなり多いと推定され、津波避難ビル指定を追加する必要があると思われる。港区、西淀川区の一部に加えて、此花区も避難に要する地域である。とくに、此花区の西部にはユニバーサル・スタジオ・ジャパンがあり、昼間にはにぎわっているところであるが、夜間人口に基づいて計算実験をおこなったので、その影響は考慮していない。

3.和歌山県みなべ町

南高梅で有名な梅林の豊かな町である。南海トラフ地震発生後12分で高さ1m、15分で5m、24分で10mの津波が到達すると予測されており、津波避難困難地域に指定されている地域の一つである。通常地震発生から避難の開始は5分とされているため実際の避難時間は5分~15分しかない。このため、少しでも迅速な避難を実現するために、自動車による避難を許した場合についてモデル化し、徒歩のみの避難との比較検討をおこなった(文献[2])。

和歌山県では2014年10月に、南海トラフ巨大地震が起こった場合、最大で約9万人が死亡するという被害想定が発表された(『和歌山県で「死者9万人」 南海トラフ、津波想定広げる』,朝日新聞 2014年10月記事)。また、県は同時に津波避難困難地域に指定されている61の地区の発表に踏みきり、該当地域に大きな衝撃を与えた。これらの地域では、津波対策が急務となっており、堤防や津波避難タワーの建設、あるいは高台への移転など様々な対策を検討・実施している。計算実験対象エリアのみなべ町津波浸水予想地域は、JR南部駅やみなべ町役場などの主要施設が集まるみなべ町の中心地を含んでおり、南に南部湾を望み、周囲を100m~200m級のなだらかな山々に囲まれた平野部となっている。一方で町全体として高い建物が少なく、多くの住人が浸水域外へ逃げることになり避難時間の遅延が予想される。

そのため、みなべ町では津波避難訓練の際に自動車の利用を一部検討しており、実際に事前に届け出ていた住人に関しては車両の利用を認めるという試みをしている。

そのため、我々は、車両による避難を考慮した最速避難計画問題を考察した。みなべ町の約3.77平方キロメートルにわたる浸水地域内に住む4,745人の避難に関して実験を行った。道路ネットワークモデルのサイズは、点数 496、辺数 714で避難所数 15、浸水域外避難地点 29ヶ所である。車両幅員は3.5mとし、歩行速度1m/s, 車両走行速度3m/s, 一秒間に道幅1mを通過する人数は、徒歩の場合 1.5人、車両の場合 0.25人と設定した(この数値の定め方の詳細は省略する)。これらのデータをもとに、歩車混合型の最速避難計画問題を数理計画問題としてモデル化した(詳細は文献[2]参照)。各点の避難者は、徒歩による避難か、自動車による避難かを選択できるとし、その点の徒歩による避難者数と車両による避難者数を決定変数とする。利用する道路は、歩行者と車両の混在を許すものとする。具体的には、道路幅を歩行者用と車両用に分割する。分割したときの歩行者が用いる道幅と車両が用いる道幅を決定変数とする。目的関数は、避難完了時間最小化である。この問題は、線形計画問題として定式化できる。しかし、これまでの歩行者のみの避難と異なり、最大フロー問題を繰り返し解くという方法は適用できない。そのため、数理計画ソルバーのGurobiを用いて計算実験をおこなった。以下、その計算結果について述べる。

避難先の組合せを、
 シナリオ1 浸水域外
 シナリオ2 浸水域外+津波避難ビル
の2種類用意した。車両による避難は浸水域外のみを目的地として設定している。各ケースに対して、徒歩による避難のみの場合と徒歩と車両による避難を考慮した場合について、計算実験をおこなった。シナリオ1とシナリオ2の場合、徒歩のみの避難の場合の避難完了時刻は、それぞれ18分、17分30秒であった、他方、徒歩と車両による両方の避難を考慮した場合、シナリオ1とシナリオ2の場合、避難完了時間はそれぞれ9分40秒、9分5秒であった。いずれのシナリオにおいても歩行者のみの避難と比べて、車両による避難を考慮すると避難時間の大幅な短縮が見られ、当初の予想通り適切な車両利用が避難時間の短縮につながることがわかった。シナリオ1と2を比べると、やはり避難ビルが増えることで徒歩避難者が増加し、車両の利用が抑えられることもわかった。

また、徒歩避難者の割合が高いほど、避難の終盤に避難完了者が増える傾向が強いといえる。シナリオ1と2を比較すると、シナリオ2では避難ビルがある沿岸部の車両避難率が著しく低下しており、避難ビルの有用性が伺える。また、車両避難割合の高い地域は避難困難地域の分布に近くなっている。今後の課題としては、歩行者と自動者の避難経路ができるだけ混合しないよう適切な避難計画をすることが望まれる。

まとめ

津波からの最速避難を実現するための手法を数理計画を用いて構築した。南海トラフ地震によって、津波による浸水が予想される3つの地域について計算実験をおこなったので、その結果について報告した。一般的に観察されたこととして、避難完了者数は避難時間の後半に急激に多くなっている。これは避難完了時間を最小にする避難の際の特徴のひとつである。

文献[1,3]では、避難者全員の避難完了時刻を最小化するという目的関数だけでなく、平均避難時間の最小化という目的関数についても考察している。津波からの避難は、緊急避難となるので、最悪の場合、全員が津波到達時間以内に安全な場所に避難できるとは限らない、という厳しい状況を考える必要がある。実際、この目的関数の下で、計算実験をおこなうと、次のようなことが明らかになった。津波発生時刻を0として、時刻0から一定時間が経過した時点までに避難を完了している避難者数を両者の目的関数の下で比較すると、徳島市沖洲地区では、避難完了者数が全体の85%に達するまでは、平均避難時間最小化の目的関数の下での避難完了者数が上回っていた。大阪市を対象とした計算機実験でも、同様の傾向が見られた。

今回は紹介できなかったが、和歌山県のみなべ町以外の和歌山県津波避難困難地域である串本町を対象とする計算実験もおこなっている。ここは、最速で2分位で最初の津波が到達し、最大津波高さが18mと予想され、みなべ町よりも厳しい状況である。みなべ町と同様、歩車混合型の最速避難計画の計算実験をおこなっている。また、みなべ町、串本町の役場の防災担当者とのヒアリングをおこなった。串本町の担当者の言葉を要約すると、「実際車両避難に頼らなくても、避難ビルや避難タワーを増設することで被害を抑えることはできるだろうが、現実的にはそのためには莫大な予算が必要であり、防災業務以外にも力を入れるべきことは多い。現在のところ、串本町では、車両による避難は考えていないが、予算の大半を津波対策に割かれている現状から、車両避難も考慮の対象になり得る。また、最適化の結果は、国から補助金を受けるときの根拠になる。」という話であった。

最後に、ここで紹介したような数理的手法を用いた最速避難計画の計算結果が、効率的な避難計画を立てるために多くの自治体で利用されることを願っている。

資料

[1] 徳島県 指定避難所・補助避難所一覧表
http://www.city.tokushima.tokushima.jp/anzen/shoubo_bousai/hinanjo_list/ichiran.files/hinannjyoitirannhyou0508.pdf

[2] みなべ町津波ハザードマップ 平成26年
http://www.town.minabe.lg.jp/other-contents/MINABE_HM_MAP/MINABE_HM_MAP/index.html

参考文献

[1] 大田 章雄,「最速輸送問題に対する高速近似解法の提案及び避難計画への応用に関する研究」,京都大学大学院 工学研究科 建築学専攻,2015年度修士論文

[2] 塙 洋介,「歩車混合型の最速避難計画に関する研究」,京都大学大学院 工学研究科 建築学専攻,2014年度修士論文

[3] A.Takizawa, M.Inoue and N.Katoh: An emergency evacuation planning model using the universally quickest flow, The Review of Socionetwork Strategies, 6(1), 15-28, 2012.

[4]大阪府防災会議南海トラフ巨大地震災害対策等検討部会. 「大阪府域の被害想定について」(人的被害・建物被害)2012.
http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/31241/00271160/01siryou4.ppt%20.pdf

[5] 大阪市津波避難指定ビルの一覧、https://www.city.osaka.lg.jp/kikikanrishitsu/page/0000138173.htm

[6] 和歌山県の津波避難困難地域 https://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/082500/d00152739_d/fil/tsunami_taisaku.pdf